スーパーCEO列伝

松村厚久の盟友・稲本健一が語るゼットンがDDホールディングスの仲間入りをした本当の理由

株式会社DDホールディングス

取締役 海外総括 CCO

稲本健一

写真/高橋郁子 文/長谷川 敦 | 2018.08.10

稲本健一のポートレート
2017年、DDホールディングス(DDHD)の発足に伴い、松村厚久社長の長年の盟友・稲本健一氏が、同社の取締役に就任した。なぜゼットンの社長を退いて、DDHDの取締役を引き受けたのか? その狙いとビジョンに迫った。

株式会社DDホールディングス 取締役 海外総括 CCO 稲本健一(いなもと けんいち)

1967年生まれ、石川県出身。株式会社DDホールディングス 取締役 海外総括 CCO。DD International会長。株式会社ゼットン ファウンダー。大学卒業後、東京の商社、名古屋のデザイン事務所に勤務。93年に期間限定ビアガーデンのプロデュースで成功を収めたことをきっかけに、飲食ビジネスの世界へ。95年ゼットンを設立。「店づくりは街づくり」を掲げ、1店舗ごと異なる店づくりで注目を集める。2006年名証セントレックス上場。ユニークな事業を多数展開。2017年5月にゼットンの会長職を退任後、現職。DDホールディングス全グループ会社の海外統括担当として、同社の海外展開の全指揮をとる。

多彩な能力を持った人材が集う まずそれが大いなる強み

――稲本さんがDDホールディングス(DDHD)の取締役に就任された経緯を教えてください。

稲本 これまで僕はゼットン、松村はダイヤモンドダイニングという会社をつくりあげてきました。松村が拡大路線なのに対して、僕はクリエイター志向。1軒1軒の店づくりに対するこだわりが強いし、そっちのほうが得意です。

だからゼットンが組織として大きくなったことについて、自分でもちょっと持て余しているところがありました。そこで「自分はゼットンの社長を降りて、一人で海外に行って、また1軒からカフェでも始めようか」と考えていたんです。

けれども松村と何度も会って話し合っているうちに考えが変わってきました。彼は飲食の枠組みを越えて会社を大きくしていきながら、売上1000億円を達成するという明確な夢を持っています。

親友である松村の夢を実現する上で、僕の力が少しでも有効であるならば、ゼットンの社長を退くとともに、「DDHDのメンバーとして彼を支えながら働くのもありかな」と思うようになったんです。まあ海外でカフェを始めるのは、いくつになってからでもできますしね。

稲本健一のインタビュー写真

――稲本さんから見て、DDHDの特徴や強みは何だと思いますか?

稲本 DDグループには18社(HD含む)の会社がありますが、各社の社長はどこに出しても恥ずかしくない実力の持ち主で、それぞれが個性的な会社をつくり上げています。ホールディングスもグループ会社の独立性を重視していて、時々大まかな全体の舵の修正を図るぐらいです。

だからDDHDという船団としては同じ方角を向いて進みながらも、各社は独自性を保つことができている。グループ会社をがっちりコントロールしたがるホールディングスが多いなかで、こんなホールディングスはほかにないんじゃないかな。

――トップダウンで一色に染まっていない?

稲本 ええ。僕がいつも例に挙げているのが「サイボーグ009」です。あのアニメでは、マッハの速度で移動できるサイボーグや、優れた聴覚能力を持つサイボーグ、あるいは深海を泳ぎ回ることができるサイボーグなど、さまざまな際立った得意技を持った個性的なキャラクターが登場しますよね。しかし、一つのミッションのためには皆が力を合わせる……。

多様な能力を持った人物が集まっている組織の方が、これから社会で起きるであろういろいろな事象に対する対応力があるはず。まさにDDHDはそういう組織です。

稲本健一のインタビュー写真

DDHDオリジナルの業態をアメリカ本土で確立したい

――その「サイボーグ009」のようなキャラクターの集まりの組織の中で、稲本さんが任されているのは海外事業の統括です。

稲本 それが僕の強みのひとつですからね。ゼットンがハワイで手掛がけてきたオールデイ・カフェ・ダイニング「HEAVENLY」や「ALOHA TABLE Waikiki」といった店舗はすべて繁盛店になっていて、総売上は20億円近くになります。

実はハワイに進出している飲食関係の海外企業の中では1、2を争う規模です。これまで自分がゼットンで培ってきたこうした海外事業に関する経験やノウハウを、今度はDDHDの海外での事業の拡大に生かすことを求められているわけです。

今出店しているのはハワイ州が中心ですが、いずれハワイのマーケットも飽和するので、メインランド(アメリカ本土)への進出を計画しています。ただしゼロから店舗を立ち上げていると、とても松村が考えているスピード感に応えることはできないので、M&Aが中心になっていくと思います。

ホールディングスで1000億円の売上を達成したときに、最低でも海外売上が50億円、できれば100億円に達していたいと考えています。

――進出先はアジアではなくて、アメリカ本土なのですね。

稲本 アジアはあまり興味がないですね。「中間層や富裕層が増えているアジアはマーケットとして有望だから進出するべき」だとか、僕らはそういう発想でビジネスはしたくない。これは松村も同じですが、他の人がやっていることと同じことをやるのは好きではありません。世の中の流れに合わせるのではなく、常に自分たちが世の中に波を起こす側でいたいと思っています。

メインランドを目指すのは、そもそもレストランビジネスはアメリカのものだからです。日本の「飲食業」というと「お客さんのお腹を満足させるためのもの」というイメージがまだまだ強い。一方、アメリカのそれは「飲食業」ではなく「レストランビジネス」なんです。

いわばただ食事を提供するのではなく、完全なエンターテインメント産業になっている。飲食を通してお客さんにいかに楽しんでいただけるかに力を注いでいます。

稲本健一のインタビュー写真

――なるほど。そのレストランビジネスの本場であるアメリカで勝負してみたいと。

稲本 そうです。だからM&Aを中心に事業を拡大させていくといっても、ただ買収するだけではなくて、店舗のデザインだったりメニューだったり、サービスだったりに磨きをかけることで、アメリカで戦えるだけの力を持ったDDHDのオリジナルな業態に変えていかなくてはいけません。

ただし、その際に難しいのは、アメリカは日本の飲食業の常識がまったく通じない場所であることです。業態のつくり方も、スタッフのマネジメントの仕方も全然違う。このハードルをクリアし、DDHDのオリジナルの業態をアメリカで確立するためには、責任者が現地に深くコミットしないと絶対に成功しません。その役割が僕なのです。

飲食が変わりつつあるなかで僕らも変わらなくてはいけない

――DDHDの事業展開を見ると、ウエディングやホテル業など、従来の飲食業の枠組みから一歩飛び出そうとしています。これはなぜでしょうか?

稲本 僕は今後10年も経つと、飲食業という業界は今とはまったく違うかたちになっていると考えています。いや、すでにそうなりつつあります。

例えば“相席居酒屋”という業態。あれは男性と女性を引き合わせるための装置として居酒屋という場が設けられているわけで、純粋な意味での飲食業ではないですよね。また、アパレルやITやアミューズメントといった他業界が、飲食に進出してくるケースも増えています。つまり飲食の概念や、飲食と飲食でないものの境界線が曖昧になっている。

だったら僕らも「俺たちは飲食だから」とこだわっている場合ではなく、そこで勝負するしかないわけです。時代を読みながら、その中で僕らが先手を打って時代をつくっていかなくてはいけません。

――時代を読み、時代をつくっていくためには、何が大切なのでしょうか。

稲本 そこにいるお客さんたち、特に20代や30代の若い人たちが何を求め、どんな行動をしているかをしっかりと観察することでしょうね。しかも日本の若者だけじゃなくて、世界中の若者を見ておく必要がある。なぜなら世界でレストランビジネスを展開している人たちは、世界中の動きを見ながら、常に新しいものをつくり出そうとしているからです。それに対抗するためには、自分たちも同じことをしなくてはいけません。

稲本健一のインタビュー写真

松村社長は病気になってからムダをどんどん削ぎ落としていった

――稲本さんと松村社長は20年来のお付き合いです。稲本さんにとって松村社長はどんな存在ですか。

稲本 親友であり、仕事上のパートナーであり、時には兄貴のような存在でもありますね。ものすごく甘え上手な兄貴ですけど(笑)。

松村のことはパーキンソン病になる前から知っているけど、病気になってから、彼の中で無駄なことがどんどん削ぎ落とされていって、本当に自分がやりたいことだけが見えてきて、そこだけに力を注ぐようになっていったと思います。

僕らと比べると松村は、紡ぎ出せる言葉の量がどうしても少ない。また、体調が悪いときには言葉を発するのさえままならないから、相手に何回も同じことを言わないと伝わらなかったりします。

だからこそ松村は、いつもシンプルな言葉で、大切なことを相手に伝えようとしています。まあ彼にとっての大切なことの半分は、冗談を言って人を笑わせたり、楽しませたりすることですが……。

ただ彼が本気で何かを伝えようとしているときの目の力は、半端ではありません。また、彼の時代の動きをつかみ取り、先を読む力は非常に鋭いものがあります。だから彼が真剣な目で何かを話しはじめたら、こっちも真剣に耳を傾けざるを得ないんです。

――しかし、そこまで稲本さんが松村社長の夢の実現を支えたい、助けたいと思う源泉は、どこにあるのでしょうか。

稲本 いや、「助けたい」というのは違う。周りから見れば、病気で体が思うように動かない松村を、僕らが助けているように見えるかもしれません。でもこれは松村とかかわっている全員が感じていることだと思うけど、むしろ僕らのほうが松村に助けられているんです。

松村は僕らのことをいつもちゃんと見ていて、僕らを生かしてくれる適材適所の舞台というか、チャンスをどんどんつくってくれます。だから僕らも、松村のためにやってやろうと自然に思う。松村はそういう特別な力を持っているんですよ。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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