スーパーCEO列伝
株式会社幻冬舎
代表取締役社長
見城 徹
写真/宮下 潤 文/薮下佳代 マンガ/シンフィールド | 2013.06.10
株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹(けんじょうとおる)
1950年12月29日、静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。大学卒業後、廣済堂出版に入社。初めて自身で企画した『公文式算数の秘密』が38万部のベストセラーに。1975年、角川書店に入社。「野性時代」副編集長を経て、「月刊カドカワ」編集長に就任、部数を30倍に伸ばす。5本の直木賞作品をはじめ数々のヒット作を生み出す。
1993年、角川書店を退社し、幻冬舎を設立。五木寛之『大河の一滴』、石原慎太郎『弟』、唐沢寿明『ふたり』、郷ひろみ『ダディ』、天童荒太『永遠の仔』、村上龍『13歳のハローワーク』、劇団ひとり『陰日向に咲く』、長谷部誠『心を整える。』、渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』など25年間で24本ものミリオンセラーを世に送り出す。著書に『編集者という病い』(太田出版)、『たった一人の熱狂』(双葉社)、『読書という荒野』(幻冬舎)、サイバーエージェント代表取締役社長・藤田晋氏との共著に『憂鬱でなければ、仕事じゃない』(講談社)、『絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ』(講談社)、松浦勝人との共著に『危険な二人』(幻冬舎文庫)、林真理子との共著に『過剰な二人』(講談社)などがある。
42歳の時、角川書店に辞表を出し、その3ヵ月後、それまでの20年間成功例のない[自ら出版社を設立する]という無謀にも思える[一番難しい道]を選ぶ。1993年11月12日、部下5人とともに幻冬舎を設立。出版が右肩下がりの不況に陥り、さらには文芸不振の時代に、文芸書で勝負に出た。
1994年3月の華々しいデビューを飾ったのは五木寛之、村上龍、篠山紀信、山田詠美、吉本ばなな、北方謙三という錚々たる著者による6冊だった。彼らを動かしたのは、今まで築き上げてきた信頼関係と、とことん惚れ込む情熱にほかならなかった。
「自分を感動させた人と一緒に仕事をしたい。ただそれだけのために、人の何倍もひたすら努力する。例えば、人が遊びに行くときに行かないし、みんなが寝てる時に起きている。20代、30代の頃とか、俺、どうやって寝てたのかなって思うね。
みな面倒だし、無理だなと思うことを、やり通すことなんですよ。例えば松本清張に初めて会う前に、100作品を全部読むんですよ。どの作品の話になっても、ちゃんと感想と批評を言えるんです、俺は。ほかの誰も、それはやらない。だからそれを自分がやったら、不可能が可能になるわけですよ。これを可能たらしめるのが、圧倒的努力というんです」
誰もが“負け戦”と思う場面にも、果敢に勝負を挑む見城社長のもうひとつのエピソード。それは、幻冬舎設立の3年後、出版大手にしか無理といわれていた文庫を62冊一挙刊行。「失敗したら倒産する」などと言われながらの創刊で、出版界に大衝撃を与えた。
文庫創刊時、各新聞の全面広告に書かれていたのが、このキャッチコピーだ。荒波に乗り出す船のヴィジュアルは、“俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜〔ともづな〕を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥のしみついた空を負ふ巨きな街を目指して、舳先をまはす”というアルチュウル・ランボオの詩をイメージしたという。
「世に出て行くって、そういうことなんだよ。黄金の港じゃなくて、悲惨の港を目指すって、その心意気がなけりゃ、船出なんてできやしない。おびえながら、止めるんじゃなくて、前に出るほうに賭ける自分がいるんです。
しかも霧で先が見えないわけだからさ。無知ゆえにできる常識破りの冒険。でも、それをやらなくっちゃあ、いつまでも現状維持なんだよ。背に腹を代えられない気持ちを、そのまま広告コピーにしただけなんです」
「俺以上の宣伝マンはいない」と、幻冬舎の広告のディレクションは見城社長自らが手がけている。あるときの幻冬舎文庫の全面広告のキャッチコピーは「ヒンシュクはカネを出してでも買え!」だった。
当時売れっ子だった女優・井上晴美をヌードにし、胸を隠すために文庫を使った。「小説や文学が他の商品より一枚上だと思ってる出版業界」を批判するために。さらに衝撃的だったのは、撮影現場で井上晴美を説得して丸坊主にしたこと。幻冬舎=見城社長のブランディングは常に異端だった。
「俺がやることは、無理だ、不可能だってみんな言う。でもそれをやらない限り、成功した時に鮮やかじゃないでしょ。ブランドっていうのは、そうやらないとついてこないんですよ」
この電子雑誌『SUPER CEO』発行元の会長も務める見城社長は、大手出版社がなかなか手を出せないでいる電子雑誌にも可能性を見出だしている。
「どこよりも早く、そして成功したのがこの『SUPER CEO』をはじめとするブランジスタの電子雑誌。唯一無二のビジネスモデルを作った希有な存在だって思ってる。まさに、いま、歴史を塗り替えてる瞬間なんだよ」
見城社長を支えてきたのは、多くの作家や表現者たち。彼らとの信頼関係を紡ぐ上で大切なもの。それは「他者への想像力」だと見城社長はいう。
「俺はね、礼節だけは欠かさない。義理、人情、恩返し。俺はG・N・Oと呼んでいる。すごく小さなことに後ろ髪を引かれ、小石につまずき、くよくよしながら、他者をどれだけ想像できるか。俺のひとことで、あの人は傷ついただろうか、喜んだろうか、いつもそんなことを気にしながら生きてる」
もう一つ、こんなエピソードがある。幻冬舎のビルの掃除のおばさんとの立ち話から、当時のヒット作『永遠の仔』が読みたかったけれど書店で売り切れていたと聞いた時、「今度の当番の日までに、ちゃんと用意しておくからね」と、倉庫から取り寄せて、作家のサインまで入れて渡したのだそうだ。
「どんな小さな約束も守らなくちゃ。おばちゃんだって、俺のひとことでどれだけ心待ちに思って、楽しみに思ったか分からないじゃない。彼女の生きるという営みにちゃんと敬意を払うこと。他者に対する想像力に欠ける者に、仕事なんて絶対に上手くいくはずがないからね」
社長室にこもることなく、編集部のデスクで一日の大半を過ごす見城社長は、いまなお、「現場で一番バリバリの編集者」。経営者として「常に最悪の事態を想定して、最高の結果を叩き出す」ために、ギリギリの瀬戸際でスリルを楽しんできた。見城社長は「自分の人生のために会社をやっているのであって、会社のために人生を捧げているわけではない」という。
「結局、自分がいいと思ってる女性から『見城君、素敵!頑張ったね!』って言われたいためにやってる。俺は俺の人生のために会社をやっていて、俺の歓喜と恍惚のためにやってるんですよ。
社員はその俺をいいと思ってついてきてくれているんだから、そう思わなくなったら辞めればいいし、お前らもお前らの人生を生きて、大切にしろって言ってる。お前らが、ここにいることでドキドキしたり、ハラハラしたり、豊かになるんだったらいてくれよ。俺の生き方に対して、自分もああいいう生き方がいいなと思えば真似すればいい。教えようなんて思ってないし、それぞれの人生を生きればいい」
そんな熱き経営者魂を胸に、今日も幻冬舎を率いる。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美