2025.05.30
株式会社バーグルは、ゴルフ場やゴルフイベントの運営、国内外の不動産、アパレル事業など5つの会社を運営するグループ企業として成長している。現在、特に力を入れているのがゴルフ場の運営で、岩手県の「きたかみカントリークラブ」では、コースの整備や維持、レストランの経営を手がけている。
ゴルフ場の集客戦略はホテル経営と共通点が多く、1〜2か月先の組数が少ない場合は、様々なイベントを企画して集客を図っているという。
金谷氏が買収したゴルフ場は、当初2000万円程度の赤字経営だった。しかし現在では5期連続で8000万円の黒字を達成している。この劇的な改善を支えたのは、コース、クラブハウス、レストラン、壁紙に至るまでの全面的な改良だった。
特にコースコンディションへのこだわりは徹底している。金谷氏は「ゴルフ場にとってコースコンディションは生命線で、ラーメン屋にとっての味、不動産屋にとっての物件のようなもの」と位置づけ、グリーンもティーグラウンドも常に綺麗な状態に維持している。良好なコースコンディションは口コミで広がり、顧客増加につながっているという。
そんな金谷氏のビジネスポリシーの核となるのが「逆算」の考え方だ。ゴルフ場経営においても、240日の営業で1日100人、合計24,000人の来場者を想定し、1人単価1万円で売上2億4000万円を設定。その売上から逆算して管理費、レストラン費、肥料費を計算し、純利益5000万円を残すパッケージを構築している。
この逆算思考の背景には、ゴルフというスポーツの特性がある。「ゴルフはバンカーや池など罠だらけなので、ピンから逆算している競技。事業計画も逆算が必要で、何十年後からの逆算をする」と金谷氏は説明する。現役時代の思考がビジネスの世界でも活かされている形だ。
完成されたパッケージがあることで、他のゴルフ場の経営コンサルタントも可能になっている。マネジメントに苦しむゴルフ場があれば、自身のつくったパッケージをはめ込んで運営できると、金谷氏は自信を示している。
ゴルフ場再生のもう一つの大きな要因が、2002年に開催を開始した「岩手県オープンゴルフトーナメント」だ。プロになってすぐにアメリカに渡った金谷氏は、タイガー・ウッズの指導者や現地のゴルフスクールで学んだ経験から、日本とアメリカのレッスンスタイルの違いを痛感していた。
アメリカではプロとアマチュアが一緒に回るプロアマ形式の大会があったが、日本にはそうした大会がなかった。「いつか日本でやりたい」と考えていた金谷氏は、引退後の30歳でこの構想を実現した。
スポンサー集めでは、プロゴルファーとしての経験が大きな武器となり、「持論ですが、人は『匂い』に寄ってきます。現地で匂いを嗅いでない『机上の理論』では、その『匂い』を発散できない。プロゴルファーの僕が企業に出向き『こういうことをやりたい』というと真実味がある」と、金谷氏は語る。現在でも協賛、スポンサー巡りは全て金谷氏自身が担当しているのだそう。
また、参加選手の確保では、プロ時代の人脈から、同級生の丸山茂樹、先輩の深堀圭一郎、川岸良兼、後輩の片山晋呉、宮本勝昌、横尾要など、中学校時代からジュニアで一緒に活躍してきたスーパースターたちが大会に参加してくれた。
現在でも岩手県オープンは1日で2000人程度の集客を誇り、関東の4日間トーナメントと1日あたりの集客で遜色ない規模を維持している。岩手県という地方での開催について金谷氏は「関東は様々な試合があるので目が肥えている人が多い。大会をやらない不毛の地で開催したのが当たった要因で、地方創生にも役立っている」と戦略的な意味を振り返っている。
金谷氏の事業哲学で特徴的なのが「自動的にお金が入るシステムを構築する」という考え方だ。これも逆算の思考から生まれている。
◆インドアゴルフ事業
フィットネススタジオのシステムを参考に、10万円で社員全員を無料レッスンする契約を5社と結び、さらに3万円で契約する個人10人で月100万円が自動的に入るシステムを構築。フィットネス同様、毎日レッスンに来るわけではないため、社員が100人いても問題なく運営できる仕組み。
◆不動産事業
盛岡の中心部に自社ビルを購入し、最上階でインドアゴルフと本社を運営しながら、1階の好立地部分を居酒屋などにテナント貸しして収益を得ている。コロナ禍にはハワイの物件を現地に行かずに写真だけで購入し、コンドミニアム形式で貸し出して家賃収入を得るなど、不動産事業全体では、年間5000万円程度の家賃収入を確保。
◆アパレル事業
学生服や婦人服を扱う会社をM&Aで事業継承し、岩手県の総代理店として小中学校約500校と契約を結んでいる。制服から体操着、カバン、靴、半袖半ズボンまで幅広く扱い、需要が無くなることがない安定した収益構造を築いている。
また、2年程前には縫製工場もM&Aで取得し、今後はゴルフウェアなどのプライベートブランド展開を計画している。知り合いのプロゴルファーと契約し、ツアー優勝時の露出効果を狙ってECサイトで販売する戦略も描く。
金谷氏の経営者としての資質は、プロゴルファー時代から芽生えていた。中学時代の東北ジュニア選手権優勝、大学時の全日本パブリック選手権優勝を経て、平成7年にプロテスト合格を果たした。デビュー戦以降は好調だったが、2〜3年目からケガが多発し、体格のハンデもあって30歳での引退を決意した。
特徴的だったのは、選手時代からビジネスへの強い関心を持っていたことだ。周りの選手がスポーツ新聞を読む中、金谷氏は日経新聞しか読まず、ゴルフダイジェストの代わりにダイヤモンドなどの経済誌を愛読していた。「ゴルフの大会で誰が優勝したかはわからないが、日経平均はわかる」という選手だったという。
起業への決意の背景には、明確な使命感があった。「スポーツ選手のセカンドステージを考えて起業しようと思った。スポーツ選手は怪我でクビになったり、戦力外通告を受け、職を失う恐怖がある。そんな未来の保証のないアスリートのため、私が経営者として生きるモデルケースとなり、示すことができれば」という思いが金谷氏を動かした。
現在、グループの5つの部門すべてが黒字で順調に推移している。金谷氏は「企業はリストラ(人ではなく無駄のリストラ)を重ね、新陳代謝して新しく、大きくなっていくべき」という経営哲学を持ち、早めに会長職に移って60歳で新たなビジネスに挑戦したいと将来を見据えている。
株式会社バーグルの成功は、単なる事業の成功を超えて、アスリートのセカンドキャリアの可能性を広げる先駆的な取り組みとして注目される。逆算思考とシステム構築による安定収益の確保、そして現役時代からの人脈とビジネス感覚の活用という金谷氏のアプローチは、多くのアスリートにとって参考になるモデルケースと言えるだろう。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美