Passion Leaders活動レポート

[パッションリーダーズ] 定例セミナー

「スタンダードが一番難しい」人の心をつかみ続ける天才仕掛人、秋元康の頭の中

作詞家

秋元 康

文/宮本育 写真/阿部拓歩 | 2020.12.04

数々の流行を生み出してきた天才仕掛人、秋元康。音楽界、芸能界の第一線で活躍してきたヒットメーカーの発想は、ビジネスパーソンも学ぶことが多い。初登壇したパッションリーダーズでの基調講演では、「1ミリ先の夢」をテーマに、秋元氏らしいキャッチーな言葉を用いて自身の人生論などを惜しげもなく語った。(2020年9月25日、パッションリーダーズ全国定例会より)

 作詞家 秋元 康(あきもとやすし)

1958年、東京生まれ。高校時代より放送作家として頭角を現わす。1983年より作詞家として美空ひばり『川の流れのように』をはじめ、近年ではAKB48グループ、坂道シリーズなどの作詞を手がけ、数多くのヒット曲を生む。2008年日本作詩大賞、2012年日本レコード大賞“作詩賞”、2013年アニー賞長編アニメ部門“音楽賞”を受賞。2019年の第61回日本レコード大賞では優秀作品賞を史上最多の4作品同時受賞する。テレビドラマ、映画、CM、ゲーム企画など、幅広いジャンルで活躍しており、2019年に企画・原案を手がけたドラマ『あなたの番です』(日本テレビ系)は大きな注目を集め、また、本年10月からのドラマ『共演NG』(企画・原作:テレビ東京系)も話題となっている。

【人は運命でつながる】縁があれば、人も物事もつながっていく

僕が17歳のときでした。受験勉強の合間にラジオを聴いていたら、何となく、こういう脚本だったら自分でも書けるんじゃないかと思って、特に募集はしていなかったのですが原稿を送ったんです。それが面白いと番組スタッフの目にとまって、ラジオ局に遊びに来ないかと言われたのが、この業界に入るきっかけでした。どうしても放送作家になりたかった、作詞家になりたかったというのではなく、流れに身を任せたら、ここにたどり着いた……というのが正直なところです。

そこで学んだのは、“人とのご縁の大切さ”でした。

例えば、何か目指すことがあって、そのための人脈をつくるにはどうしたらいいですか?と言う方がいるじゃないですか。だけど、人脈というのはつくるものではなくて、“すでにできている”ものだと思うんです。

パーティなどで「あの人と知り合おう!」と意気込むと、その作為が透けて見えて、対象になった人はだいたい構えてしまったり、警戒してしまう。もちろん、そういうやり方でどんどんぶつかっていくのもいいと思いますが、あまりうまくいく方法とは思えません。なぜなら、人間同士は運命でつながっていて、出会いたいと思っていると、どこかでつながっていくようにできているからです。

昔は、大学で講演会をすることが多くて、そこで女子大生たちに「運命の人はどうやって見つけるんですか?」とよく質問されました。そのとき僕は、「その人と3回奇跡が起きたら、運命でつながっていると思いなさい」と答えたものです。そういう人とは、特に連絡先を交換しなくても、どこかでばったり会ったり、実は自分の友人の友だちだったりと、再会できるシチュエーションがあるんです。それが3回くらい続くと、恋愛だけでなく、仕事関係でも運命でつながった相手。僕はそう考えています。

会場、Zoom、YouTubeライブをあわせて約500名のメンバーが参加したパッションリーダーズ全国定例会。同会の史上最多人数記録を更新した。

【売れる人、売れない人】“1ミリ先”を耐えられるか。それが夢をつかむ分かれ道

テレビを観ていて、なぜこの人は売れたのかとか、才能もあり努力もしているのにどうしてこの人は売れないんだろうかとか、考えることがあるかと思います。僕は、そういうことを間近でずっと見ていました。売れる人と売れない人。誰もが努力をしているのに、この差は何だろうと思いながら。

その分かれ道は、諦めるか、諦めないかの違いでした。

これまで、アイドル、ミュージシャン、俳優など、さまざまな人々を見てきました。すると、売れなかった人というのは、もう少しで夢に手が届くというときに、手を下ろしてしまうんですね。これがすごくもったいない。

本人は全力で背伸びをし、全力で手を伸ばしているのですが、触れている感覚がないから、手にしようとしているものが、1メートル先にあるのか、10メートル先にあるのか、分かりません。なかには、あと1ミリで届くという人がいるんです。ですが、手を下ろしてしまう。つまり、夢から背を向けられたのではなく、自ら諦めたということ。

この1ミリを耐えられるか、チャンスの順番が来るまで待てるか、あるいは諦めてしまうか、それが分かれ道になっているんです。

【戻る力】もっとも大事なこと

夢に向かって突き進んでいると、壁にぶつかることがあると思います。根性論で「乗り越えろ!」なんて言う人がいますが、乗り越えられないから壁なんです。だからといって、そこで悩んだり、立ち止まっていても、壁はなくなりません。

こんなとき僕は、絶対にそこで悩まない、迷わない、立ち止まらない。代わりに、右か左に動きます。壁を乗り越えるという無理なことを試みるのではなく、まずはどちらかに動いて、違うことをやってみることが多いです。

ですが、二者択一だと、一方は間違った選択で失敗するかもしれないと考える人がいますよね。失敗すると痛いし、落ち込むし、大切なものを失うかもしれない。だから多くの人は、誰かの意見を聞いたり、データを分析したり、慎重になります。しかし、どれだけ対策を講じても、人は間違える生き物ですから、失敗するときは失敗します。

だから僕は、右か左を選ぶとき、何も考えません。自分の勘で右か左を決めて、とにかく走る。ひたすら突っ走って、行き止まりにぶつかったら、そうか逆だったのかと、戻ればいいだけの話。つまり、もっとも大事なのは“戻る力”なんです。

戻る力が自分にあると信じていれば、ゼロになったとしても、もう一度挑戦できるんです。左右どちらに走ってもいいんです。

あのときの失敗があったから、こんな問題が起きたから、こういう人と出会ったからなど、いろいろな要素が絡み合って、それぞれがそれぞれの場所にいます。だからこそ、じっと立ち止まっているのではなく、ぜひ皆さん、動いてください。それが次への足がかりになるはずです。

【アイデアの源泉】キャッチーなフレーズの源、“頭の中のリュックサック”

僕は、AKB48というアイドルグループをプロデュースしています。このグループの転機は、2013年の「AKB48 32ndシングル 選抜総選挙」で指原莉乃が1位になったときでした。それまでは、アイドルの王道である前田敦子や大島優子がセンターを務めていましたが、指原というこれまでにないキャラクターが1位になり、これは予定調和を壊す良い機会だと思ったんです。

このときのシングル曲が『恋するフォーチュンクッキー』でした。昔のモータウン系というか、スローテンポのディスコミュージックで、実は当初、指原は自らが初のセンターを務めるこの曲が大嫌いでした。大号泣するほどだったんです。

アイドルの醍醐味は、アップテンポな曲を歌い、間奏でファンから自分の名前をコールされること。それを求めている人が多く、指原もそうでした。バリバリのアイドルになりたくてAKB48に入ったのに、念願のセンターを勝ち取ったら、スローテンポの曲を歌うことになって、それが嫌だったんだと思います。

ですが、僕は逆で、それまでのアイドルの概念を壊し、ここで指原が違うものをつくっていったほうがいいと感じました。

歌詞を書くとき、キャッチーな言葉を入れようと考えます。全部は歌えないけど、なぜか1フレーズだけ覚えているとか、サビの象徴的なフレーズだけが耳に残るとか、そんな言葉です。そのときに使うのが、“頭の中のリュックサック”です。

僕が19歳か20歳のとき、初めて米ロサンゼルスへ行き、チャイナタウンでご飯を食べたんです。食事が終わって会計をしていると、お皿の上にクッキーがいくつか出てきて、それが“フォーチュンクッキー”でした。割ると中に占いが入っていて面白いなと。その記憶とともに“頭の中のリュックサック”に入った言葉を、『恋するフォーチュンクッキー』を作詞するときに取り出しました。

『フライングゲット』もそうです。たまたまファンの方が「今日はAKBのCDのフラゲ日だから」と話しているのを聞いて、フラゲ日って何だ?と。これは、CDの発売前に購入できる日のことで、正しくは「フライングゲット日」、略してフラゲ日というのだと知りました。これも面白いなと思いました。

ほかにも、『ヘビーローテーション』や『ポニーテールとシュシュ』もそう。面白いな、これは何だろうという体験や疑問がキーワードとなって、“頭の中のリュックサック”に詰まっています。

【ヒットの構造】普遍的なものは強い

僕は、現在62歳ですが、よく「62歳の男性がどうして10代の子たちが共感するような歌詞が書けるのか」と聞かれます。特にメンバーと話したり、ファミレスで女子高生の会話を聞いたり、インタビューをするといったことはしていません。僕がいつも大切にしているのは、“時代が変わっても変わらないもの”なんです。

僕が中高生のときは、好きな女の子ができるとラブレターを書きました。その返事が来るのを、自宅の郵便受けの前で待ち焦がれていたものです。時代が変わり、ラブレターに取って代わったのが電話でした。そしてポケベルになり、次にメールになって、今はLINEです。

手段は変わっても、好きな人に気持ちを伝えたいという思い、好きな人の気持ちを知るまでのドキドキ感は、いつの時代も変わりありません。音楽や本に影響を受けるということも、ファッションに興味を持つことも同じです。

今も昔も変わらないものを見つけて、今はどんな手段やツールなんだろうと考えることで、現代で流行するものに変換できるんです。これがヒットの構造だと考えています。

今はやっているものは何なんだろうと考えるより、自分が10代のころ、20代のころどうだったかを考えるほうが、その世代の気持ちがわかります。逆に、僕が80歳の方のことを考えるのはなかなか難しい。

美空ひばりさんの『川の流れのように』をつくったのは29歳のときで、先輩たちのことはわかりませんでしたが、そのときに感じて書いたことが普遍的だったために伝わったのだと思います。僕らは日々、ヒットや流行をつくることに追われていますが、そこで学んだことは、変わらないもの、普遍的なものは強いということです。

しかし、つくるのは難しい。来年流行るものをつくってくださいと言われたら簡単につくれるかもしれませんが、50年後も続いているそば屋をつくってくださいと言われてもなかなかつくれません。

少し生意気な言い方をすれば、ヒット曲は狙えますが、スタンダードナンバーはつくれない。結果なので。普遍的なもの、変わらないものをつくるのは一番難しいのです。

【情報社会で勝ち抜く術】話題性で“あの”という代名詞を手に入れる

ヒットへの要素として、話題性も欠かせません。

僕がセガの社外取締役になったとき、ゲーム機「ドリームキャスト」のコマーシャル制作を担当しました。当時は、「スーパーファミコン」の人気ゲームの大半が「プレイステーション」に移行したこともあって、プレイステーションの独り勝ち状態だったんです。世間も「プレステのほうが面白い」と評価していました。それを物語るように、プレイステーションの宣伝広告費は150億円ともいわれ、一方、ドリームキャストはその半分もありませんでした。この状況でどう話題性を打ち出したらいいか考えました。

そこで発案したのが、実際にセガの専務取締役だった湯川英一氏が出演したコマーシャルでした。役者ではなく、リアルな会社役員が奮闘する姿もさることながら、子どもたちに「セガなんてだっせーよ」「プレステのほうが面白いよな」と言わせる自虐性も話題になりました。

このコマーシャルの狙いは、湯川専務が話題になることで、当時の人気テレビ番組から引っ張りだこになり、そこで得られる高い宣伝効果でした。広告塔になっていただける人をつくりたかったのです。

コマーシャルが話題になったことや、湯川専務の露出もあって、ドリームキャストには、「セガの“あの”専務が出ていたコマーシャル」「湯川専務が宣伝していた“あの”ゲーム」という、“あの”が付く代名詞が生まれました。“あの”が付くことこそ、正式な名前は憶えていなくても、一般に浸透した証拠、大衆の記憶に残った証です。

世の中にはいろいろな商品があり、さまざまな情報が押し寄せてきます。その中で勝ち抜いていくには、商品に“あの”を打ち出せる取っ掛かりがないといけません。そこが大きな基準になると思っています。

【オリジナリティのある視点】犬の糞を踏んで感動できるか

小さなことで楽しめることも、成功の秘訣かもしれません。そこで大切なのは、“何を見ているか”ということです。

例えば、ニューヨークに行って、帰国してからみんなで思い出話をするとき、「自由の女神があんなに大きかったとは思わなかった」とか「ブロードウェイはすごいね」とかおっしゃる人がいる。悪いことではないですが、行かなくても想像がつくこと、みんながすでに知っていることは、話していても相手の印象に残らないし、話している本人も面白くありません。だから、自分なりのオリジナリティのある視点を持ってみてはどうでしょうか。

僕は何かを見つけたり、遭遇するのが得意で、これまでさまざまなものを見てきました。特に印象に残っているのは、1989年から1年半、NYに住んでいたときのことです。

あるとき、ふとLAにいる友だちのところに行こうと思い立ちました。いつもならスタッフに航空券の手配やホテルの予約をお願いするのですが、このときは全部自分でやってみることにしたのです。航空券を買い、自分でタクシーを呼んで空港まで行き、飛行機に乗って、LAに到着しました。そして、空港カウンターでホテルを予約し、タクシーに乗って、ウエストハリウッドの近くにあるホテルへ向かいました。

ホテルに着いて、タクシーのドアを開け、外に一歩足を出した瞬間、左足が犬の糞を踏んだんです。これに僕はすごく感動した。この日、LAに行こうと思わなかったら、スタッフがホテルの予約をしたら、友人が迎えに来ていたら、僕は犬の糞を踏んでいない。ほかにも、道が混んでいたら、到着が遅れて糞は固まっていたかもしれないし、ホテル前に停められなくて通り過ぎていたかもしれない。それらの可能性も踏まえたら、この糞を踏む確率はどれくらいだったんだろうと。そう考えたら、ものすごく感動して、しばらく動けないほどでした。

この話をすると、ただの糞でしょと言われるのですが、ドラマや映画をつくったり、詞を書いたりするということは、いちいちこういうことを面白がることかもしれないと思っています。つまりは、人生とは“目撃すること”。たくさん目撃して、それを楽しむことが、人生なんだと思います。

「一行日記」のすすめ

「とはいっても、そうそう面白いことはないよ」とおっしゃる方がいるかもしれません。

ならば、今日から日記を付けてみてはどうでしょうか。ただ、僕もそうですが、日記は三日坊主で終わってなかなか続かない。なので、僕が皆さんにおすすめしたいのは、“一行日記”です。今日あったことを、たった一行書くだけです。

続けていくと、そのうち、何も書くことがない日が出てきます。そのとき、人とは不思議なもので、何か書くために行動します。近くの美術館で企画展があるから見に行ってみたり、高校時代の友だちに連絡して一緒に飲まないかと誘ったり、読まずに置いていた本を読みはじめたり、気になっていた映画をNetflixで観たりなど。

つまり、一行日記とは、記録が目的ではなく、今日という“人生のうちの一日”に何か意味を持たせようと意識するためのものです。

一行日記は、あのとき何をしていたかを振り返る楽しさがありますが、それ以上に、今日は何のためにあった一日だったのかを検証できる面白さもあります。嬉しいことも、悲しいことも、悔しかったことも、すべてが今というこの場所につながるためのものだったんだと気付くことができると思います。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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