スーパーCEO列伝
株式会社一家ダイニングプロジェクト
専務取締役 営業統括
秋山 淳
写真/高橋郁子 文/長谷川 敦 | 2018.04.10
株式会社一家ダイニングプロジェクト 専務取締役 営業統括 秋山 淳(あきやま あつし)
1979年、千葉県市川市生まれ。高校時代から「くいどころバー 一家」本八幡店でアルバイト。卒業後、2000年7月、有限会社ロイスカンパニー(現一家ダイニングプロジェクト)入社。02年「こだわりもん一家柏店」料理長就任。09年取締役総料理長就任。新業態「屋台屋 博多劇場」開発などを経て、2015年から専務取締役営業統括就任(現任)。
「自分もこの会社の社員になって、ずっと社長と一緒に働きたい」
そう決意した瞬間のことは、今もはっきりと覚えています。
当時私は専門学校を中退し、地元の駅前にあった「くいどころバー一家本八幡店」でアルバイトをしていました。社長は本八幡店、船橋店に次いで3号店を柏に出店する準備を進めていて、私もヘルプで立ち上げにかかわることになりました。
社長は内装のアイデアを自分で練り、食器や調理器具の選択も自分で行いました。工事が始まると、最初はコンクリート打ちっ放しのスケルトンだった空間が、少しずつ社長のイメージ通りのお店の形になっていきます。
そしてオープン当日。夜が深まると共に、お客様の数が増えて、やがて満席に。お酒も手伝って、次第にお客様の笑い声が大きくなります。厨房からは何かを焼いているフライパンの音が聞こえてきます。私は飲食店が最もにぎやかになるこの時間帯の「音」と「匂い」と「笑い声」が大好きです。
そのときふと社長の姿が目に入りました。「ああ、まったく何もないゼロからイチを創れるのはこういう人なんだ。自分はすごい人のすぐ近くにいるんだな」と思ったのです。
実は社長からは、たびたび「うちの会社の社員にならないか」と誘われていました。確かに飲食業には興味がありましたが、地元の知人から「あいつ専門学校を中退して、駅前の居酒屋に就職したんだってさ」と言われるのが恥ずかしくて、社長の勧誘から逃げ回っていました。でも「こんなにカッコイイ人が、自分を必要としてくれているのだから、これは社員になるしかない」とあの瞬間に心を決めたのです。
あのとき社長に抱いた「ゼロからイチを創れる人」というイメージは、20年近く経った今もまったく変わりません。
社長が抜きん出ているのは、圧倒的なイメージ力です。例えば今、当社の主力業態になっている「屋台屋 博多劇場」のアイデアは、社長が私たちと一緒に福岡の中州の屋台街を飲み歩いているときに生まれました。
中州の屋台街は、川沿いに30軒ぐらいのお店が所狭しと軒を連ねています。料理がおいしいだけでなく、大将や女将さんとのやりとりも楽しく、また偶然隣り合った見知らぬ客同士の間でコミュニケーションが生まれる。
そして夜遅くまで何軒でもハシゴできる楽しさがある。社長はそのとき「この屋台街全体の活気や楽しさをそのまま再現したような劇場型の居酒屋ができないだろうか」と思いついたのです。これが「屋台屋 博多劇場」です。
社長は一度アイデアを思いつくと、どんどん想像力が膨らみ、細部にまでイメージが及んでいきます。だから「屋台屋 博多劇場」の1号店の立ち上げのときは大変でした。「テーブルの角度はこう揃えろ」「暖簾はちょうどお客様の顔が見える高さに」とこだわりが半端ではなかったからです。
きっと社長の頭の中では、新業態のプランニングをどう進めていくか、という大きなことから、店内の内装の具体的な細部のイメージまで、すべてカラーの立体図になってできあがっているのだと思います。
ですから私たちの役割は、社長がゼロからイチを生み出したときに「社長が何を考え、何を作り出そうとしているのか」を的確につかみ取り、イチを10にし、10を100にしていくことです。
社長も20歳で創業した頃は、周りは年上の社員ばかりで苦労したと思います。ゼロからイチを生み出して新しいことに挑戦したくても、年上社員の抵抗が強ければ、なかなか思うように物事を進めることができません。
本当に自分の思いを形にしやすくなったのは、私のようなアルバイトからの入社組や、2003年から始めた新卒採用の人材が育ってきて、会社の中枢を任せられるようになってきてからだろうと思います。
我々の世代が中心メンバーになってから、社長の思いや会社の理念に対して、理解とともに共感し、その思いを実現するために行動できる人材がそろってきました。
ちなみに社長は、ゼロからイチを生み出すことにエネルギーを注ぎ込んでいるせいか、ほかのことに関しては、典型的なB型人間というか、かなりのズボラです(笑)。
まず忘れ物が本当に多い。メモなんてまったくとらないし、お札の向きを揃えたり、新幹線を降りるときにリクライニングシートを元に戻したりもしません。代わりに私が一緒にいる時は忘れ物がないかチェックし、リクライニングシートを戻しています(笑)。そんな社長が私は大好きなんですけどね。
これまでの当社の歩みを振り返って一番のピンチは、2002年からの数年間、業績が大きく悪化したときでした。
経営が厳しくなると、経営者の足は自然と現場から遠のきがちになるものですが、うちの社長もそうでした。当時、私は柏店にいましたが、柏は当社の店舗の中でもぽつんと離れた場所に位置していたこともあって、社長と会う回数は目に見えて減りました。
社長はコスト面ばかりを気にするようになり、お客様の満足度の方を優先させたい私たちとの間で、気持ちのズレが起きていました。あの頃の私が社長に対して思っていたのは、「苦しみを一人で抱え込まないで、いま会社がどんな状況にあって、これからどうしていけばいいのか、もっと本音で話し合いたいのに」ということでした。
スタッフの誰もが「何とかしなければいけない」と危機感は抱いていました。でもみんなの気持ちを一つにできる方向性が定まっていませんでした。
ただしあの厳しい時期があったことで、社長も大きく変わったと思います。ある時期から積極的に外部の研修会などに出向くようになり、同じ飲食業界の様々な経営者たちと情報交換をするようになったからです。
私の印象では、社長は本来、外に出るのはあまり好きではなかったと思います。それよりは私たち仲間と一緒にいる方を好んだはず。外に出れば、自分よりも才覚を発揮している経営者を目の当たりにし、自信を失いそうになったこともあったでしょう。
しかし一方で刺激を受け、共に学び合い、成長し合える経営者仲間と出会えるチャンスが広がります。社長は後者を優先させたのです。私もいろんなところに一緒に連れて行ってもらいました。
その頃から社長は、他社の優れた事例を積極的に自社に取り入れ、何でも試してみるように。またチームとしての一体感を高めるためのイベントや、社訓をつくり、会社の理念を浸透させるための勉強会にも力を入れるようになりました。こうして社長の姿勢が変わったことで、社内の雰囲気も少しずつ変わり、やがて業績もV字回復を果たすに至ります。
社長の魅力のひとつに、“巻き込み力”がありますね。社長が同席する飲み会で、盛り上がらない飲み会はまずありません。参加者がどんなメンバーでも、必ず盛り上がる話題を見つけ、みんなを楽しませます。
人に喜んでもらえることが、社長の最大の喜びなんだと思います。だから社員は、社長の姿を見ることで「人を喜ばせるとか、おもてなしをするというのは、こういうことなのか」と学ぶ。そして自らも実践しようとします。
会社として大切にしたいと思っていることを社長自身が真っ先に体現している。これが当社の一番の強みだと思いますね。
思いついたアイデアを圧倒的なイメージ力で具体的なプランに落とし込み、形にしていく力がある。細部に対するこだわりもすごい。
他社の優れた事例は積極的に吸収し、自社に合っているかどうか、まずは何でも試してみるという素直さを持っている。
人を喜ばせるプロ、おもてなしのプロとして、メンバーみんなを巻き込み、楽しませ、その気にさせる天性の才能の持ち主。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美