スーパーCEO列伝
株式会社DDホールディングス
代表取締役社長グループCEO
松村厚久
写真/宮下 潤 文/髙橋光二 マンガ/M41 Co.,Ltd | 2015.08.10
株式会社DDホールディングス 代表取締役社長グループCEO 松村厚久(まつむら あつひさ)
1967年3月29日生まれ、高知県出身。日本大学理工学部卒業。89年、日拓エンタープライズ入社。95年、独立して日焼けサロン経営。96年、エイアンドワイビューティサプライを設立。2001年に飲食業に初参入し、銀座で「VAMPIRE CAFE」をオープン。以降も独自の発想によるコンセプトレストランを次々と打ち出し、02年に株式会社ダイヤモンドダイニングに社名変更。07年、大証ヘラクレス上場。2011年「100店舗100業態」を達成。2015年に東証1部上場。2017年9月に持株会社体制に移行したのに伴いDDホールディングスに社名変更。直営店は国内外で約480店舗展開(2020年5月)。2015年に発売された『熱狂宣言』(著・小松成美、幻冬舎刊)の中で、自らが若年性パーキンソン病であることを公表。2018年11月4日、自身主演のドキュメンタリー映画『熱狂宣言』が公開された。
“フード界のファンタジスタ”“食とエンターテインメントを融合させた天才”などと絶賛される一方、“異端児”“目立ちたがり屋”“ビックマウス”と揶揄されることも少なくない、松村氏。だからこそ、奇跡の“100業態100店舗”を達成し、東証一部上場まで成し遂げられたのだ。そんな松村氏のすべてがこの本で明らかになった。その読みどころとは?
まだ治療法が確立されていない難病「若年性パーキンソン病」と告げられたのは2006年。社長である松村氏は、その責務から病気のことは公表せず、一人憂鬱の底に沈む夜を過ごすこともあった。
しかし、土佐のいごっそう(頑固で豪快で一本気の意)”の松村氏は、「可哀想」と思われることには耐えられない。「圧倒的な勝者になってやるしかない。この病気は自分の運命だった。この病気になったからこそ、自分の思いや夢に限界がなくなった。命ある限り、ダイヤモンドダイニングを前人未踏の業績を刻む会社にしてみせる」と奮い立った。
医者から告げられた「薬が有効的とされているのは5年間です」という言葉に、「5年あればいろいろな目標を達成できる」と考えた。そして、見事、株式上場、“100業態100店舗”という快挙を達成。2015年7月には東証一部に指定変更をし、「世界一のエンターテインメント企業」に向けて飛躍を続ける。病気が松村氏をさらなる熱狂に駆り立てているのだ。
松村氏の店づくりの根底には、「外食をしてもらうための動機づくり」がある。おいしいのは当たり前。わざわざその店に行かなければならない理由、強烈なインパクトがなければならない。徹底的に尖らせる。すべてがオンリー・ワンの店。
業態開発NO.1の会社として“100業態100店舗”を目指したのは、そこに狙いがある。通常の飲食店が、ある業態に成功すると、同じ業態のチェーン化を図る。松村の戦略は、真逆だ。この考え方が基軸にあるからこそ、“個店主義”“現場重視・顧客重視の経営”が実践でき、競合との強烈な差別化を可能ならしめているのである。
“100業態100店舗”を打ち出したのは2005年1月。その時はわずか8店舗。その翌年に病気が発覚しながら、2007年にはヘラクレス(現JASDAQ)に上場し、2010年には目標を達成している。逆境をも推進力に変える、松村氏の圧倒的な熱狂が伺える。
「クリエイティブは目から入る」が松村氏の持論だ。第1号店の「VAMPIRE CAFÉ」も新婚旅行で行った“世界一怖い”というアメリカのお化け屋敷を体験したことから“本格的エンターテインメント・レストラン”というコンセプトを着想。以来、とにかく自分の目で見て、体験することに重きを置いている。
その良い例が “百軒のぞき”。「時間の許す限り、毎日外食して、時間と体力が許せば、2軒目にも行く。とにかく外食していろんな店を見ることで、マーケットのリアル感を肌で感じることができるからだ」。まさに体を張って市場に対峙しているのだ。
さらに、飲食とは直接無関係に思える女性誌や映画など、あらゆるクリエイティブなものを見てインプットしている。「僕は、アウトプットするためには、様々なモノを見て、見て、見まくるしかないと思って実践している」と言う。
東京の新名所「KAWAII MONSTER CAFE 」。
1号店の「VAMPIRE CAFE」の店内。
松村氏は仲間に恵まれている。ネクシィーズの近藤太香巳氏には「いつも元気をもらっている」と語り、「牛角」を創業した西山知義氏(現・ダイニングイノベーション)には、“熱狂宣言”のアイデアをもらっている。
いつも励まされているというゼットンの稲本健一氏には、新業態「1967」のクリエイティブ・ディレクターを務めてもらった。松村氏が「よねちゃん」と呼ぶエー・ピーカンパニーの米山久氏は、別荘を隣同士で購入するなど公私を通じて仲が良い。そして、テレビ番組「マネーの虎」で一世を風靡した安田久氏を「かけがえのない兄貴分」と慕っている。
近藤氏以外の4人は同じ飲食業界だが、「業界を盛り上げよう!」と意気投合し団結しているのだ。発病後、病気を受け入れ、より真摯に事業に挑むようになった松村氏の魅力が増し、交友関係はさらに深まっている。
松村氏と親交が深い5名。米山久氏、近藤太香巳氏、西山知義氏、安田久氏、稲本健一氏。
“100業態100店舗”を達成できた背景には、徹底した権限委譲がある。同社の店づくりには「お客さんに喜ばれる」「コンセプトを外さない」「適正な利益を上げる」という3つのルールがあり、「このルールを外さない限り、店舗開発のアイデアは自由だ」と松村氏は言う。
さらに、開店のための最強のチームづくりも。企画、宣伝、施設、デザイン、営業など、各ジャンルの専門家を集めた「チームファンタジー」というスペシャリスト集団をつくり、店づくりを全面的に任せるのだ。
現在は、このマネジメントスタイルに磨きをかけ、“個店の強み”と“チェーン店の強み”を掛け合わせた“300業態・1000店舗”にチャレンジしている。「つまり、“縦成長(新店開発)のスペシャリスト”と“横成長(チェーンオペレーション)のスペシャリスト”を増やし自由に力を発揮してもらうのが、当面の僕の仕事」と言う。成長戦略は明快だ。
権限委譲やスペシャリストの育成など、社員の成長団結力こそが同社最大の強み。
フード界のファンタジスタと絶賛され、奇跡の100店舗100業態を達成。さらに、2015年7月には、東証一部上場を成し遂げる松村氏。しかし、その裏では、若年性パーキンソン病という過酷な宿命と戦っていたのだ。松村氏の生い立ちや難病に立ち向かう生活をはじめ、仲間との友情、松村氏を支えるダイヤモンドダイニンググループ社員との熱い絆、そして未来への展望について、描かれた渾身のノンフィクション。
著者/小松 成美(こまつ なるみ)
1962年横浜市生まれ。人気ノンフィクション作家。人物ルポルタージュ、ノンフィクション、インタビュー等の作品を発表。著書に『中田英寿 鼓動』(幻冬舎)『YOSHIKI/佳樹』(角川書店)『全身女優 私たちの森光子』(角川書店)など。
vol.56
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日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美