スーパーCEO列伝

2つの「熱狂宣言」 作家と映画監督が見た松村厚久

『熱狂宣言2』は若年性パーキンソン病との闘いを

ノンフィクション作家

小松成美

文/都田ミツコ 写真/鶴田真実 | 2018.08.10

元サッカー選手の中田英寿氏やプロ野球のイチロー選手ら、名立たるアスリート・著名人のノンフィクションを手がけてきた作家・小松成美さん。彼女が「こんな魅力的なテーマはいない」と語るDDホールディングス代表取締役社長・松村厚久氏はどんな人物なのか? 2011年から取材を続ける小松さんの目を通して、その素顔に迫る。

 ノンフィクション作家 小松成美(こまつなるみ)

神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後に専門学校で広告を学び、1982年に毎日広告社へ入社。放送局勤務などを経て、1989年より執筆を開始、のちに作家へ転身する。数多くの人物ルポルタージュや、アスリートにフォーカスしたノンフィクション、小説を執筆。2015年にはダイヤモンドダイニングの松村厚久社長を取材したノンフィクション『熱狂宣言』(幻冬舎)を発表した。主な著書に『中田英寿 鼓動』(幻冬舎)、『イチロー・オン・イチロー』(新潮社)など。

自分が決めたことのために全力で突き進む人

私は松村さんに作家として出会いました。2011年に知人の紹介で出会い、会食などでご一緒していた松村さんは、2014年6月のある日、一人で私に会いに来たんです。彼は、自分のことをノンフィクションとして書いてほしいと。強く言いました。

「小松成美さんに本を書いてもらうために頑張ってきた。そういう社長になることが目標だった」と。そんなことを言われたのは生まれて初めてで、驚きました。そして、その場で若年性パーキンソン病を患っていると告白を受けたのです。

「この病気になってからの日々を包み隠さず伝えたい。そのために小松さんに執筆してほしいのです」(松村氏)

そうしたストレートな思いを聞いた私は、再び驚き、沈黙しました。けれど同時に、松村さんの思いに報いたい、を考えていました。難病に苦しみながら東証1部上場を目指す松村さんの姿を追い掛けようと決意するのです。

ノンフィクションの執筆が決まり、松村さんの会社(当時はダイヤモンドダイニング)へ取材に行ったら、社員の方たちが「本当に小松成美が来た!」と大騒ぎになった(笑)。松村さんは昔から社員の方たちに「いつか絶対に、中田英寿の本を書いた小松成美に自分も本を書いてもらう」と言い続けていたそうです。

「100店鋪100業態」など、松村さんが“有言実行”で成し遂げたことはたくさんありますが、『熱狂宣言』もそのひとつだった。人に何と言われようと、笑われようと、自分の決めたことのために突き進む方なんです。「志を曲げない」と口にするだけなら簡単ですが、実際にそうして生きてきた人を主題にできたことは、作家として大きな喜びでした。

社員それぞれの心に松村さんへの信頼が息づいている

松村さんから若年性パーキンソン病であることを告白された時期、発症してから10年近くがたっていて、5つある重症度分類のうちの3~4になっていました。それまでご家族以外の誰にも一切話していなかったそうです。

周囲の方たちは松村さんが病気であることを知っていたでしょう。でも、友人や外食業界の盟友たちもそのことに一言も触れなかった。一番近くにいる秘書さんをはじめ社員全員も「社長が何も話さないのだから、それがライトウェイ(正しい道)なんだ」と信じて、何も聞かずに黙って働いていました。

それは、松村厚久という人物への信頼や愛情が、社員の方たちのそれぞれの心に宿っていたからこそ。

松村さんは誰に対しても誠実であることをとても大切にしているので、「この人には話してあの人には話さない」ということをよしとしなかった。本の中で真実を明らかにすると決め、会って間もない私を信じて託してくださった。そこにとてつもなく大きな誠意を感じました。

『熱狂宣言』の出版後に、「この本で真実を知れてよかった」と社員の方たちからお礼を言っていただくことがありました。私はたくさんの主人公を文章にして描いてきましたが、こんなふうに私のところへ自らやってきた方はほかにいません。

今でも『熱狂宣言』と「松村厚久」は私にとって特別なんです。

足の引っ張り合いはやめて外食業界全体で上がっていこう!

彼の人柄を表すエピソードがあります。2011年の東日本大震災の後、外食業界のお店は大小かかわらず、皆この上なく苦しい状況に追い込まれました。そのとき、松村さんは一度でも名刺交換した同業者全員に、電話を掛けて回ったそうです。

「大丈夫ですか? 困ったことがあったら連絡をください」「現金を大事にしてください。家主さんに家賃の交渉をしましょう」とアドバイスをして回りました。どんな店も倒産しないように手を携えましょう、アライアンス(同盟)を組みましょう、と言ったんです。

DDホールディングス(DDHD)の取締役でもある稲本健一さんが、「松村厚久が表舞台に登場したことで、外食業界はビフォー・アフターと言えるくらい変わった」と言っていました。

それまでは「どこかが悪くなればうちにチャンスがくる」という競争意識しかなかった。でも松村さんが「外食業界はみんな仲良くして、共に活性化して売り上げを伸ばしていこう」と言ってからは、外食業界の経営者はお互いを気遣い、応援し合えるようになった。

現在では、同業各社がともに成長していこうと同じ気持ちを抱けるまでになっている。松村さんは言いました。

「どんな人でも毎日同じお店で食べるわけではないですよね。大切なのは、お客さんが街に出て、今日はこのお店、次はあのお店、と外食を楽しむようになること。そうすれば絶対に外食業界全体の数字が上がっていき、活性化する。日本の食文化を盛り上げるためにも、外食業界は仲良くしなければならないんです」

誰かが落ち込んでいたら横のネットワークでアドバイスし、助け合っています。松村さんはこうしたムーブメントを起こし、ベンチャー外食企業に新たな光を射した方だと思います。

なぜ、こんなにも松村社長に惹き付けられるのか?

現在の松村さんはスーパー経営者ですが、独立し、店の経営を始めめた頃には「上場」がどういうことなのかも知らなかったそうです(笑)。

でも彼のすごいところは、「プロフェッショナルを信じて任せる」ところ。自分は万能ではないからと、それぞれの分野のエキスパートに任せ、任せたら口を出さない。報告も強いない。

もちろん、そうして人に裏切られた経験もあるでしょう。でも信じることをやめない。「あなたに任せるために今この場所、この環境はあるんですよ」と伝えるんです。

その言葉だけで、松村さんの下でなら自分を表現し、才能を発揮することができるとみんなが集まってきて、最大限の実力を発揮する。それが掛け算以上の効果になっていくんですね。

昔から言われていることですが“企業は人”だと思います。松村さんの会社がなぜこれだけ急成長を遂げたかといえば、やっぱりその心だと思います。彼がとてもピュアであること、そして彼に心を重ねる人が本当に善き人たちであること。

そういう人たちが同じ方向を向いて懸命に走っている。大きくなれば成るほど、一体感が増していくのがDDHDです。数字、業績もその一体感と相まって上がっていきました。

誰もが「生きた軌跡を残せる」会社

松村さんのような経営者を私はほかに知りません。誰よりも売上や目標達成に厳しく、男性社員に檄を飛ばす。一方でユーモアがあって、女性には優しくて絶対に怒りません。

東証1部上場をやり遂げるような隙のない経営者でありながら、自ら“アカレンジャー”に扮して場を盛り上げたこともありました。故郷である高知県の「よさこい祭」に参加し、高知LOVEを社員の方々と体現しています。。

DDHDにいると、みんなが社長に驚かされたり楽しませてもらったりしていて、普通の会社ではなかなか見られない熱気、熱狂があります。社員の方たちにも、松村さんの熱き魂に応えようと、仕事をしていきます。そうした楽しみがDDHDにはあると思うんです。

DDHDの理念やホスピタリティは、松村さんの人格によって築かれています。そして、それを信じた社員たちが、松村さんと同じように、誠実に自分の役割を実行している。そういう意味では単に数字や業績だけを追いかける企業ではなく、誰もが生きた軌跡を残せる企業だと思います。

「絶対に降りない」若年性パーキンソン病との闘い

『熱狂宣言』で若年性パーキンソン病を告白したことで、松村さんは「広く正しく真実を伝えることができた」と喜んでくださいました。

作品を発表した当初、株主や社員から「なぜずっと黙っていたのか」と責めの言葉があるのではと危惧しましたが、そうしたことは一切ありませんでした。むしろ、勇気をもらった、困難に立ち向かう松村さんの姿に感動した、というメッセージをたくさんいただきました。それは今も続いています。今では松村さんは、「この病気との戦いも人生の命題のひとつであり、絶対に降りない」と宣言しています。

今も松村さんの取材を続けていますが、『熱狂宣言2』は、パーキンソン病との戦いが大きなテーマになってきます。

パーキンソン病の治療は現在も研究が進められていて、京都大学の高橋淳教授(京都大学iPS細胞研究所)が「iPS細胞はパーキンソン病に有効である」という実験結果を発表し、治験が開始されることが報じられています。

松村さんは「世界で初めてパーキンソン病が治った人になりたい!」と言っています。彼は「有言実行」の人ですから、私は作家として、その姿を追いかけたいですね。

 『熱狂宣言』(2015年8月7日発刊、幻冬舎)

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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