ヒラメキから突破への方程式

ミドリムシが地球を救う その未来は、すぐそこまで

株式会社ユーグレナ

代表取締役社長

出雲 充

写真/宮下 潤 文/薮下佳代 | 2013.12.10

会社名である「ユーグレナ」とは「ミドリムシ」の学名。この小さな生物が、環境、食料、エネルギーなど、世界を取り巻くさまざまな問題を解決する糸口になるといわれている。「ミドリムシが地球を救う」。その言葉は、決して壮大な夢物語ではなく、実現可能な夢。株式会社ユーグレナの代表取締役社長の出雲充氏が人生を賭けて挑んだ「ミドリムシ」との出会いとは。

株式会社ユーグレナ 代表取締役社長 出雲 充(いずもみつる)

1980年東京都生まれ。2002年東京大学農学部農業構造経営学専修過程卒業後、東京三菱銀行に入行。退職後、2005年8月株式会社ユーグレナを創業し代表取締役に就任。同年12月に微細藻ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の世界でも初となる食用屋外大量培養に成功。2012年、世界経済フォーラム(ダボス会議)で「ヤンググローバルリーダーズ」に選出され、ジャパンベンチャーアワード「経済産業大臣賞」を受賞。同年12月東証マザーズ上場を果たす。

体長0.05mm、その小さな姿は顕微鏡でしか見ることができない。「ミドリムシ」という名前だが、藻の一種で、ワカメやコンブなどと同じ仲間。けれど、決定的に違うのは、光合成を行いながらも、動物のように細胞を変化させて移動することもできるという、植物と動物の要素を兼ね備えていること。ミドリムシは、生物学上、極めて珍しい存在なのだ。

その名の通り、緑色した小さな小さなミドリムシ。地球の未来を変える秘めたるパワーに注目が集まっている。

出雲社長とこのミドリムシの出会いは、大学生時代までさかのぼる。きっかけは、バングラディシュに行ったことだった。

「大学1年の夏休みに初めての海外で、せっかくならあまり開発されていない国へと、バングラディシュに行くことにしたんです。バングラディシュは貧しい国ですから、おなかがすいて困っている子どもがたくさんいるだろうと思い、トランクにいっぱいに栄養補助食品を詰めて持って行ったんです」

けれど、そこには、出雲青年が想像していたような空腹にあえぐ人はいなかった。

「貧しい地域でも、朝昼晩、必ずカレーが出てきて、誰もおなかをすかしてはいなかったんですね。けれど、カレー以外のものがなかった。野菜もフルーツもないですし、お肉も魚も卵も牛乳もない。空腹ではないけれども、4人に1人は栄養失調という現実があった。問題は空腹ではなく、栄養失調だったんです」

どうしたらこの問題を解決できるだろうと出雲青年は考えた。

「その時、ひらめいたのは、仙豆(せんず)があればいいのだということでした」

「仙豆」とは、鳥山明原作のマンガ『ドラゴンボール』に出てくる架空の食べ物のこと。効果は絶大で、たった1粒で空腹を満たし、栄養価が高く、ケガも修復してくれる、夢のような食べものだ。

在籍していた東大の農学部へ行き、仙豆のようなものがあるのかと尋ねた出雲青年は、「豆のなかにぜんぶの栄養素が入っているものなんてあるわけない」と一蹴される。そのとき、「それなら『ミドリムシでしょ』と教えてもらったんです」

植物のなかに、魚や肉などの動物性の栄養素は含まれることはない。けれど、植物でありながら動物の要素もあるミドリムシなら、どちらの栄養素も備えている。

「ミドリムシは、人間に必要な59種類の栄養素を持っていると聞いて『これだ!』と」

大学3年生の1998年、ミドリムシと初めて出会った。それが“ヒラメキ”だった。

しかし、最大の問題点は、「ミドリムシは大量に培養できない」ということだった。栄養満点のミドリムシは、いろいろなバクテリアや雑菌やプランクトンの餌食となってしまうのだ。

「ミドリムシが大量に培養できれば、栄養失調がなくなることはわかっている。けれど、ミドリムシを大量培養する方法を誰も知らない。そこで、ミドリムシを育てる研究を進めることになったんです」

ミドリムシとの出会いから7年の月日が経った2005年5月。大学の実験室でできることはすべてやりきり、あとは、研究室で想定していることと同じことが小さいフラスコの中ではなくて、実験室の外で大規模にできるかどうかを試す時期がきた。

そして第2の転機が訪れる。沖縄県・石垣島に大量培養に適した培養設備があることを知る。けれど、法人じゃないと借りられないことがわかり、株式会社ユーグレナを設立。起業をし、培養設備を借りる契約をすることになったのだ。その時はまだ、大量培養が成功するかどうかもわからない、まったくの未知の状態での起業だった。プールの賃料や維持費などは、成功したときの出世払いだったという。

「培養設備は賄えないので、ほかに手段がなかったんですよね。オーナーの敷屋さんは、60代で自分の父親と同年代。そんな方がリスクをとるのと、我々とはぜんぜん違う。けれど、難しい決断をしてくださった。世界で誰も成功したことのないことに協力してくれたんですから」

双方がミドリムシに賭けたその数か月後、夢が叶った。会社設立から4か月後の2005年12月16日、世界で初めて、研究室の外でミドリムシを培養することに成功する。そこからは、怒濤の快進撃が始まる……かと思いきや、世の中はそんなに甘くなかった。

「いいものだから、作れば売れるという単純なことではなかったんです。それまでは研究を完成させるのが唯一の仕事だった。それができるようになったら、世界中から注文が殺到すると思い込んでいたんです」

栄養満点なミドリムシの粉末は様々な食品に加工されている。忙しい現代人こそ、うまく取り入れたい。

商品開発の責任者の福本と、研究担当の鈴木の3人でスタートしたユーグレナだったが、3年間まったく売れなかった。

「他社の採用実績がないものを、企業が採用するのは難しいんですね。食品、製薬、化粧品など、あらゆるところをまわりましたが、採用してくれたところはありませんでした。けれど、2008年8月、初めて伊藤忠商事で買っていただくことができた」

それが突破の瞬間だった。

「それからは、9月に日立製作所、12月に新日本石油(当時)、その後は、電通、全日空、清水建設などの企業が共同研究や提携先として採用してくれることになりました。3年間で回った500社のなかで、リスクを初めに取ってくれた会社のことを、ベンチャー企業は一生忘れないと思います」

ミドリムシは、栄養食品として優秀なだけでなく、水質浄化、温暖化対策、プラスチックの原料、飼料、肥料、燃料として利用できることがわかっている。そうした、ミドリムシのさまざまな可能性に、いま注目が集まっている。

「日本はエネルギーを産出できないことが致命的な弱点のひとつだと思うんですが、ミドリムシから飛行機の燃料を作れるようになれば、石油を買う量が減る。ミドリムシによるバイオ燃料は、2020年までに実用化します。日本はもう資源のない国じゃないんです」

2020年といえば、東京オリンピックが開催される年。あと7年。ミドリムシが作る新しい未来を楽しみに待っていよう。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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