“超”私的エクストリームな瞬間

【アイアンマン】

“勝つ強さ”よりも“負けない強さ”が大事!

株式会社バルス

代表取締役社長

高島郁夫

写真/宮下 潤 動画/トップチャンネル 文/菊池徳行 | 2017.01.25

過酷なトライアスロンレースを、さらに“過酷”にした競技、それがアイアンマンレースだ。齢56歳にして初参戦した「アイアンマン アジア・パシフィック チャンピオンシップ メルボルン」で完走を果たし、“アイアンマン”の称号を手に入れた髙島氏を駆り立てたものは何か?

株式会社バルス 代表取締役社長 高島郁夫(たかしま ふみお)

1956年、福井県生まれ。79年、関西大学経済学部卒業後、マルイチセーリング株式会社に入社。90年、福井県今立郡今立町に輸入家具、輸入インテリア用品の販売会社、株式会社バルスを設立。92年、東京・天王洲アイルに「Francfranc」1号店をオープンし、東京へ本社を移転。2002年、ジャスダック市場に株式を上場、BALS HONG KONG LIMITED を設立。05年、東証二部に株式を上場。06年、東証一部に株式を指定替え。10年に中国、11年にシンガポールに法人設立。12年、MBOにより非上場。「Francfranc」「BALS TOKYO」「AGITO」「J-PERIOD」「La Boutique DE LA MAISON」「WTW」を国内外で展開。インテリアという枠組みにとどまらず、ライフスタイルそのものを世界へ向けて提案している。

そもそもアイアンマンレースとは、どのくらいハードな競技なのか? そして、世界を飛び回る超多忙な髙島社長はなぜ、この“過酷”な競技に駆り立てられるのか――。

「トライアスロンと呼ばれる競技は、距離によって呼び名が異なります。スイム1.5km、バイク(自転車)40km、ラン10kmのレースが、“オリンピック・ディスタンス”。オリンピックの正式種目ですね。

それに対してアイアンマンレースは、スイム3.8km、バイク180km、最後に42.195kmのフルマラソンを走破する。ラン、バイク、スイムと、競技順が逆だったら死人が出るかもしれない……。それくらいハードなレースなんです」

実は髙島氏は35歳の時、トライアスロンに初めて挑戦している。彼の地元である福井県のクラブに入り、“オリンピック・ディスタンス”レースに出場したのだ。

「僕の生活においてスポーツは絶対になくてはならないもの。体を動かしてないと気持ちが悪いのです。大学時代から、野球、スキー、ダイビングにサーフィンと、いろんなスポーツを趣味として楽しんでいました。

当時、少し体重が増えていたこともあり、自分は走れるし、泳げるし、あとは自転車があればやれるだろうと、そんな軽い気持ちで挑戦したんですよ。ただ、それからほどなくして事業が急成長し始めて忙しくなり、十数年ほどトライアスロンから遠ざかっていました」

2006年、ゼットンの稲本健一社長を誘い、再びトライアスロンの世界へ復帰。経営者仲間で“M.I.T”(みんな、いっしょに、トライアスロンの略)というチームを結成し、トレーニングを開始する。仲間と共にいくつかのレースに参加するうちに、「60歳でアイアンマンレースに」という目標も明確になってきた……。

「チームのみんなが、どんどんアイアンマンにチャレンジするので、自分も出ないわけにはいかない雰囲気になってきて。ちょっと早めちゃいました(笑)。強く僕の背中を押してくれたのは、パーク・コーポレーションの井上英明社長ですね。

結果2013年3月、オーストラリアで開催された『アイアンマン アジア‐パシフィック チャンピオンシップ メルボルン』に出場することになるのです」

髙島氏が初挑戦したメルボルンでのアイアンマンレースにて。仲間とスタートを待つ髙島氏(右から3人目)。

髙島氏にとって、初となるアイアンマンレース当日、海は荒れに荒れ、2mを超える大きなうねりが立ち、バイクのコースはかなりの強風に見舞われるという最悪のレース環境が待ち受けていた。

しかし髙島氏は、それらの逆境をすべて跳ね除け、「You're an Iron man!」のアナウンスに迎えられながらゴールを切る。初レースの記録は、制限時間の17時間を軽くクリアする、14時間12分42秒だった。

「15人ほどの仲間と一緒に参加し、全員が完走。僕は、後ろから2番目でした。ゴールでみんなが祝福してくれたことは素直にうれしかったけど、実はあまり感動できなかった……。何ですかねー、時間が長すぎるのかな。

最後のランの20kmを過ぎてから、会社のスタッフ、チームの仲間、家族など、みんなのフォローのおかげでゴールできそうだって、ちょっと目頭が熱くなりましたけど。とはいえ、残り20km以上あるから、まだまだと。感動を抑えたままスッとゴールしちゃったんですよ(笑)」

疲れ果てているはずのレース終了後、仲間とお互いの健闘をたたえあい、夜の街に繰り出したという。その翌日に行われたアワードパーティの会場で、ふと思うことがあった。

「ひとつは、こんなにパワーが残っていたなら、もっと飛ばせたな、という後悔(笑)。もうひとつは、自分よりも年配の方々が表彰されている姿を見るにつけ、何歳になってもこの競技は楽しめるんだなぁということ。

ちなみに、稲田弘さんは80歳の時、ハワイのアイアンマンで年代別優勝を飾っています。それなのに自分は、たった1回完走しただけでアイアンマンといえるのか。ならばこれからの人生、アイアンマンとしてどうやって生きていくべきか。なんて、ちょっとカッコいいことを考え始めたんですよ(笑)」

アイアンマンレース種目のスイム、バイク、ランのなかで最も得意とするバイクコースを疾走する髙島氏

そして2014年の7月、髙島氏はドイツで開催された「アイアンマン・フランクフルト」に出場している。しかしスイムを順調にこなし、得意のバイクで90㎞のコース2周目に入ったところで、腰痛が激化……残念ながらリタイアとなった。

「もともと腰痛持ちで、体幹トレーニングが足りなかったことが反省点。腰が大丈夫だったら、13時間台が出せそうだっただけに残念でした。まあ、ちょっと慢心していたというか、タイムを狙えると考えたこと自体がおこがましいというか……。ゴールにたどり着ければOKみたいな競技なので、下手にいろいろ意識すること自体、まだまだ甘いなと」

悔しくて、翌日のアワードパーティの時に、来年の同レースへのエントリーを済ませたという。「長くこの競技を続けていきたいと思っています」と言うとおり、これからもアイアンマンレースと付き合いながら、髙島氏の経営者人生は続いていくようだ。

最後に若き起業家たちへのメッセージを聞いた。

「経営もレースも、山あり谷あり。でも、明確な志と目標を持って必死で頑張れば、少なくともゴールは近づいてくるわけだし、最後まであきらめなければゴールにたどり着くことはできます。

過酷といわれるアイアンマンに挑戦したことで、その思いがより明確になったし、人生のなかで絶対に無理なことってあまりないんじゃないかと。

特に若い人たちに伝えたいのは、“勝つ強さ”よりも“負けない強さ”を大事にすべきということですね。そういった意味でも、若いうちに、たくさん痛い目に遭ったほうがいい。挑戦とそれにともなう痛みは必ず、未来の強い自分をつくってくれる栄養になるんですよ」

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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