ヒラメキから突破への方程式

ブランド力の源は“ローカル主義”「崎陽軒」3代目の経営戦略

株式会社崎陽軒

取締役社長

野並直文

写真/芹澤裕介 文/松本 理惠子 | 2017.04.10

1日に約2万3千個を売り上げる駅弁「シウマイ弁当」や、浜っ子のソウルフード「昔ながらのシウマイ」で知られる崎陽軒。同社が109年もの間、“横浜の顔”として成長を続けてこられた理由は徹底した“ローカル主義”にある。3代目社長である野並直文氏が強く打ち出すキーワード「ローカル」から、崎陽軒の成功の秘密をひも解く。

株式会社崎陽軒 取締役社長 野並直文(のなみ なおぶみ)

1949年生まれ。1971年、慶應義塾大学商学部卒。1980年、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。学生時代から崎陽軒でアルバイトをする。1972年、23歳で株式会社崎陽軒に入社。31歳まで弁当やシウマイ作りなど現場で経験を積み、1979年に取締役に就任。1991年、42歳という若さで取締役社長に就任、崎陽軒3代目社長に。引き継いだ借入金約20億円をゼロにしている。

創業100年を超えてなお成長する稀有な企業

株式会社崎陽軒は、1908年(明治41年)に創業した。今の会社を率いる3代目社長の野並直文氏は、初代・野並茂吉氏の孫であり、2代目・野並豊氏の長男だ。昔から「会社を潰す」と言われる運命の3代目。しかし、彼には当てはまらない。

野並氏は1991年に社長就任して以来、老舗の暖簾を守るばかりでなく、新たな戦略をもってブランドをより盤石にしてきた。近年の業績を言えば、2016年度まで5期連続で過去最高売上高を記録。また、1996年には横浜駅東口に本店ビルを開業し、婚礼事業にも乗り出すなど、新たな分野でも手応えをつかんでいる。

横浜の名所「崎陽軒本店」。8階建てビル内にはシウマイなどの物販コーナーの他、レストランや宴会場、会議室、ウエディング場まで備える。

昨年11月には、東京駅に「横濱崎陽軒(シウマイBAR)」をオープン。全国から有名店が集結するグルメストリートに“横浜代表”として出店した。

「新幹線を待つ間に、シウマイをつまみに“ちょい飲み”できる空間がコンセプトです。行列ができることもあるなど、思った以上の反響に驚いています」(野並直文氏)

東京駅一番街にある「横濱 崎陽軒(シウマイBAR)」

シウマイ弁当の中でシウマイに次ぐ人気の「筍煮」。シウマイBARではそれだけを注文できる。

また、今年5月には新たな弁当工場が稼働する。

「近年の人気上昇で、製造が追いつかなくなったための拡大です。これまでゴールデンウィークなど繁忙期になると、弁当の大量注文に応えられないことがありましたが、これからはお客様に残念な思いをさせずに済みます」

試行錯誤の末に誕生した2つのホームラン商品

今や地元人気にとどまらず、全国区になりつつある崎陽軒だが、ここまで来るのには紆余曲折があった。

「創業当初は駅弁が売れず、苦戦を強いられました。横浜駅を通過するとき、乗客は東京駅で買った弁当をまだ食べている最中です。それに、横浜は歴史の浅い街で、まだ“名物”と呼べる食べ物もありませんでした。このままでは会社が立ち行かない……と悩んだ初代が、『名物が無いのならつくればよい』と考え出したのが、シウマイです」

定番商品「昔ながらのシウマイ 15個入」(620円税込)。横浜工場では、1日に約80万個のシウマイを製造。

当時、初代は南京街(現在の中華街)の食堂で突き出しに出されていた“シューマイ”に目をつけ、腕利きの点心職人をスカウトして開発にあたった。そして1928年、豚肉と干し貝柱を使うことで“冷めてもおいしいシウマイ”が誕生。横浜駅で真っ赤な衣装に身を包んだ「シウマイ娘」が手売りすることで、一躍話題となった。

もう一つの名物「シウマイ弁当」は、1954年に開発。その後もおかずの内容を試行錯誤しながら、現在のスタイルに落ち着く。

1日2万3千個を売り上げる「シウマイ弁当」(830円税込)。横浜本社工場で生産されるものはひもで結わえられ、東京工場で生産されるものは被せ蓋がされる違いも。

「シウマイは、これが完成形。ですから、何も変えません」と野並氏は言い切る。100年を超える崎陽軒を支えているもののひとつには、“変わらないおいしさ”で人々を引きつける究極まで突き詰めた看板商品があることは確かだ。

“ローカル企業”への方向転換が功を奏す

さて、崎陽軒にとって第1のブレークスルーが「初代のシウマイ」、第2が「シウマイ弁当」であるならば、第3のブレークスルーは「3代目によるローカル主義の徹底」になるだろう。

社長就任前、先代から「全国展開すべきか、ローカル路線で行くか」の問いを受けた野並氏は、悩んだ末にローカル路線を選ぶ。多くの企業が全国展開を目指すなかで、この選択は異色に映る。だが結果として、これが第3の起爆剤になった。

「決断のきっかけは、当時、大分県知事だった平松守彦氏が提唱する『一村一品運動』を知ったことです。『真にローカルなものがインターナショナルになり得る』との言葉にハッとしました」

そして野並氏は7年前、それまで全国の食品スーパーで展開していたシウマイ販売からの撤退を英断。当時、スーパーでのシウマイの売れ行きは好調で、社員からは疑問の声も上がった。ところが、地元でしか売らなくなってからほどなくして、面白い現象が起こる。

「ますますシウマイが売れ出しました。地元での販売に絞ったことで、逆に“ご当地感”を創出することになったのです。ローカルに徹するほど知名度が上がるというのは、私にとっても意外な発見でした。これこそ商売の醍醐味でしょう」

品質に裏づけられたブランド価値

現在の好調ぶりについて、野並氏は「品質に裏づけられたブランド価値の向上」と分析する。

「シウマイ弁当は、昔からの謝恩会や運動会、親戚の集まりなどの場面で多く食べられてきました。浜っ子にとって“楽しい思い出”とつながる味です。食べて郷愁や情緒を感じるというのは、コンビニ弁当ではできないことではないでしょうか。『みんなで集まるときは崎陽軒』と選んでもらえることが最大の強みです」

ただし、老舗の暖簾を守るには“守り”だけではやっていけない。そこで野並氏は、3代目として“伝統を積極的に解釈していく”ことを心がけている。先輩が目指したものを、自分も目指そうとしているのだ。

「先輩が『名物が無ければつくればよい』とやってきたように、私も新たな横浜名物を生み出したい。シウマイとシウマイ弁当に並ぶのは容易ではありませんが、何かきっと面白いことができるはず。例えば、日本人が好きなモチモチ感やフレッシュ感のある中華テイストのお菓子ができないか、などと考えています」

「横浜に行ったらシウマイ弁当を食べよう」「横浜のお土産は崎陽軒を買ってきてね」という会話が全国津々浦々で交わされる――、そんな未来を見据えて、3代目の挑戦は続く。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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