スーパーCEO列伝

“好き”が革命を起こす

エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社

代表取締役社長CEO

松浦勝人

写真/宮下 潤 文/薮下佳代 マンガ/シンフィールド | 2014.04.10

「好きなことしかできない人」。松浦勝人社長は、自らをシンプルに形容してそう言う。しかし、“好きなこと”を仕事にし、ビジネスとして成功させるのは実は一番むずかしい。ましてや“好きなこと”を突き詰め、創業26年で1380億円超の売上高となるビジネスに急成長させた手腕は並大抵のものではない。どこに秘訣があるのか。

好きなダンスミュージックにのめり込み追求した貸レコード屋時代から、avex traxレーベルの立ち上げ、カリスマ歌姫・浜崎あゆみのプロデュース。音楽産業が激変している現在に至るまで「好き」で一番でユーザーであるという強みを生かす天才のマーケティング術。ビジネスの基本に立ち返る逸話に満ちている。

エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社 代表取締役社長CEO 松浦勝人(まつうら まさと)

大学在学中に、ダンスミュージック好きが高じて貸レコードチェーン「友&愛」の港南台店でアルバイトを始めたところから音楽業界へ。その後、株式会社ミニマックスを設立し、横浜市に「友&愛」上大岡店を開業、ダンスミュージックに強い店舗としてチェーンの中でトップクラスの売上に。1988年エイベックス・ディー・ディー(現在のエイベックス・グループ・ホールディングス)を設立しレコードやCDの輸入卸売業を開始。1990年にレコードレーベルavex traxを設立。2004年9月、エイベックス・グループの持株会社エイベックス・グループ・ホールディングスの代表取締役社長に就任。

松浦勝人 大ヒットの仕掛け 誰よりも一番のユーザーだから人の心を動かす

"好き"なものを多くの人に認めてもらう仕掛けを考え時代に影響を与えるコンテンツを生み出す。貸レコード店から総合エンタテインメント企業へ前に進みながら音楽の楽しみ方に進化を促すその手腕を年代順に追ってみる。

[1992]ダンスミュージック刷り込みの繰り返しで爆発的なヒットを実現

松浦にとって音楽輸入レーベルから音楽メーカーへの進化は、「日本人好みのユーロビートは日本特有のカテゴリーだったので、自分たちで作ることにした」という自然な流れの中でのことだった。

貸レコード時代から培ったダンスミュージックの豊富な知識と人脈を活かし、ヒット曲を生み出す仕組みを戦略的に構築していた。まず、ジュリアナ東京など大人気ディスコのDJに曲を渡してかけてもらう。その曲が繰り返し何度もディスコでかかるようになったその後で、満を持して『ジュリアナ東京』などの名前をつけてコンピレーション・アルバムを出す。

CDの購買層はダンスミュージックが好きな若い世代。ターゲットに合わせCDのCMをTVの深夜枠で流し、最後にレーベル名“avex trax”を入れ、繰り返し視聴者にアピール。CDの売上とエイベックスのブランド力は飛躍的に伸び、CD購入者を東京ドームでのダンスイベントに無料で招待する「avex rave」5万人の集客に繋がった。これもエイベックスが行った日本初の試みだった。

[1996]Every Little Thingアーティストを音楽だけでなくライフスタイルのリーダーに

小室哲哉との出会いのあと、急速に成長したエイベックス。そんな中、松浦が考えていたのは経営リスク。音楽産業が他の産業と大きく違うのは「アーティストが辞めますと言ったら、明日からその分の売上はいきなりゼロになる」ことだ。


「小室さんと衝突して、新しいアーティストを育てざるを得なくなったという実情もあった」と松浦。小室の仕事を見て楽曲制作のノウハウを学び、同時にプロデューサーの肝は作曲家と歌う人とをコーディネートすることにある、と気づいた。そして時代が求めているのは“アイドルの外見を持つアーティスト”だと分かっていた。


そこで、アイドル的容姿の持田香織に貸レコード店「友&愛 上大岡店」アルバイト時代から知る音楽プロデューサー志望の五十嵐充を会わせたところからELTがスタート。ナチュラルで透明感がある持田の個性を打ち出して同世代女性の支持を獲得、女性ファッション誌の表紙を何度も飾ることとなる。持田がファッションやライフスタイルといった面でもナチュラル系のリーダー的存在となっていったのは、それまでのアーティストになかった売り方だった。

[1998]浜崎あゆみ自分の「好き」を他人にも好きにさせた斬新な戦略

「浜崎あゆみの顔をじっと観察したら、僕から見るとビジュアル的に100%完璧だったんです。すごく好きな顔だった」

浜崎あゆみは松浦と出会った当時すでに芸能事務所に所属しグラビアやドラマに出演し始めていたが、エイベックスに移籍し歌手になる、ということに自分を賭けた。松浦はELTが一段落したのち、浜崎あゆみのプロデュースに全力を傾けた。

「僕はどうしても自分中心で、自分が好きなものをどうやったら人にも好きになってもらえるかがずっとテーマ。あゆのときも『売れない顔』といわれたからこそ、宣伝を全部あゆの顔にした」

あゆのポスターを張った車から曲を流して渋谷の街を往復、駅前の巨大なビジョンにも浜崎の映像を流して渋谷の街をあゆ一色にした。アーティストが街をジャックする宣伝方法は当時非常に斬新であり、また彼女の書く歌詞が同世代の女性に響き、あゆは瞬く間にスターダムを駆け上がる。

あゆのブレイクに伴いライヴ、コンサート、アーティストのグッズ、エッセイ、写真集など、広告代理店のような発想で音楽そのもの以外の利益を生み出すビジネスモデルも形が整っていった。

[2001]EXILE“身内”を信じ抜き成功させたダンスユニット

徹底したマーケティングと宣伝戦略を行う松浦だが、“身内”を大事にするのも特徴的といえる。

例えばEXILEのHIROは松浦が「友&愛 上大岡店」を経営していた頃に知り合った。ダンスミュージックばかりを何十枚も借りて行くHIROと、ダンスミュージックが好きで業界に入った松浦は自然と会話を交わすようになり、以降ずっと交友関係を続けてきた。

ZOOのメンバーとして活躍後、新たな道を模索していたHIROは松浦にプロデュースをやってほしい、と直談判。ヴォーカルとダンサーのユニットは通例では意思決定権がヴォーカリストに寄りがちだった例を知る松浦は、あくまでもダンサー中心のユニットを組むようにアドバイス。それが日本で成功例がほとんどなかったダンスユニット中心のグループ、J Soul Brothers(後のEXILE)のデビューにつながった。

交友関係の中にいるいわば“身内”を大成功させるマーケティングの秘訣を聞かれると「その人をとことん信じることが大事」と松浦は言い切る。彼らを後押ししているのは、松浦から彼らへの全幅の信頼だ。そこが、実はマーケティングの天才の“肝”なのだろう。

[2009/2013]プラットフォーム事業常に素人目線を忘れず“常識はずれ”にひるまない

貸しレコード店時代から音楽に関わっていた松浦にとって、メディアの変化は常に敏感に意識せざるを得ないものだった。

「レコードプレーヤーがすごい勢いでなくなった時のように、今はCDプレーヤーやコンポというものもすっかりお目にかからなくなった。一部のノートPCやタブレットにはCDドライバーを差すUSBの口もなくなり、最新のゲーム機ではCDが聴けなくなった。音楽は全部データになってしまう、CDは本当に好きな人のためのマニアックなジャンルになってしまう、そんな危惧は10年前くらいからあった」

エイベックスは上場している企業ゆえ、アーティストの動向に左右されない安定した収益も必要としていた。

2010年に代表取締役を4名にする4代表制へ経営スタイルを一新。松浦CEO以下、千葉龍平CSO、竹内成和CFO、林真司CBOというそれぞれ卓越したビジネス手腕を備えたメンバーでエイベックスの舵取りを行うことになる。その4代表制がスタートした早々に新たに目をつけ注力したのがプラットフォームビジネスだ。


だが当時はまだガラケー全盛期。“有料の携帯コンテンツサービスになど誰も入らない”と酷評されたが、スマートフォンの普及に合わせて600万人近くまで会員数を伸ばす。

さらに2013年には、ソフトバンクと組んで、スマートフォン向け音楽・映像定額配信サービス「UULA」をスタート。松浦の「浦」に由来して名付けた「UULA」はすでに100万人ユーザーを確保している。

「僕は常識を知らなかったから自由に挑戦できた。いまも素人目線を忘れてしまわないように気をつけている」

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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