スーパーCEO列伝
星野リゾート
代表
星野佳路
写真/宮下 潤 文/髙橋光二 マンガ/M41 Co.,Ltd | 2016.02.10
星野リゾート 代表 星野佳路(ほしの よしはる )
1960年、長野県生まれ。軽井沢町にある老舗旅館「星野温泉」の四代目。慶應義塾大学経済学部を卒業後、アメリカのコーネル大学ホテル経営大学院修士課程へ進学。その後、日本航空開発(現・JALホテルズ)に入社。シカゴにて2年間、新ホテルの開 発から開業までの業務に携わる。1989年の帰国後、家業である星野温泉に副社長として入社するも、6カ月で退社し、シティバンクに転職し、リゾート企業の債権回収業務に携わる。1991年、再び星野温泉へ入社し、代表取締役社長に就任する。その後、社名を星野リゾートに変更。「ホテルブレストンコート」「星のや 軽井沢」などの自社リゾート施設を経営する傍ら、2001年より、「リゾナーレ」(山梨県)、「アルファリゾート・トマム」(北海道)、「アルツ磐梯」(福島県)な ど経営破綻した大型リゾート施設の再生活動を開始。2005年からは、ゴールドマン・サックスグループと提携し、「白銀屋」(石川県)、「湯の宿 いづみ 荘」(静岡県)などの温泉旅館の再生活動にも注力。2003年には国土交通省より、第1回観光カリスマに選ばれた。日本の観光産業振興のキーマンとして注目されている。
数多くの世界のリゾートを目の当たりにし、ホテル経営大学院で学び、経営の専門書で理論武装。そんな土台の上で、従業員満足に心を砕き、人と組織の能力を存分に引き出す。そんな“星野流”経営術のキーワードを探る。
1991年に家業の星野温泉に再入社し、生き残るためにトップダウンで企業文化の変革に着手しました。すると、それに馴染めない従業員が次々に退社し、人員の確保に窮するようになります。数年間は人材確保が仕事の大半でした。
そして、95年に社名を都会の若者にも魅力を感じてもらえるよう「星野リゾート」に変更。それとともに「リゾート運営の達人になる」というビジョンを掲げました。“リゾート運営”に徹するというビジネスモデルを明らかにし、それが一番うまい“達人”になると勢いをつけたのです。
バブル崩壊で不動産所有のハイリスクさや経営展開のスピードが出せないことを熟知していた私は、運営すなわちサービス業に徹すると決めていました。投資会社ではないということです。そして、その運営でヒルトンやリッツカールトンといった世界の大手に伍す存在となる。そんな夢を掲げ、従業員確保とモチベーションのリソースとしたのです。この戦略は当たり、続々と新しい優秀な人材が入社するようになりました。
コーネル大学の大学院で学んでいた時、ケン・ブランチャードという組織論の教授に大きな影響を受けました。彼は「誰もが手に入れられる金や土地、利権などはもはや競争力のリソースではなく、これからはいかにスタッフの頭脳を活用するかが企業の競争力を左右する」と言ったのです。そのカギとなるスタッフがやる気になることは、本人の責任ではなく経営者の責務であるということ。
そして、スタッフがやる気になるためには“フラット”であることが必要であるというのです。逆にフラットでなければ思考停止状態になる。ならば当社は“究極のフラット化”を目指そうと考えました。“究極のフラット化”とは、代表である自分は絶対に上から見ないということです。自分も一メンバーとして議論に加わる。
議論では誰にも負けない自信はありましたが、時には自分よりいい意見を言う社員が出現するのです。その瞬間、「それで決定」という空気になる。全員が“究極のフラット”を感じる瞬間でもあります。これでスタッフのモチベーションは劇的に高まりました。
新卒採用で使ったキャッチフレーズです。採用担当者が「会社のミッションや社会的意義を学生にアピールする必要がある」と言うので、「日本の観光産業に貢献する」などと自分の考えを述べると「そんなツマラナイのはダメです」と言い返されたのです。頭に来て、口を衝いた言葉がこれでした(笑)。
当社では、福島県の「アルツ磐梯」や北海道の「アルファリゾートトマム」という冬リゾートを運営していて、スキーやスノボのプロ選手と接する機会も多くあります。彼らはよく「ここの雪はヤバいよね」などと、ヤバいという言葉を“凄い”“Cool”といったいい意味で使っていたのです。
若者に通じている採用担当者に認められて、「これなら人に響くかもしれない」と感じました。また、星野リゾートが提供する施設やサービスの新しさや魅力もうまく表現しているかもしれないと思ったのです。逆に、“ヤバい”と感じてもらえるような施設やサービスにしなければ、ブランドを毀損するという危機感の裏返しのようなものですね。
星野リゾートではファシリティそのものが商品であるとは考えていません。商品は、スタッフおよびスタッフが提供するサービスです。ファシリティは、そんなスタッフが活躍する舞台に過ぎないという考え方。
ファシリティそのものは、劣化し続けます。特に再生施設のファシリティは古く、それ自体の商品としての競争力は乏しい。お客様を惹きつけてやまないのは、スタッフのサービスのあり方です。クルマがモデルチェンジを繰り返すように、サービスも季節ごとにモデルチェンジをする必要があります。
どんなこだわりを伝えたいのかという“演目”に合わせて、舞台となるファシリティも進化させる。その繰り返しが、お客様を呼ぶ源泉になっていると思っています。
1995年に「リゾート運営の達人になる」というビジョンを決めました。ビジョンは簡単に変更すべきものではありません。当社も20年ほど守ってきたのですが、実は2014年に“ホスピタリティ・イノベーター(Hospitality Innovator)”に変えたのです。
世界に出ていくと覚悟した時「リゾート運営の達人」では物足りないものを感じました。後発の日本のリゾート運営会社がヒルトンやリッツカールトンと対等に闘うには、サービスのあり方にイノベーションを起こす発想をもって臨まなければ勝てないと考えたからです。ヒルトンやリッツとどう違うのかを鮮明に打ち出さなければならない、と。
そのイノベーションの最たるものは、“マルチタスク”。1人のスタッフが何役もこなしながらお客様に最上のサービスを提供するのです。海外の運営会社には絶対的にできないことだと思います。そしてこれにより、運営する施設に高収益をもたらすわけです。世界中の投資家が必ず関心を示すノウハウであると自負しています。
『星野リゾートの教科書』(中沢康彦/著・日経BP社/刊)という本を出版していただいたくらい、当社では高名な先生の書かれた教科書を経営に取り入れています。「究極のフラット化」もその一つです。社員研修でも、私はやたら教科書を引用して話します。自分の言っていることは単なる思いつきのことではなく、しっかりしたセオリーに裏付けられたものであると理解してもらうためです。
ではなぜセオリーを多用するのか。そういったセオリーは、数多くの実例から導き出された確実性の高い“定石”で、それに従って定石を打てば失敗するリスクを最小化できるからです。日本の旅館業ではセオリーなど重視せず、自己流で運営しているところが数多くあります。自己流は当たれば大きいですが、外すリスクも大きいもの。それは当社が取るべき道ではないと考えています。
日本のホテル業界は、まだ世界と対抗する本当の意味で競争力を持てていません。私は日本が本気で世界に出ていくには、日本旅館しかないと思っています。そのためには、日本文化を体験する場所ではなく、あくまでも“西洋ホテルよりも快適だからいく場所”でなければいけません。
「星のや 東京」はそのことを感じてもらえる施設にするつもりです。そのためにも、世界的な大都市である東京に、日本旅館を作れるということは大きいですね。私たちにとって、これはあくまでもスタート。これをきっかけに、世界中の大都市に“日本旅館”をオープンさせたいと思っています。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美