Passion Leaders活動レポート

2022年は“前時代との隔絶の年” 挑戦のための「積小為大」な組織づくり

SBIホールディングス株式会社

代表取締役社長(CEO)

北尾吉孝

文/宮本育 写真/阿部拓歩 | 2022.03.15

2022年最初のパッションリーダーズ全国定例会にて、SBIホールディングス代表取締役社長・北尾吉孝氏の特別講演が行われた。干支学をもとに2022年の年相を読み解き、自身の経験や哲学、そして古典の教えから、この1年を企業経営者としてどう生き抜くべきかを語った。
(2022年1月25日開催 パッションリーダーズ新年賀詞交歓会より)

SBIホールディングス株式会社 代表取締役社長(CEO) 北尾吉孝(きたおよしたか)

1951年生まれ、兵庫県出身。74年、慶應義塾大学経済学部卒業後、野村證券入社。78年、英国ケンブリッジ大学経済学部を卒業。89年、ワッサースタイン・ペレラ・インターナショナル社(ロンドン)常務取締役。91年、野村企業情報取締役。92年、野村證券事業法人三部長。95年、孫正義氏の招聘により、ソフトバンク常務取締役に就任。99年、ソフトバンク・インベストメント(現・SBIホールディングス)の代表取締役CEOとなり、現在に至る。主な著書に『成功企業に学ぶ 実践フィンテック』(日本経済新聞出版社)、『古教心を照らす』(経済界)、『何のために働くのか』(致知出版社)、『進化し続ける経営』(東洋経済新報社)、『実践版 安岡正篤』(プレジデント社)など多数。

【2022年の年相】次の発展を強力に促す年

北尾吉孝氏 2022年は、干支学では「壬寅(じんいん/みずのえとら)」の年です。

「壬寅」の「壬」は、五行説では水の性質の陽、「寅」は木の性質の陽。水と木は、水が木を生じさせることから「相乗関係」や「相生関係」「相称関係」にあります。つまり、今年は互いに手を取り合い、相互に協力することで次への発展が強力に促進される年になるでしょう。

また、「壬」という漢字は、工作する叩き台を表します。モノを載せて負担を担う意から、責任を担う、任務を受けるといった意味が生じました。ほかに、「壬」は「はらむ(妊)」に通じ、万物をはらみ始める意味も持ちます。

「寅」は、矢が真っすぐ向こうに行くように、いつまでも変わることがないということから転じて「誓う」という義があります。同僚で助け合うことを「同寅(どういん)」「寅亮(いんりょう)」といいますが、「寅」には「約束する」「協力する」「助ける」といった意味もあります。やがて「寅」は「演」に通じ、進展を意味するようになります。万物が演然として地上に生じていく、ということです。

漢字からも分かるように「壬寅」という年相は、次の発展を強力に促す年です。それは歴史が証明しています。過去の壬寅の年に起こった出来事を見ていくと、120年前の1902年には、第一次日英同盟の調印がありました。この調印が元で日露戦争につながり、第一次世界大戦への参戦となっていくわけです。

また、60年前には、東京都の常住人口が1000万人を突破しました。東京は世界で最初に1000万人都市になりましたが、当時それだけの人口が居住できるだけのインフラが整っており、その後の経済発展の予兆を見ることができます。そして12月には首都高ができ、オリンピックにつながっていきました。

このように見ていくと、壬寅の年というのはさまざまな出来事の始まりになっていて、そこから時代が変わっていく局面であると言えます。「分岐、転換、前時代との隔絶の年」という年相を踏まえて、2022年に注意すべきことは、事業のチャンスは大きいが、リスクも大きいと心得ておくことです。

特にアメリカの金融政策の行方は日本にも大きな影響を与えます。また、韓国大統領選挙、仏大統領選挙、日本の参議院選挙、そして米中間選挙など、政治のイベントも控えています。世界が動く局面だからこそ、チャンスもあるしリスクもあるのです。

挑戦と進化を目指す企業を支える組織づくり

では次に、年相を踏まえてどのような企業経営をしていくか。「挑戦と進化を目指す企業を支える組織づくり」というテーマでお話をします。

僕は創業社長として長年やってきて、「組織」は極めて大事なものだと感じています。アメリカの経営史学者、アルフレッド・チャンドラーは「組織は戦略に従う」と言いましたが、僕自身もその通りだと考えます。

どんどん挑戦して事業を拡大していこうとする企業では、それに応じて組織づくりをやっていかないと駄目です。組織づくりを精巧かつ緻密にしていかないと、10年持たない会社が多いです。

組織づくりのために必要なポイントは7つ。

  1. 1.事業領域の選択
  2. 2.最初から事業グループの形成を目指す
  3. 3.中核的企業の設置
  4. 4.事業ポートフォリオ構築とシナジー効果の追求
  5. 5.グループビジョンの策定
  6. 6.株主価値の極大化
  7. 7.持株会社体制への移行

広い事業領域か、ニッチマーケットか

まず事業領域の選択について。最初にどんな事業をやるか、自分の会社の強みは何かを定めますが、このとき2つの選び方があります。一つ目は、広く事業領域をとらえることです。

僕の会社のような金融業は、銀行のみでスタートをすると失敗します。膨大な資本金が要るからです。証券は資本金が少なくて済むので最初に証券会社からスタートし、体力をつけてから銀行をやり、さらに保険をやる。このように戦略的に手順を踏んでいくとリスクを減らせます。ただし、証券ビジネスだけでいいと思って始めると、大した会社にはなれません。最初から「金融事業をやるんだ」というビジョンが大事です。

娯楽業も同じです。映画だけでいくのと、映画を娯楽のひとつととらえて、色々な事業をやるのとでは、生き残れる確率が違います。

もう一つの選び方は、徹底的にニッチなマーケットを追求することです。例えば、マヨネーズといえばキューピーというように国民の嗜好が形成されている企業は、長期にわたって生き残っていけます。マヨネーズの世界は奥深く、ロシアでもロシアの国民的マヨネーズがあって、それ以外のマヨネーズはなかなか受け入れられないそうです。

「キャッシュ・カウ」を中核企業に事業グループ化へ

次に、事業を始める最初の段階から「事業グループ化」を目指してください。夢を掲げることで、一つひとつ具現化していくんだという意欲につながり、知恵がわいてきます。僕はそうやってこのSBIグループを大きくしてきました。1999年、ソフトバンクの孫さんから5,000万円を出資してもらい、今では資本金が1,000億円近くになりました。5,000万円ぐらいのお金は今のクラウドファンディングなど利用すれば、そんなに難しいことじゃないかもしれません。

組織を「事業グループ化」する上で中核になれる会社が必要です。いわゆる「キャッシュ・カウ(キャッシュを生み出す会社)」を中核会社にして、株式公開を果たせることが必要です。株式公開する目的は、傘下に企業グループを形成しうる資金力を有するため、資本市場から資金調達できるようにすることが必要です。

そして、資金調達能力がついたら、傘下に企業グループを形成していきます。このとき、資金面だけでなく人材も必要になってきます。優秀な人材を集めるにはどうするか、僕の経験では答えはひとつ、人間力です。全ては「トップの器」にかかっています。

企業間のシナジーがグループを強くする

強いグループを形成するには、グループ企業の相互間にシナジー効果を促進できるように事業ポートフォリオを構築していきます。相互進化と相乗効果でさらに大きく発展できるようにもっていくのです。

例えばSBIグループにはSBI証券があります。それを圧倒的な業界ナンバーワン企業にするために、サポーティング・ファンクションを担う会社をたくさん集めて、SBI証券を支える仕組みをつくっていきました。SBI証券だけがメリットを得るのではなく、SBI証券を支えることでサポーティング・ファンクション企業にもメリットがあるような、企業間にシナジー効果をうまく出せる設計をしてあります。

グループビジョンに必要な4つの要素

ある程度のグループとしての外枠ができてきたら、今度はグループビジョンを策定していかないといけません。

グループビジョンを策定する基準は、第一に、明確なものであること。第二に、全グループ企業の役職員に、事業の戦略的な方向性を認識させるものであること。また、仕事に対するモチベーションを高めるものであること。第三に、実現可能性が高いものであること。実現の難しいものをつくっても到達できないのでは意味がありません。第四に、企業グループの全ての利害関係者に望ましい利益と価値をもたらすものであること。

持株会社を活用せよ

グループが大きくなってくると、今度はもっと外部のいろんな経営資源を取り込みたいと思うようになってきます。そのときの仕組みとしては、事業持株会社を活用します。

さらにもっと進めていくならば、純粋持株会社に移行します。移行を検討する際のポイントは3つ。1つ目は、事業持株会社の段階で期待通りの成果を上げてきたか。2つ目は、事業持株会社と純粋持株会社の違いを十分理解できているか。メリットとデメリットをよく理解しておかなければなりません。3つ目は、純粋持株会社の「あるべき姿」を理解することです。

これらの意思決定についてはやはり勉強が必要でしょう。夢はあっても知識がなければ戦略は立ちません。夢想家で終わります。起業家には誰でもなれますが、事業家になるには知識と戦略が必要です。

僕は今、ゼロからスタートして、売上5,411億円。2021年3月期は過去最高業績を更新していますが、今度の2022年3月期はそれを大幅に上回ります。2021年9月末の連結子会社数は332社、グループの上場企業数は6社。これを全部一代でつくり上げてきました。僕だからできたんじゃありません。皆さん方もその気になればできます。

まず人間力を磨く。そして、多くの有能な人を周りに集める。さらに知識を積み上げていく。「積小為大」という言葉があります。「小を積みて大をなす」そういうことが必要だと思います。

【中国古典から得た経営手法①】「判断の基準」を会得する

ここからは、僕が中国古典から得た経営手法についてお話しします。

まず経営者というのは、朝から晩までいろいろな判断をしていかないといけません。常に時々刻々、状況変化のなかで新しい判断を求められます。そんなときにブレないようにするためにはどうしたらいいのか。判断の基準が必要です。僕の場合は「信・義・仁」の3つで全て判断することにしています。

  • 「信」は社会の信頼を失わないかどうか。
  • 「義」は社会正義に照らし合わせて正しいかどうか。
  • 「仁」は相手の立場になって物事を十分に考えているかどうか。
  • この3つで判断した結果、どんな儲かりそうな話でも「NOなものはNO」であります。

そして、思考力を高めるための「思考の三原則」というものがあります。

1つ目は、安岡正篤先生もよく言うように、「長期的思考」が非常に大事です。『論語』に「遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり」とあります。これは短期的な利害にとらわれないで先のことを考えていくことの大切さを説いています。

この先がどういうふうな世の中になるのか、どういうものが時流になっていくのか。それはいつも何らかの兆しがあります。その兆しから変化を読み取っていく。そして、それが単なるさざなみで終わるのか、潮流に変わるのか、そこを見極める。いずれにしても短期的な理解で物事を考えていたら、大したことはできません。

2つ目は「多面的な思考」。多面的な思考を鍛えるために、僕自身はいろいろな考え方を本や歴史から学びます。「なるほど、昔の人はこういうふうに考えたのか。では僕ならどうするんだ」と、主体的に考えてみるのです。それが役に立った例として、経済学説史を勉強していたときに、重農主義から重商主義を経て、産業革命につながっていく過程で、「重商主義の人は、どういう世の中でどういう主張をしてきたのか」を考えました。

当時生まれてきた、まだ小規模な資本家(ブルジョアジー)のためにどういう理論を出していけば、その人たちがプラスに受け止めてくれるのか。それがまさにアダム・スミスの『国富論』です。アダム・スミスは前時代の重商主義を批判することによって、新しい時代につなげていきました。こういうことを勉強すると、物事にはこういう見方や考え方があるのか、ということが分かってきます。

3つ目は「大局的思考」。これも『論語』の言葉ですが、「君子は本を務む。本立ちて道生ず」とあります。いずれの物事についても枝葉末節だけで判断していては駄目です。根本を把握するように努力しないといけません。

【中国古典から得た経営手法②】先見性を磨く

ニーチェが「偉大とは人々に方向を与えることだ」と言いました。羅針盤が狂っているとなかなか目的地に行けません。だから、リーダーには先見性が必要です。現時点で利用できるあらゆる情報を駆使して、方向を決めていく。しかし、時代が変わればその方向がまた変わる可能性がありますから、常に変化を予期していかないといけません。それも含めて先見性です。

進む方向を決めるにあたっては、社内外の衆知を集めることが必須です。いろいろな人のさまざまな意見を聞く。黙って聞いておけばいいのです。その上で自らの責任において、トップは決断していく。つまり、「独断」はするけれど、「独裁」はしないということです。

絶対してはいけないのは「会して議せず」。集まって議論もろくろくしないで、お茶を飲んで終わり。そして、「議して決せず」。せっかく議論したのに何も決定しない。「決して行われず」。決めたことは、行われて初めて意味があります。

先見性というのは「時局を洞察する」ということでもあります。「聖人は微を見て以って萌を知り、端を見て以って末を知る」と『韓非子(かんぴし)』にありますが、聖人というのはかすかな兆候から、将来の全体を推し量ることができます。わずかな部分を見て結果を知ることが大事で、それができるとリスクなどを「未然に防ぐ」ことができるようになります。

【中国古典から得た経営手法③】「任天」「任運」という考え方

「死生命有り、富貴天に在り」という言葉が『論語』の中にあります。生きるか死ぬかは天命の問題。金持ちになるか偉くなるかは天の采配だという意味です。

自分に起きたことは全部、天命だと思うのがいいのではないかと僕は思っています。「くよくよ考えていてもしょうがない。それが良いことであれ悪いことであれ、天はお前のためにいいと思ってやってくれたのだ。だから、全て天に任せる、運に任せる」という生き方を僕はしてきました。失敗してもくよくよ悩むことはないし、何かに固執することもありません。

これは、言い換えれば「最善観」です。哲学者の森信三が『修身教授録』という著書の中で次のように書いています。

「わが身にふりかかる一切の出来事は、実はこの大宇宙の秩序が、そのように運行するが故に、ここにそのようにわれわれに対して起きるのである。(中略)すなわち、いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとっては、絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです」

何事も絶対必然で、絶対最善だと思うということです。「こんな失敗して、もうどうしようもない」と泣いて明け暮れるより、これも天意で、失敗した方がいいから失敗させてくれたのだと頭を切り替え、新しいことにチャレンジしましょう。失敗するのが8割以上だと最初から思っていれば、失敗したときにA案が駄目ならB案、B案が駄目ならC案、と代案が出てきます。「策に三策あるべし」で考えておけばいいわけです。

【中国古典から得た経営手法④】省くことがまず先

「省くことがまず先」という考え方も大事にしています。耶律楚材(やりつそざい)という人の『十八史略』には、「一利を興すは一害を除くに若かず、一事を生ずるは一事を減すに若かず」とあります。「増やすことばっかり考えずに、減ずることも考えなさい」という意味です。

耶律楚材はチンギス・ハンが54歳のときに出会った一人の若者で、27歳だった彼にチンギス・ハンはグッと惹きつけられました。チンギス・ハンは一瞬その若者を見ただけで、「こいつはただ者ではない」と見抜いたのですね。そして、耶律楚材を自分の宰相にします。耶律楚材は期待に応えて大宰相になるわけですが、彼がいなければおそらくモンゴル帝国はできなかったかもしれません。

【中国古典から得た経営手法⑤】入るを量って出るを制す

「入るを量りて出ずるを為す」は『礼記』の言葉。これは当たり前のことですが、「入る」以上に使うと破綻します。だから、「出る」をコントロールしなさいという意味です。リスクについてもこの考え方が使えます。最大リスクはどこまで取るのか。「これが失敗したら、屋台骨が潰れるのではないか」と思うようなリスクは取ってはいけません。仮にこれが失敗しても潰れることはないと判断したとき、そのリスクを取ればいいのです。

【中国古典から得た経営手法⑥】「仁」の思想と顧客中心主義

「仁」は『論語』の中で最も重要な概念とされています。仁という漢字は「人(にんべん)が二人」と書きます。言語の違う二人が面と向かって座ったら、何とかして意思疎通を図ろうとするでしょう。すると「恕(じょ)」という働きが起こります。恕とはすなわち「相手のことを我がことのように思う」という気持ちです。これが「仁」の本当の意味なのです。

ネットのような相手の顔が見えない世界では、ますます仁の思想が大事になってきます。お客様はどうしたら喜ぶのか、どうやったら怒るのか。対面でやっているとある程度分かりますが、ネットでは反応がすぐに跳ね返ってきません。もちろん、ネットで文句を言ってくる人もいますが、大多数の人は反応しないので分かりません。しかし、ネットによって世の中は消費者主権が確立されました。消費者がより多くの情報を得て、賢くなったということです。ですから、いい加減なことをやっていたら、賢い消費者は、もうその商品やサービスを使わなくなります。

徳の根本として「仁」があります。お互いが、思いやり、親しみ、慈しみ、助け合い、深い慈愛等が基本となる。その心が「仁」です。二人以上の人が集団する社会にあって、この仁という思想は非常に大事です。

交渉やアライアンスの鍵も、「仁」の思想にあります。「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)にしかず」という言葉が『韓非子』にありますが、「巧詐」というのは巧みな言葉、「拙誠」というのは誠実さ。言葉や文化の異なる相手と交渉するときに、基本はお互い人間同士ですから同じようなことで喜び、悲しみます。人間性というのは基本的に変わりませんから、下手な英語でもこちらが誠実に対応しているということは、相手にちゃんと伝わります。だから、自分自身の利益だけを考えるのではなく、常に相手の立場で考えて真心を尽くして向き合うことが大事です。

【中国古典から得た経営手法⑦】歴史と哲学を学ぶ

歴史と哲学を学ぶことを、僕は大事にしてきました。今の学校教育は英・国・社・数・理のうち、受験で大事な英語や数学の時間を確保するために、社会の歴史の時間を削ることもあると聞きますが、もってのほかです。われわれ人類の英知の結集が哲学であり、そして、英知の結果、生まれたいろんな事象の変遷が歴史なのです。だから、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉は真実です。

僕が歴史や哲学を事業経営にどう活かしてきたか。実践例を2つ紹介します。

まず、『孫子の兵法』の中にこういう言葉があります。「凡(およ)そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ」戦い方には正攻法と奇策の2つしかなく、その組み合わせは無限にある、と一般的な『孫子の兵法』の解説書には書いてあります。これをパッと読めば確かにそうなのですが、僕自身はこれを自分のビジネスにどう役立てたか。

証券業をスタートするとき、当社はオンラインの証券で始めました。1999年当時、オンラインを使う人はほとんどいませんでした。特に野村證券のお客様たちは、いわゆる土地売却者名簿と高額所得者名簿を見ながら顧客化してきた人たちですから、どちらかというと年配の人が多いのです。そういう状況でネット領域に足を踏み入れて本当に大丈夫なのかと、僕自身、何度も考えました。

そのとき、オンラインのみでやろうとしないで、オンラインを正攻法にしながら、そこに奇法を加えればいいのではないかと思い至りました。この場合の奇法とはリアルの証券会社がやっているような地域密着や対面の手法のことです。

さらに、このアイデアの大事なところは「循環」です。オンラインで低コストで出発すれば、ある程度の集客はできます。ただ、一人当たりの顧客から得られるコミッション(手数料)はわずかです。コストが低いのでなんとか回せたりはしますが、事業の拡大が本当にこれでできるのかというと難しいでしょう。そこに奇策を加えるのです。

そこで、途中からネットとリアルの融合という方針を出していきました。オンラインではブローカレッジだけをやったりもしました。ブローカレッジとは、売手と買手の取引を仲介するブローカー業務のことです。アンダーライティング(株式会社などが株式、債券、CBなどを新たに発行するとき、証券会社が全部または一部を引き受ける業務)に参入したのも奇策でした。

正攻法の上に奇策をのせて、ボリュームを拡大したところで新たな正攻法を固め、そこにまた奇策をのせて……というふうに「循環」させていく。これが『孫子の兵法』の僕の理解の仕方でした。

もうひとつの実践例は、ヘーゲルの『大論理学』の中にある「量質転化の法則」の応用です。量質転化の法則というのは、量的なものから質的なものへの飛躍です。「ある個別の量的変化は質的変化に転化し、新しい質を持った個別へと変わる。そして変化した個別は、新しい質の運動として新たな量的変化のプロセスを歩んでいく」

僕は、まず量を徹底的に追求します。コミッションを徹底的に安くすると顧客の数が増えます。顧客が増えれば、コンプライアンスを強化する必要性が出てきます。また、いろんな顧客に対応するため、商品のバリエーションを増やすことも必要です。さらに、システムを安定化させるためにサーバーの数を増やさないといけません。そうやって質がどんどん改善されていきます。「量の蓄積が質を規定する」と毛沢東は『矛盾論』の中で言いましたが、まさに量を増やすことによって質が変わるのです。そして、質が改善されるとまた量が増えます。これも「循環」なのです。

【中国古典から得た経営手法⑧】勝算無きところに勝利なし

よく勝算のない戦いをする人がいますが、それはやめたほうがいい。「夫(そ)れ未だ戦わずして廟算するに、勝つ者は算を得ること多きなり」これも『孫子』にあります。「廟(びょう)」は先祖の御霊をまつる建物。そこで作戦会議をすることを「廟算」と言います。廟算して勝ち目ありと判断されたら、やる。勝ち目なしと判断されたことは、やってもしょうがない。勝ち目がないのは時期尚早なのかもしれません。だから、環境変化で時機を得たときに、またやろうとか、あるいは作戦を変えようとか、そういう発想を取ったほうがいいですね。もう決めたからやる、は危険です。

『孫子』には「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而(しか)るを況(いわん)や算なきに於いてをや」とあります。きちんとした計画、勝算があって初めて勝負には勝つ。全く勝算がないでは、負けるに決まっています。

織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いは、信長が天運に恵まれました。義元が楽勝だと思っている不意をついて、大雨が降り、信長は奇襲をかけて勝利した。そういうこともあり得ますが、普通に戦っていたら十中八九負けでした。勝算がないときは勝負しないというのが経営では大事なことです。

意地になってはいけません。僕はもう絶対意地で進むことはしません。僕が新生銀行をTOB(Takeover Bid)した件について新聞や雑誌はあれこれ書いていますが、僕から言わせれば最初から「勝算あり」でした。そもそも勝算のない戦いはやらないし、無駄な弁護士費用も使いません。

「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」と『孫子』にある通り、敵のことを勉強しないで、自分のこともろくに分からないで、戦いを仕掛けても無理です。戦いというのは自分だけのことを知っていても駄目で、相手のことを徹底的に調査しないといけません。いつ頃、向こうは弱ってくるのか。そのタイミングを図ることも非常に大事です。それまでどうやってこちら側は兵を失わずして、じわじわ攻めていくか。

例えば、僕はオンラインの国内株式取引について、「手数料をゼロにします」と宣言しました。そして、次から次へと手数料ゼロの方向に向かって施策を打っていきました。競争相手は負けじといろいろやるのですが、全然収益力が違うので、僕の真似をしても自滅するのです。そういうふうに戦略をつくっていかないといけません。

ある意味で「経営は時間の関数」で、僕が尊敬する田淵義久さん(野村證券の第7代目社長)が、僕に教えてくれたことです。

“戦っているうちに相手がくたくたになっていく。僕もくたくたですが向こうの方が早く死ぬだろう。”これは、時間を関数的に計算しているわけです。時間を計算した上で、早く勝負はつけなさいということも、『孫子』には書いてあります。消耗しないためには短時間で決着をつけることも大事です。

【中国古典から得た経営手法⑨】成功のための四要素

成功のための四要素として「天の時」「地の利」「人の和」「勢い」があります。「天の時」「地の利」「人の和」については、『孟子(もうし)』に出てくる「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」から学びました。「天の時」はタイミングと言い換えてもいいでしょう。「地の利」は、今風に言えば事業領域や事業ポートフォリオです。「人の和」は、組織体制。先述したように、組織づくりは短時間で成功に導く上で、非常に重要な鍵になります。

4つ目の「勢い」は、『孫子』の「善く戦う者は、これを勢に求めて人に責めず」から学びました。「勢い」は、兵隊の責任ではなくリーダーが「行け」と言うときの勢いのこと。この勢いをうまく利用することが大事です。言葉を変えて言えば、時流ですね。

最後に、「事異なれば則ち備え変ず」。「備えあれば憂いなし」という言葉がありますが、今、備えているつもりでも状況が変われば、備えも変えないと駄目だということですね。

われわれは、昔の成功体験に安穏としないで、常に進化していかないといけません。その意味では自己否定というのが必要になります。自分をいっぱい否定してください。「このやり方は間違いではないか」「なんとか成功したように見えるけれども、もっと早いスピードでできたのではないか」それを繰り返していけば、自己否定から自己変革を経て、自己進化につながっていきます。「否定」「変革」「進化」ができれば、環境が変わっても憂うることはありません。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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