Passion Leaders活動レポート

[パッションリーダーズ 特別対談第2回] 見城 徹×近藤 太香巳

「他人ができないことしかやらない」と決めて “圧倒的努力”で作家を口説き付き合ってきた

株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹/株式会社ネクシィーズグループ 代表取締役社長 兼 グループ代表 近藤 太香巳

文/宮本育 写真/二石光正、阿部拓歩 | 2019.11.28

2019年10月29日、「パッションリーダーズ定例セミナー」で開催された、株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城徹氏と、ネクシィーズグループ 近藤太香巳代表との特別対談。第二弾は、角川書店時代から名だたる人気作家たちを魅了してきた、見城氏の“圧倒的努力”について語ってもらった。決して真似ができないからこそ、相手の心を掴み、厚い信頼関係が構築される。見城氏ならではの、“人との関わり方”に触れた。

株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹/株式会社ネクシィーズグループ 代表取締役社長 兼 グループ代表 近藤 太香巳  

▼株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹
1950年12月29日生まれ。1975年に角川書店に入社。「野性時代」副編集長を経て、「月刊カドカワ」編集長に就任し、部数を30倍に伸ばす。400万部を超えた森村誠一の『人間の証明』や、5本の直木賞作品をはじめ、数々のヒット作を手がける。1993年に角川書店を退社後、幻冬舎を設立。『大河の一滴』(五木寛之)、『弟』(石原慎太郎)、『ふたり』(唐沢寿明)、『ダディ』(郷ひろみ)、『永遠の仔』(天童荒太)、『13歳のハローワーク』(村上龍)、『陰日向に咲く』(劇団ひとり)、『心を整える。』(長谷部誠)、『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子)など、26年間で25冊ものミリオンセラーを世に送り出した。著書に『編集者という病』『異端者の快楽』『たった一人の熱狂』『読書という荒野』のほか、サイバーエージェント・藤田晋との共著『憂鬱でなければ、仕事じゃない』、林真理子との共著『過剰な二人』などがある。株式会社ブランジスタ取締役、エイベックス株式会社取締役(非常勤)、株式会社テレビ朝日の放送番組審議会委員長も務める。

▼株式会社ネクシィーズグループ 代表取締役社長 兼 グループ代表 近藤 太香巳
1967年11月1日生まれ。19歳の時、50万円を元手に会社を創業。34歳でナスダック・ジャパン(現ジャスダック)へ株式上場し、37歳で2004年当時最年少創業社長として東証一部に上場。時代が必要とするサービスをいち早く手がけ、携帯電話、インターネットを日本中に普及。現在は、エネルギー環境事業、電子メディア事業、経営者団体「パッションリーダーズ」のいずれも日本一の規模にまで拡大。世界的経済紙 「Forbes(フォーブス)」によるForbes Asia's 200 Best Under A Billion 2018に選定。常に新しい事業領域にチャンレンジを続け、ビジネスパーソンから若者まで情熱あるリーダーとして圧倒的な支持を得ている。JAPAN VENTURE AWARD 2006 最高位 経済産業大臣賞。『シーバスリーガル ゴールドシグネチャー・アワード 2019 Presented by GOETHE』 ビジネスイノベーション部門受賞。

「他の人ができないことしかやらない」と決めた

見城 編集者になったら、好きな作家と仕事がしたいと思っていた。でも、そう考える人はたくさんいるわけで、その中で抜きんでるにはどうしたらいいか考えたね。
で、決めたのが、「他の人が出来ないことしかやらない」ということ。当時は、角川書店に勤務していて、同僚、先輩、上司、社長、誰も出来ない仕事をやろうと決めたんだよ。

五木寛之は、25通の手紙で口説いた

見城 そこで、高校時代から好きだった作家の一人、五木寛之さんと仕事がしたくて、五木さん宛てに25通の手紙を書いた。小さなエッセイでも、雑誌に掲載された短編小説でも、書き下ろしの長編小説でも、発表から5日以内に感想を書いて送った。その内容も、相手にとって刺激的で、新しい発見がないといけない。5日以内に、読んで、そういう手紙を書くのは大変なんだよ。

俺のところにも、そういった手紙がよく来るよ。だけど、みんな、自分のことしか書いていない。今、海外旅行していますとか。そんなことを書いてもしょうがない。

会場 (笑)

見城 相手に対する感想を書かないとダメだよ。例えば、「今回の作品は、10年前のあの作品に出ていた誰々が成長した姿に思えます」とか。五木さんに、そういう手紙を、一つひとつの作品ごとに送った。

投函するのは、だいたい未明で、速達口に入れた後は、ポストに向かって柏手を打ち、「俺の心が五木さんに届きますように」とお願いしていた。でも、徹夜して書いているものだから、意識が朦朧として、帰り道に「入れたか?」ってなる。そうなると不安で仕方がなくなるから、ポストに戻って、朝まで集配の人が来るまで待った。
で、7時10分になって集配の人が来る。すかさず「すみません。俺の手紙、速達のところに入っていますよね?」と。「あなたは何なんですか?」と言われたよ。

会場 (笑)

見城 で、17通目で返事が来て、25通目で会えることになった。すぐ会いに行って、そこからは話がトントン拍子。まもなく『燃える秋』という連載が始まり、単行本はベストセラーになり、映画化もされた。

     『大河の一滴』(幻冬舎文庫)

見城 それ以来、五木さんとはずっと仕事をし、俺が角川書店を辞めて、独立した際も、「幻冬舎」と社名を付けてくれた。そして、幻冬舎から出版した『大河の一滴』は、300万部以上という、当社でもっとも売れた作品となった。

石原慎太郎には、初対面で小説『太陽の季節』を暗唱

見城 好きな作家のもう一人が、石原慎太郎さんで、石原さんに初めて会ったのは、俺が角川書店の新入社員だったとき。一緒に仕事がしたくて、バラの花を石原さんの年齢の本数だけ持って、赤坂の事務所に行った。そしたら、「男からバラの花をもらってもなあ……」と言われて。ま、平凡な手口だよね。でも、俺はそんな平凡なことでは終わらない。

俺は言った。「いやいや、石原さん。自分がどれだけ石原さんのファンかを証明しますよ。あなたとどうしても仕事がしたいんです。あなたの作品がほしいんです。だから、石原さんの代表作『太陽の季節』と『処刑の部屋』をすべて暗記してきました」と。そして、最初に『太陽の季節』から暗唱したんだ。

1ページくらい暗唱したころかな、「わかった、もういい。お前と仕事をする」と。

石原さんの作品は、高校時代から読んでいるので、かなり覚えていたというのもあるけど、それでも、こういうことをする人はいない。

近藤 いないです。

見城 五木さんの手紙、石原さんの暗唱。ほかにも、作家に初めて会うときは、100作以上小説があっても、俺は全部読んでから会いに行った。どの小説の話題が出ても話を合わせられるように、そして、ちゃんとしたことが言えるようにするために。それって、誰もやらないでしょ? そういうものを「圧倒的努力」と言っているんだけど、みんな、圧倒的努力をしていないんだよ。

石原慎太郎に出した「3枚のキラーカード」

見城 『太陽の季節』の暗唱をきっかけに、石原さんとの関係が始まった。俺が幻冬舎を設立して1カ月もしないとき、石原さんから「これからお前を励ましに会社へ行くよ」と電話がかかってきた。まだ、社員が6、7人くらいしかいない雑居ビルに、石原慎太郎さんがやって来たんだ。

見城 そこで、石原さんに言われた。「俺が、まだお前の役に立つんだったら、何でもやるぞ」って。俺はすぐさま、「裕次郎さんのことを書いてください」と言った。それで『弟』という作品が出来て、100万部以上売れた。

俺は、常に200人くらいの表現者と付き合っている。その一人ひとりに「3枚のキラーカード」を用意しなければいけないと思っている。

石原さんに用意した1枚目のキラーカードは「石原裕次郎」だった。これまで石原さんが一度も書いていない、昭和の大スター・石原裕次郎を、芥川賞作家で実兄である石原慎太郎に書いてもらう。これは売れるに決まっている。ミリオンセラーになるのはわかっていた。

2枚目のキラーカードは「老残」。石原さんは『太陽の季節』でデビューした作家。光り輝く青春を謳歌し、そして肉体を謳歌した『太陽の季節』だよ。その『太陽の季節』を書いた人が、歳をとって老残を体験する。シミは出来る、耳は遠くなる、目は悪くなる、頭髪は薄くなる、息は切れる、子どもは離れていく、ゴルフのドライバーは飛ばなくなる、何だか毎日イライラする、いろいろな意味で老いの悲しみと向き合っていく。だから、「老残を書いてくれ」と言った。これは石原慎太郎じゃないと意味がない。

が、石原さんは「俺に老残はない」と。「老いを迎え撃つ」とか言うから、「でも、老残ですよね?」と返したのだけど、「ない」って。

会場 (笑)

見城 老いを迎え撃っては小説にならないから、ならばエッセイを書いてくれと言った。それで生まれたのが『老いてこそ人生』。これもミリオンセラーとなった。

『弟』(幻冬舎文庫)

『老いてこそ人生』(幻冬舎文庫)

『天才』(幻冬舎文庫)

見城 3枚目のキラーカードは「政治」。石原さんは文学者から政治家になった。中川一郎さんの派閥の若頭だった。しかし、1983年1月に中川一郎が自殺する。その死に至る真相を石原さんは見ているわけだし、体験している。それを書かないといけないでしょと。そのカードをいつ出そうか、タイミングを計っていた。二人で温泉に行ったとき、ゴルフをしているとき、飯を食っているとき、いつ切り出そうかと。今、どんな気持ちでいるんだろうと、ワインのグラスの回し方を見ながら、いろいろなことを観察しながら。

で、石原さんに言った。「中川一郎について書くべきだ」と。そしたら、「それは墓場まで持って行く」と。その決心は固かった。ただ政治家は書くべきだとずっと思っていた。中川一郎を書かないなら石原さんの天敵だった田中角栄を書くのがいいとずっと考えていた。そのことを石原さんに切り出す前に石原さんの方から「今、田中角栄を書いている」と言って来た。だから飛びついたんだ。タイトルは僕が決めた。それで『天才』という、田中角栄の一人称で描いた小説が出来た。これもミリオンセラーとなった。

小さなことを大事にしない人は、大きな仕事もできない

見城 3枚のキラーカードをすべて切って、完勝。そういうことを、いろいろな作家やミュージシャン、俳優とやってきている。

近藤 よく、ケン兄は、「暗闇の中で、100m先の針の穴に糸を通すくらいの気持ちでやることが仕事だ」と言っていますものね。

見城 真っ暗闇の100m先にある針の穴に糸を通すとは、繊細でなければダメということ。つまりは、小さなことを大事にしないとダメということ。小さなことを大事にできない人は、大きな仕事もできないし。

近藤 小さな約束を守らない人、ケン兄は絶対信頼しません。

見城 そう。偉そうになっちゃうけど、無名有名にかかわらず、ちゃんと約束は守らないといけない。

[第1回] 見城社長と近藤代表のデュエットで幕開けした特別対談 「やるなら極端にやり、鮮やかに結果を残す」

[第3回]「身を危うくするほど、頼まれ事は全力でやれ」。手腕だけじゃない。見城氏が愛される理由

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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