Passion Leaders活動レポート

[パッションリーダーズ全国定例会]

吉野家は困難で強くなった ミスター牛丼が語る逆境を味方につける仕事術

株式会社吉野家ホールディングス

会長

安部修仁

文/宮本育 写真/阿部拓歩 | 2021.12.28

今は完全復活を果たした吉野家だが、創業120年のなかではいくつもの困難が立ちはだかった。約120億円の負債を抱えての倒産、BSE問題による2年半の牛丼販売休止、他社牛丼チェーンとの競争による価格破壊など、そのことごとくを乗り越えてきた吉野家は何が違うのか。70年代から同社とともに歩み続けてきた「ミスター牛丼」こと吉野家ホールディングス会長・安部修仁氏が、さまざまな逆境を通じて育まれた哲学を語った。(2021年11月26日に開催されたパッションリーダーズ全国定例会より)

株式会社吉野家ホールディングス 会長 安部修仁(あべ しゅうじ)

1949年、福岡県生まれ。高校卒業後、プロのミュージシャンを目指して上京。バンド活動の傍ら、吉野家のアルバイトとしてキャリアをスタートさせる。その後、音楽の道を諦め、1972年に正社員として吉野家(現:吉野家ホールディングス)に入社。1980年、倒産からの奇跡の再建を主導し、1992年に42歳の若さで社長に就任。在職中は牛丼価格280円への挑戦、BSE問題、牛丼業界価格競争など、強いリーダーシップで元祖牛丼店「吉野家」の灯りを守り続け、2000年には東証一部上場を果たす。2014年5月に吉野家ホールディングスの代表取締役を退任。現在は、会長として次世代に自身の経験を伝えるため精力的に活動。

入店から牛丼提供まで15秒

安部修仁氏 吉野家といえば「うまい、やすい、はやい」ですが、このうち「はやい」は、築地店があった築地市場という限定的なクローズドマーケットのなかで生まれたものでした。築地市場は、非常に忙しい環境なんですね。なので、ここで働く人たちが最も求めるサービスは、店に入ったらすぐ料理が提供される“クイックサービス”。これに対する欲求が最も高いという土壌がありました。

そこでオヤジ(安部氏は株式会社吉野家 初代社長・松田瑞穂氏をそう呼ぶ)は、いろいろなサービスがあるなか、優先性の高い「はやい」に集中特化した仕組みづくりを行いました。

僕ら凡人は、いくつかの優先性の高いサービスを絞ったら、それらを総花的にやってしまいます。その中で優先性の低いものがあると分かっていても、なかなかやめない。だけど、オヤジは優先性の高いものに集中特化し、優先性の低いものは捨ててしまうんです。

その結果、築地店では、牛丼提供まで15秒を実現。たぶん世界最速でしょう。

築地店は、10坪もない20席ほどの店で、朝5時に開店すると、そこから3時間ほどは満席状態が続きます。15秒で牛丼を提供し、5分未満で食べ終えて店を出る。一日の集客数は1,000人に達し、年商10億円を売り上げていました。

この「はやい」を実現するために開発したものとして、チームフォーメーションや47個の穴の開いたおたまなどがありますが、スタッフのスキルも欠かせません。築地店の常連客はほぼ毎日いらっしゃる方々なので、誰が何を注文するのか覚えて、来店されたらお客様の顔を見てすぐつくる、ということをしていました。これも提供時間15秒を実現できた理由の一つです。

僕は、日本フードサービス協会にも在籍していて、いろいろな飲食店の話を聞く機会があります。そこで、あなたの店にはどのようなサービスがあり、他店とどう差別化しているのかと聞いても、いまいちピンとこない回答ばかりです。自分のサービスを突き詰めているところはそれほどないんです。

しかし、良い店や良い経営者というのは、サービスの価値をブレークダウンして、優先性の高いものを実現するためにどうしたらいいかということを考えています。漫然と、良いサービスにしようとか、笑顔で対応しようとか、そういうことではなく、他店にはない、個性をもった価値をつくっているという共通点があります。

「うまい」を突き詰めた執念

築地市場にはフードコートがあり、カレーや洋食の有名店などが軒を連ねていましたが、一日の集客数はおよそ200~300人。500人に達していたところはほとんどなかったかもしれません。そのなかで、吉野家は毎日1,000人のお客様が訪れていました。

一日1,000人の客数を獲得するには、当然ながら「うまい」ことは大前提で、加えて、毎日食べても飽きない、毎日食べたくなるものである必要があります。そこで吉野家は、食材の一つひとつにこだわったのはもちろん、大きな鍋でスライスした牛肉と玉ネギを煮込み、そのときに出てくる肉汁、玉ネギの甘み、秘伝のタレが混ざり合ってできるテイストを試行錯誤しました。

どれだけの執念で「うまい」を突き詰めたか、一つのエピソードがあります。

築地店が休みの日曜日、オヤジは息子さんを連れて、よく旅に行っていたそうです。息子さんは、最初は出かけるのをとても楽しみにしていて、日曜が来るのを心待ちにしていたのですが、あるとき、いつも同じところへ連れて行かれていることに気づきました。どこに行っていたかというと、ワイナリーでした。秘伝のタレに合う白ワインを探しに毎週日曜、息子さんを連れて出かけていたのです。オヤジの地道な努力により、社内でも限られた人しかレシピを知らない、門外不出の味が生まれました。

余談ですが、僕がアルバイトとして吉野家で働いていたとき、一番の楽しみは賄いの時間でした。福岡から上京し、初めて牛丼というものを食べて、手前みそになりますが、東京にはこんなうまいものがあるのかと感動しました。しかも、毎日食べても飽きない。この味わいこそが、一日1,000人の集客、年商10億円を可能にしました。

マニュアルはオーケストラの楽譜

「はやい」「うまい」という、独自の価値を確立し、チェーン化を進めていくなかで、特に重要なのは再現性です。お客様はいろいろな吉野家を利用し、それらの店で食べた牛丼の味、素早い提供といった体験の蓄積から、今日の吉野家を選びます。つまり、吉野家に入るということは、常にいつもの味、いつもの早さを潜在的に期待しているということ。したがって、その期待を裏切らないというのも、使命の一つです。

また、継続性をもたせるには、スタッフ全員が自分の役割を認識し、全うする組織ワークが重要です。それぞれが勝手なことをしだすと、お客様の期待に応えられなくなります。せっかくつくり上げたやり方を忠実に再現しないといけません。

ただ、世の中やニーズはどんどん変化していきます。そこにアジャストしていくには、修正も必要ですが、新しいやり方が出来上がるまで待つこと。そうしないと、お客様の期待に応えられなくなります。いわゆる、マニュアル化されるまで変えてはいけないということです。

昨今、マニュアルという言葉に対してネガティブな印象をもつ方が多いですが、マニュアルはオーケストラの楽譜に似ていると僕は思っています。大勢の奏者が一つになって音楽を奏でるには、楽譜というルールに沿って演奏しないといけません。その上で、各奏者の個性やテクニックが際立っているからこそ、素晴らしい音楽になる。マニュアルとはそういうものだと思っています。

リーダーシップを養うきっかけは倒産による価値観の大転換

僕が吉野家の正社員として入社した1972年。この当時、店舗は5、6店しかありませんでしたが、オヤジは “国内200店舗構想”をもっていて、実現に向けて力を注いでいました。

100店舗までの規模なら、オヤジの力でコントロールできましたが、わずか1年で100店舗から200店舗へ拡大を図ったとき、ヒト・カネ・モノすべてが疲弊しました。あまりにも過剰な店舗展開を行ったことで、結果、約120億円の負債を抱えての倒産。1980年、会社更生の申請をしました。

それまで、成長性を最優先に経営してきましたが、会社更生のため、その対極となる、安全性が最優先されました。毎年、店舗を増やすため猛進してきましたが、急ブレーキをかけ、安全性を最優先にした経営へと転換したのです。このときの様子はまるで、終戦を境に世の中が一変した日本のようでした。これまで良しとしていたことがダメになり、ダメだったことをむしろ良しとする、価値観の大転換です。

すると、何が起きたかというと、社員がどんどん辞めていったんですね。会社更生の申請をしても、店は営業している。お客様に会社の都合は関係なく、いつもの味、いつもの早さを求めて来店してくれるわけだから、その期待に応える使命がある。だから、みんなで全力を尽くして全うしようと。しかし、給料が出るのかわからない。そんな会社にいる意義は何かと、多くの社員が辞めていったのです。

僕はこのとき、有楽町店の店長になったのですが、不安になっている部下や後輩たちがよく相談に来ました。ここで僕は、コミュニケーション能力とリーダーシップ力を養いました。

例えば、こんなことがありました。吉野家が倒産すると知り、多くの社員が辞めていきました。今残っている人たちも辞めていったら店は営業できず、労務倒産しかねないという懸念が出てきたのです。そこで、「とにかく吉野家を見届けるまでやろう」と伝えました。「きっと、最後まで役割を全うした人たちのほうが、転職した先で信頼度は高いはずだ」と言ったのです。その言葉が響いた人たちがいました。また、吉野家は好奇心の強い人たちが多かったので、会社にいながらにして倒産を経験できるなんてそうそうないぞと。こんな言葉が響く人もいました。

このように、一人ずつ、ワン・オン・ワン、ディープディスカッションでコミュニケーションをとり、リーダーシップをもって全力でやりました。結果、その後の信頼につながっていったのです。

そして、赤字店の閉店、店長のリトレーニングなど、倒産の原因となったものをすべて払拭していったことで、倒産から2年目にして黒字に転換し、5年で約120億円の負債を収益弁済。1990年に株式の店頭登録でIPOを行ったことで、何の値打もなかった倒産株から7%ほどの利益率になり、ものすごい株価がつくまで復活しました。

幸運を掴む人とは、困難を切り拓く人

成功者たちは、一様に「自分は運が良かった」と言います。例えば、選択の岐路に立ったとき、自分が下した選択が今日につながっている、幸運だったと。確かにそうなのですが、そういう人は、別の選択をしても困難を切り開き、別の道をたどったとしても成功しているはずです。

自分は不幸だと嘆いている人は、あのとき、別の選択をしていたらこんなことにはならなかったと言います。全部、何かのせいにする。しまいには、世の中が悪いという。そういう人は、仮に正しい選択をしたとしても、悪しき状況しかつくらないと思います。

幸運を掴む人とは、どんな状況でも、それをどう乗り越え、切り開いていくことができる人です。

次世代リーダーの条件

経営とは何かと聞かれたら、僕は、お客様という人間の今と近未来を正しく理解し、その期待に応えるための努力だと思っています。お客様は吉野家の何に期待し、何に失望し、何に腹を立て、何に喜ぶのか。さらに従業員は何にしらけ、何に感動するのかを考えることです。つまり、「人を大切にしているかどうか」ということ。これが次世代リーダーに必要な、1つめの条件です。

我々は、人のために活動する企業体です。仕事とは「事に仕える」ことで、お金を稼ぐことではありません。いくら有能なリーダーであっても、自分のためだけに利益を追求し、お客様や部下を利用する人は、リーダーにしてはいけません。

2つめは「マネジメントスキルが高い」こと。役に立ちたいという気持ちがあっても、役に立てる力がないと、実績をつくれません。

3つめは、「未来創造へのビジョンを描ける」です。かつて僕は、マネジメントスキルが高ければ、経営能力も高いと思っていましたが、ホールディングス化した後、社長のキャスティングを随分失敗し、そうじゃないことに気づきました。

マネジメント能力は、問題解決能力と改善能力を指し、どちらかというと、リスクヘッジを軸にしています。それに比べて、経営能力はリスクテイクをして未来をつくる要素が大きい。つまりは、経営能力の高い人とは、新しい未来を創造するために、あえて良い状況を壊して変えていく覚悟と、そのことへワクワクできる人ということ。そのような有能な人は一握りしかいません。

これらの条件に加えて、誰よりも努力する人、周りの協力を得られる人、神のご加護を得られる人、そのような人が苦難を乗り越えられるリーダーではないかと思います。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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