Passion Leaders活動レポート

[パッションリーダーズ定例セミナー]前編

社内ベンチャーからスタートし、“情熱”で福利厚生代行会社に発展させた

株式会社ベネフィット・ワン

代表取締役社長

白石徳生

文/宮本育 写真/阿部拓歩 | 2019.12.16

白石徳生のポートレート
経営者交流会「パッションリーダーズ」では、毎月、一流経済人や著名人を迎えて、成功事例や体験談を話していただく「定例セミナー」を開催。11月は、パソナの社内ベンチャー第1号として1996年にスタートした株式会社ベネフィット・ワン 代表取締役社長 白石徳生氏を招き、同社の福利厚生サービスを業界No.1にまで導いた経営ノウハウなどについて講演。その内容を、2回にわたりお送りする。第1回は、創業から福利厚生サービス誕生のきっかけについての話をレポート。

株式会社ベネフィット・ワン 代表取締役社長 白石徳生(しらいしのりお)

1967年、東京都生まれ。拓殖大学政経学部を卒業後、90年に株式会社パソナジャパン(当時)へ入社。96年、パソナの社内ベンチャー制度を利用し、ビジネス・コープ(現ベネフィット・ワン)を設立、取締役に就任。2000年6月から現職。2004年にJASDAQ上場、2006年に東証二部上場、2018年に東証一部上場を果たす。「サービスの流通創造」を経営ビジョンにユーザー課金型の定額制割引・予約サイト「ベネフィット・ステーション」を運営。また、福利厚生・健康・ポイントを中核としたBPO事業のワンストップソリューションを提供することで、昨今の人手不足を背景とした働き方改革、健康経営、生産性向上など、企業の経営課題を多角的に解決している。EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2018 ジャパン「Exception Growth 部門」大賞 受賞。

パソナの社内ベンチャーとしてスタート

僕は会社設立以前、パソナで派遣の営業をしていました。パソナには、社内ベンチャー制度があり、応募した事業プランが1位に選ばれると起業することができます。そこで僕は、1995年に「サービスの流通創造」というアイデアを応募。1位を獲得することができ、1996年に社内ベンチャー第1号として、会社を設立しました。

実は当社は、パソナ55%の出資に加え、三菱商事グループ35%、CSK5%というジョイントベンチャーとしてスタートしています。なかでも、三菱商事 元副社長である相原宏徳氏は、非常に僕のことを応援してくれました。

相原氏との出会いを通じて感じていることは、ビジネスは人間関係ということ。人とのご縁や出会いがものすごく重要で、それらを引き寄せるには“運”がとても大切になってきます。運あって相原氏と出会い、僕を応援してくださり、それをきっかけにしながら、さらに自分で運をつくる努力をしてきました。相原氏とのご縁があったからこそ、今日があると感じています。

サービス業に流通をつくり、商売の健全化を図りたい

創業当時のビジョンは、「サービスの流通創造」でした。

モノの世界には必ず流通が存在し、商品を提供する会社と売る会社が完全に役割分担されていますが、サービスの世界には流通がなく、サービスを提供する会社が販売までやっているケースがほとんどです。

白石徳生の講演風景

唯一例外なのが、旅行業界です。飛行機、観光施設、ホテルといった旅行関連サービスを提供する会社がある一方、他社が提供するサービスだけを売っている会社があります。旅行会社です。これを想像していただくと、「サービスの流通」を何となくイメージできるのではないでしょうか。

このように、旅行業界以外のサービス業、例えば、教育業界、美容業界、医療業界など、提供と販売を分業していない=流通がない現状に、「比較検討しにくい」という大きな課題があることに気づきました。もっと言うと、「比較検討する場がない不健全さ」です。

皆さん、サービスを利用するとき、比較検討されていますか? たまたまチラシが入っていたから、よくコマーシャルでやっているから、あるいは、家の近くだからという理由で選んでいることが多くありませんか?

これが、パソコンやテレビといったモノであれば違うはずです。家電量販店に行けば、各メーカーの製品が並んでいます。そうすると、価格やスペックを比べることができますし、店員さんに相談することもできますので、それらを参考に比較検討して購入していると思います。

しかし、サービス業にはこういった場がないので、もしかすると、中身は同じなのに、高いほうを買わされている可能性だってあります。なんて不健康なんだと。その原因は、サービス業に流通がないからという思いに至り、サービス業の流通をつくれば、本当に良いサービスが売れる、健全な環境になるのではないかと感じたのです。

サービスを原価で販売する「会員制予約サイト」を立ち上げる

そこで、どのようにして、サービスの流通創造を図ったか。

この事業プランを思いついたのは、パソナの社内ベンチャー制度に応募する1年前のこと。このころは、ちょうどインターネットが誕生し、一般家庭でも少しずつ利用されはじめたころでした。書店には、関連書籍が山積みになっており、僕もさまざまな本を手に取りました。そこで閃いたのが、インターネットを使ってサービスを売る会社、いわゆる「予約サイト」をつくれば、とてつもない巨大企業になれるのではないかというアイデアでした。

しかし、みんな、考えることは同じなんですよね。当社を創業した1996年、世界中で予約サイトがたくさん登場しました。例えば、日本からは、「旅の窓口(現 楽天トラベル)」、「ぐるなび」、アメリカからは「エクスペディア」、ヨーロッパからは「ブッキングドットコム」などです。どれも旅行サービスに関わるもので、もともと旅行会社が存在していたこともあり、形にしやすかったのだと思います。

当社も、予約サイトを立ち上げた会社のひとつですが、他社と大きく違った点がありました。それは「会員制」という手段をとったことです。

予約サイトというのは、成約ごとに出店企業から送客手数料をいただき、それを利益とする商売です。しかし当社は、送客手数料の代わりに会員から会費をいただき、サービスそのものは原価で売るという、当時ではちょっとユニークなビジネスモデルでスタートしました。

会員制にこだわった2つの理由

インターネットで商売をする場合、もっとも重要なのは、多くの人にサイトを見てもらうこと。そして、たくさんの商品を集めることです。そういったサイトは、ほぼ勝ちます。
ところが、当社のような会員制にすると、会費を払わないとサイト内を見られないわけですから、手法としてはもっともやってはいけないことです。

白石徳生のポートレート

しかし、なぜ、敢えてそれをやったのか。理由は2つあります。

1つめは、サービスの是非を明確にするためです。そもそも、サービスの流通創造を図った理由は、サービスを比較検討できる場をつくりたかったからです。ですが、出店企業から広告料や送客手数料をいただくと、サービスの是非にかかわらず、見え方が画一化されてしまいます。なので、良いサービスは良い、悪いサービスは悪いと明確にするため、お金は会員からいただくことにこだわりました。

2つめは、長い目で考えたら、会員制がもっとも勝つと確信したからです。例えば、100億円で映画を製作した場合、それを1人しか観なかったら、その映画の原価は100億円ですが、たくさんの人に観てもらうほどに製造原価は安くなります。

予約サイトも同じで、サービスを売る行為が1回だろうが、100万回だろうが、かかるコストは変わりませんので、たくさんのユーザーを集めるほどに原価が劇的に安くなります。つまり、たくさんの会員を集めたら勝つのは当たり前の話です。

バブル崩壊によって生まれた「福利厚生代行会社」というストーリー

当社がやろうとしたことは、個人から会費をいただき、サービスを手数料なしで、原価で売ること。インターネットで予約をする会社をつくろうというのがコンセプトでした。

ですが、当時から言っていました。「個人からお金を集めるのは難しいよね」と。

それこそ、宣伝広告をたくさん打たないと、個人からお金を集められないと思い、一度諦めようとしたときがありました。しかし、あることを思いついて、結果、個人から会費をいただくことに成功したのです。その“あること”とは、「福利厚生」でした。

昔、日本の大企業や公務員は、福利厚生が充実していて、その中のひとつ「保養所」という施設を持っていました。保養所とは、社員の休暇などに利用する宿泊施設のことで、当時の大企業、メガバンク級の規模を誇る企業は、全国に50カ所ほど、ホテルや旅館を自社で建設し、社員のためだけに運営していました。

たぶん、バブル経済のピーク時は、日本中の一等地は上場企業の保養所だったと思います。ほかにも、社宅、病院、サッカー場などを保有していた企業もありました。

しかし、保養所の運営は、とても効率が悪い。利用したことがある人はわかると思いますが、入社後、一度は保養所を利用するんです。でも、2回目はありません。なぜなら、行くと必ずそこには上司一家がいるからです。どんなに安くても、休みの日まで上司やその家族と顔を合わせたくありません。なので、非常に人気がないんです。

ですが、自社で運営しているので、コストがかかる。実際、統計を見てみましたら、社員を1泊させるのに、約3万円のコストがかかっていました。

それでも保養所を手放すことなく、運営していたのは、インフレだったためです。地価はずっと高騰を続けていたので、毎年、数千万円の赤字を出したところで平気でした。その考えは、バブル崩壊の直前まで続きました。

ところが、バブル崩壊し、デフレ時代に突入すると、一気に地価は下落。ならば、手放せばいいのではとお思いでしょうが、それはそれで「あの会社は相当景気が悪い」といったレピュテーションリスクが怖い。やむなく、赤字を出しながら運営をしている状況だったのです。

当社はそこに目を付けて、創業当初のコンセプトから離れ、別のストーリーである「福利厚生の代行会社」として営業しました。企業に対して、保養所をやめませんか? ホテルや旅館を原価で提供しますので、利用する社員さんに1万円の補助金を出したほうが喜ばれるのではないですか? と。それが、現在の事業内容の始まりでした。

同じ会社に一日5回訪問したことも。情熱が運命を変えた

最初は、まったく売れませんでした。1996年に創業し、黒字になったのは2年後で、最初の2年間は累積赤字が5億円までいきました。毎月、家賃と出向者の負担金として2000万円の請求書が届き、ですが払えるはずもなく、親会社の財務部長に見つかるたび、「借金泥棒!」「金かえせ!」みたいな感じだったので、常に逃げまくっていました。

黒字に転じたきっかけは、1998年に起きた金融危機でした。山一證券が破綻し、拓殖銀行が倒産。世間は大騒ぎになり、金融秩序を守るため、国は6000億円の公的資金を、当時の都市銀行に投入しました。そのときの条件が「保養所の閉鎖」だったのです。

とはいえ、すぐさま当社の会員になる銀行はありませんでした。営業に行っても「白石君、なかなかいいね」と反応はいいのですが、必ずこう言うんです。「他の大企業が会員になったら、うちも入るよ」と。大企業は、何か起きたとき責任を取りたくないので、最初のお客さんになることを嫌がります。

その“最初のお客さん”になってくださったのが、日立キャピタルでした。今でもよく覚えています。当時の日立キャピタルの人事課長さんが対応してくれたのですが、非常に硬い人でした。ですが、この人を口説かないと、絶対会社が潰れると直感的に思ったんです。2年以内に黒字にするという、親会社との約束だったので、何が何でも口説き落とさないといけなかったのです。

このときすでにライバル会社もあり、そちらが5年ほど先行していたので、当社と比較検討したら、100人中100人がライバル会社を選びます。この状況では、まともにやっても勝てないと確信したので、1年後の当社の価値をプレゼンテーションしました。もちろん、そんな不確定なものは、誰も信じません。どうしたら信じてもらえるかと考えたとき、それこそパッション、情熱しかないと。

そこで、当時のNo.2と一緒に、多いときで一日5回、日立キャピタルを訪問しました。最初は激怒されましたよ。「ふざけんな! 俺の仕事の邪魔をするのか?」「他人の時間を何だと思っているんだ!」と。でも、後には引きませんでした。なぜなら、仲間たちと「可能な限り全力でやろう」と、誓いを立てていたので。あのとき、もう少しこうしておけばよかったと、後悔をしたくなかったんです。

ひたすら通い続けると、どこかで思うんですね。「何だろ、こいつら…」って。少しずつ感情の変化が生まれてくるんです。そして最後には、「お前らに負けた」と。そこまでの行動力としつこさがあるならと、信じていただき、会員になっていただけました。それがきっかけとなって各銀行からも入会いただけるようになり、現在に至っています。

白石徳生とパッションリーダーズ役員たち

白石徳生社長も理事を務める「パッションリーダーズ」役員たちと。左から、近藤太香巳氏(株式会社ネクシィーズグループ 代表取締役社長 兼 グループ代表)、白石徳生氏、相川佳之氏(SBCメディカルグループ 代表)、佐藤亨樹氏(株式会社Orchestra Holdings 代表取締役)

【後編】100年に一度の大変革を「サービスの流通創造」で迎え討つ!

SUPER CEO Back Number img/backnumber/Vol_56_1649338847.jpg

vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
コンテンツ広告のご案内
BtoBビジネスサポート
経営サポート
SUPER SELECTION Passion Leaders