スーパーCEO列伝
グリー株式会社
代表取締役会長兼社長
田中良和
写真/宮下 潤 文/髙橋光二 マンガ/M41 Co.,Ltd | 2015.04.10
グリー株式会社 代表取締役会長兼社長 田中良和(たなか よしかず)
1977年東京都生まれ。1999年に新卒でソニー・コミュニケーション・ネットワーク(現So-net)に入社し、その後2000年2月に株式上場直前の楽天に転職。オークションサイト、ブログサービスなどの企画・開発・運営を担当。2003年、個人の趣味として、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の開発をスタートさせ、2004年2月に「GREE」を公開する。公開1ヵ月後には会員数が1万人を突破。同年12月、楽天を退社しグリー株式会社を設立。2006年にモバイル版を本格稼働させ、ゲームを主軸としたコンテンツ提供により一気に会員数を伸ばし、2008年12 月、東証マザーズ市場に上場し、2010年には東証一部上場に指定替え。現在は、ゲームのみにとどまらず多彩なサービスを展開している。
アーリーステージで軌道に乗らない。ソーシャルゲーム市場に対する社会からの批判。新しいヒット作に恵まれず業績低迷、事業の構造改革――。そんな数々の“逆境”を乗り越えてきた田中氏は、何を考え、どう行動してきたのか。その信念や姿勢を学ぼう。
周囲の誰からも褒め称えられ、社内全員が「うまくいっている」と思うような“順境”など、長く続くわけはない。うまくコントロールできているつもりなのは、つまり“予測の範囲内”に収まっているということだ。また、そんな楽な状況とは、すなわち自分たちが次の成長に必要なチャレンジをしていないことの表れでもある。自分たちがちょっとやそっとではできないようなチャレンジをしてこそ、人も会社も成長できる。向かい風の中でこそ、たくましく成長できるのではないだろうか。
逆境で動けなくなり、あきらめてしまう経営者も多い。それでは何も生まれない。求人サイトの運営会社を創業し、5年後にmixiを大ブレイクさせた笠原さんは、それまでの5年間、周囲から「求人サイトなどいまさら意味がない」などと批判され続けた。それでも着々と続けて会社としての体裁を整えたからこそ、mixiを世に送り出した時も、すぐ軌道に乗せられたのだ。同じ頃、いきなりGREEを始め、軌道に乗せられなかった自分には、その5年間の蓄積がないことが弱みと自覚できた。“石の上にも5年”が大切なのだ。
石にかじりついてでも続けるにしても、そもそも水のないところで一生懸命に井戸を掘ってもムダである。グリーの場合では、不調であっても、モバイルでのサービスや、ゲームという領域でビジネスを展開することは大枠では間違ってはいないと確信できている。細かい技術論やマーケティング論などは二の次で、その大枠の中でトライ&エラーをすればいいだけのこと。要は、そのスピードをどれだけ速め、競争相手よりも早く結果を出すか、ということに尽きる。
「コンプガチャ問題」が発生した時、自分たちはまだ真の意味での、より高次な“社会的責任”の何たるかを理解できていなかったと思う。数千万人のユーザーを抱え、一千億円を売り上げるビジネスなど未経験で、その規模において求められる企業の社会的責任などよくわかっていなかった。だからこそ、すぐに反省し学んで修正していった。結果的に、その経験が強みに転化できたと思う。革新的なサービスを安全に、継続的に楽しんでもらうために必要なノウハウを修得できたからだ。
グリーの急成長は、従業員がまだ50人、100人の頃に開発した『釣り★スタ』や『探検ドリランド』などのウェブゲームの大ヒットがもたらした。その後、海外進出やスマホシフトなど同時並行で急速に事業展開を推し進めたため組織も拡大。そこへモバイルゲーム市場の構造変化が起こったことで業績が低迷した。だからこそ、果断な取り組みを実施し、事業を成長軌道に戻すため、ネイティブゲーム1000名体制に取り組み、原点に戻りモノづくりを大事にする企業文化の浸透を図っている。状況の変化に対応し、常に組織を見直す必要性を学んでいる。
アーリーステージの頃は、24時間365日、業務に就いていた感じだ。しかし、それでは最良のコンディションは保てない。業務から離れて気分転換することも大切だ。私の場合、気の置けない友人と飲みに行くことが多い。そして最近は、そういった時間を、誰とどんな頻度で、どれぐらいの長さで持てば、業務におけるパフォーマンスが最大化できるかを考えるようになった。つまらない映画を観てしまう3時間が、惜しくてたまらない。気分転換もそういった発想でいられるから、ビジネスに全力で取り組めているように思っている。
vol.56
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