スーパーCEO列伝
株式会社みやじ豚
代表取締役社長
宮治勇輔
文/藤堂真衣 写真/伊藤圭 | 2020.03.31
株式会社みやじ豚 代表取締役社長 宮治勇輔(みやじ ゆうすけ)
1978年、神奈川県生まれ。代々農家を営む農家の長男として生まれたが、慶應義塾大学を卒業後、一度はベンチャー起業を志して2001年に株式会社パソナに入社。プライベートの時間を使って起業や経営について学ぶうち、自身の家業である農業へと心が動き2005年に同社を退職、実家へ戻って株式会社みやじ豚を設立、代表取締役に就任。2009年にNPO法人「農家のこせがれネットワーク」を設立し、農家の後継ぎ候補者(こせがれ)への情報提供や啓蒙活動を開始。著書に『湘南の風に吹かれて豚を売る』(かんき出版)がある。
中小企業庁の発表によれば、日本で活動をしている企業数は2016年の時点で約359万社。そのうちいわゆる“大企業”は1万にとどまり、残りの358万社は中小企業だ。つまり、日本の企業のほとんどは小規模事業者を含めた中小企業ということになる。そこにはもちろん同族経営の企業も多い。
一方で「家業を継ぐ」という言葉にネガティブなイメージを抱く人は少なくない。ゼロイチ起業をしてこそ真の経営者と評価される風潮から経営者が子どもに会社を継がせなかったり、売上が右肩下がりになっていたりといった要因から事業承継をあきらめているケースも多い。
神奈川県で養豚場を営む宮治勇輔氏は農家の跡継ぎとして生まれ、一度は別の道を志したものの、実家に戻って家業を継いだ“跡継ぎ”だ。宮治氏の育てる豚は「みやじ豚」として百貨店に卸されるなど評価を高めている。
「きつい・汚い・稼げない」。3K産業の代表格だった一次産業を「かっこよくて・感動があって・稼げる」新たな一次産業として再定義したい。宮治氏はそう語るが、そこには“ビジネスモデルの改革”が欠かせないという。宮治氏が見据える新たなビジネスモデルと、後継者不足が深刻化する中小企業における事業承継のありかたについて聞いた。
――大学を卒業して、一度は就職されたのですよね。起業への思いはどのようなものでしたか?
宮治 漠然と「起業したい」という思いはありましたが、どの分野で……というのは考えていなくて。裁量のある仕事がしたくて、当時上場する直前だった株式会社パソナへ入社しました。
朝の時間を活用して経営や起業の勉強をしていたのですが、気づくと農業の本ばかりを読むようになっていて(笑)。でも、当時の農業というのはいわゆる「おじいさんがクワを持って畑を耕して、収穫した野菜を農協へ」というような古いイメージ。それなら僕はやりたくないと考えていました。
――そこで、どのような考え方の変化があったのですか?
宮治 営業の世界では「越境」といいますが、従来は生産から出荷までで終わっていた農家の仕事を「生産現場から、お客様の口に入るまで」一貫してプロデュースできたらどうだろうか? と考えたのがきっかけです。流通経路、マーケティング、商品開発。できることがたくさんある! まったく新しい一次産業だと感じたんです。これなら自分もやりたいと思えました。
今では農家が加工や商品販売にも手を広げることも当たり前になりつつあり「六次産業」という名前もついていますが、僕はどうしても“一次産業”という言葉を残し、敬意を表したかった。そこで“新・一次産業創造プロジェクト”なんて大層な名前をつけて、自分の夢をつづったパワーポイント資料で夢をあたためていました(笑)。
――当時あたためていた事業計画は?
宮治 生産からお客様に届けるまでを一貫してプロデュース、といっても、飲食店のノウハウもなく、どのようにお客様へ提供するのかを考える必要がありました。
僕の原体験は、学生時代に行ったバーベキューにあります。「宮治の家の豚ってこんなにうまいんだ! どこに行けば買えるの?」と言ってもらったのですが、当時の我が家の出荷先は市場。その先はわからなかったんです。
その記憶が残っていたこともあり、まず僕が考えたビジネスはバーベキューでした。うちで育てた豚を、バーベキューでお客さんに食べてもらいたいと考えたんです。プランもシンプルで「月に1回開催し、参加者1名から4000円を徴収。30人が集まれば12万円の売上で、諸経費を引いて手元に3万円が残る」――。3万円は自分が生活するための最低限の金額でした。実家に戻ったこともあって、あまり生活費がかからなかったのはラッキーでしたね(笑)。
新たなビジネスモデルの原点となったバーベキュー。
バーベキューでは、近隣の農家がつくった野菜なども提供。(写真提供:株式会社みやじ豚)
――実際に「みやじ豚」のブランディングにおいてはどのような取り組みをされたのでしょうか?
宮治 既に実家に戻っていた弟に生産現場を任せ、僕はプロデューサーという立場で、マーケティングなどを含めた販売側へまわることにしました。我が家が個別に所有している養豚場は決して大きなものではないので、正直兄弟二人のお給料を出せるほどの利益はありません。なんとかして、自分の分の給料をつくり出す必要があったんです。
まずは、我が家で育てている豚に「みやじ豚」という名前をつけて、直販ができるような販路を考案していきました。知人や友人に実家に戻って家業を継いだこと、バーベキューイベントを開催するので来てほしいとメールを送り、その後はネットショップへの導線も整えました。
それまでの養豚は、育てて出荷するまでが僕達農家の仕事でした。出荷後、屠場からどの卸売業者に買われ、どのお店に並ぶのかはわかりませんし、生産者の名前は消されて流通します。“〇〇豚”というような、いわゆる銘柄豚としてスーパーの店頭に並びます。これでは「みやじ豚」をお客様へ届けることができません。
そこで、思い切って農協に出荷するかたちに切り替えました。そして、農協の担当者に屠場へ出入りしている卸売業者を紹介してもらい「うちが出荷した豚を“みやじ豚”として卸してくれないか」と直接相談しました。商流としては農協から屠場、そこで卸売業者を介してうちが買い取り、お客さんへ届ける……という流れになるため、農協や卸売業者に手間をかけたり、損をさせたりすることはありません。卸売業者にも受け入れてもらうことができ、「みやじ豚」を自分たちで販売できるルートが作れました。
――農協などを通さずに直接、お客さんへ売るということは考えなかったのですか?
宮治 農協や卸売業者が関わる部分を変えなかったのは、商流を変えないためです。改革というと多くの人が「何かを壊したり、作りかえたりすること」だと思いがちですが、これはやはり大きな反発を生むし、何よりリスクが大きすぎます。みやじ豚はその点では商流を変えることなく、これまで通り育てた豚を農協へ出荷し、卸売業者から仕入れて売っているので、関係者に変化を求めることが少なく、受け入れてもらいやすかったのだと思います。
「今ある仕組みをどう活用するか」は、家業にとってとても重要なんです。この考え方は「プロデューサー発想」と言い換えてもいいでしょう。例えばアイドルのプロデューサーは「次のセンターには現在大活躍している有名女優を起用しよう」なんて非現実的なことを言いませんよね。今いるメンバーをどう見せればよりお客さんに喜んでもらえるかを考えます。今あるリソースで出せる最大限の効果を考えるのが、プロデューサーの仕事であると僕は思っています。
――プロデューサー発想が「家業にとっても重要」というのは?
宮治 農業に限らず、家業の後継者は先代から経営資源を引き継ぎますよね。ここがゼロイチ起業家との最大の違いだと思うのですが、事業を継いだ時点で既に経営に必要なヒト・モノ・カネはある程度揃っているんです。その「既にあるもの」をどう組み合わせるかが、家業を継ぐ=事業承継の明暗を分けるといっても過言ではないでしょう。
もちろん、家業を継ぐときに先代から何もかもをそのまま受け継げばよいということではないんですよ。後継者が行うべきは“賞味期限切れのビジネスモデル”を変えることです。
例えばみやじ豚の場合は、生産から出荷までという従来のビジネスモデルでは頭打ちになってしまうことを見越して消費までを一括管理できるしくみへと変更しました。飲食店への販売やネットショップの開設で新たな販路も開拓できたことで、収益を上げることもできました。
時代に合った形、後継者(自分)のスタイルに合った形にビジネスモデルを作り変えていく。これは長く経営の舵取りをしてきた先代にはとても難しいことです。
――こうしたブランディングや事業承継のノウハウは、宮治さんが運営されている「農家のこせがれネットワーク」でも共有されているのですね。
宮治 そうですね。かつては「農家を継ぐべきか」と、農業の入り口で悩む人たちの背中を押すきっかけになればと始めた「農家のこせがれネットワーク」でしたが、そうしたコミュニティづくりがひと段落したタイミングで農家が抱える課題を分析した際、最大の問題は「事業承継」であるという考えにいたりました。
事業承継というのは、相続と混同されることも多いのですが、相続とは全く異なるもの。事業承継というのは本来、先代が元気なうちに全ての株式や権利を譲渡し、後継者に経営を任せることです。でも農家には事業承継という概念がまだ弱く、息子が実家に帰ってきて農業を手伝ってくれているというだけで満足してしまっている親世代も多かった。
こうした状況に危機感を覚え、事業承継の考え方をもっと広く知ってもらおうと、農家のこせがれネットワークの新たな活動として「農家のファミリービジネス研究会」を立ち上げました。
――事業承継という考え方を広めようとされるなかで、あえてファミリービジネス(同族経営)にこだわる理由はあるのでしょうか? 例えば、優秀な社員がいればその人に任せるという選択もありそうです。
宮治 日本には100年以上続いている老舗企業が非常に多く、数でいうと世界一なんです。また日本の各都市には魅力的な観光地や伝統、文化がたくさんありますが、これらの醸成に家業が貢献してきた面は大きいはず。ですから、これからも日本の各都市が魅力的な街であるためには、これら伝統や文化を支えてきた家業=ファミリービジネスの存在が欠かせません。
一方で、同族経営という言葉にはネガティブなイメージもつきまといます。ニュースなどでは身内での不祥事や“お家騒動”などの話も聞かれますし、「子どもに跡継ぎを強要せず、子どもの人生に理解のある親でありたい」と考える経営者もいるでしょう。
ですが、それが絶対に正しいかというと答えはNOです。子どもが事業を継ぐことの一番のメリットは「全てが丸く収まる」という点にあります。例えば優秀な社員に社長の跡目争いをさせた場合、敗れる人が必ず現れます。その人はきっと会社を去るでしょうし、社内に派閥があった場合には複数の部下を伴って辞めてしまうかもしれない。優秀な人材を失ってしまうことは会社にとって損になります。でも、例えば社長の子どもが継ぐとなれば「坊ちゃんを支えよう」とサポートに回ってくれる社員が多く、優秀な人材を留め置ける可能性も高まります。
また、血縁者でない社員に社長を継がせる場合に起こりやすいのは、その社長候補者の家族による反対です。社長になるということは、会社が背負っている負債も一緒に継承することになりますが、反対を受けて土壇場で白紙撤回されてしまうケースも多いのです。
子どもによる事業承継は、こうしたリスクを最小限にとどめることができます。僕自身もそうですが、やはり経営者の子どもは親の姿を見て育ちます。幼い頃から家業に触れ、自然にオーナーシップが養われるので、継ぐとしたら中途半端な覚悟ではできません。実業家・稲盛和夫氏の言葉に、「仕事の成果は考え方×熱意×能力のかけ算である」というものがありますが、親の事業を継いだ子どもは熱意の強さがケタ違いなんですよ。だからこそ、100年、200年と続いていく。そこに、ファミリービジネスの強みがあると感じます。
――「農家のこせがれネットワーク」は、「家業イノベーション・ラボ」にも共同主催として参画されていますね。これも、ファミリービジネスの可能性を探る取り組みの一つでしょうか?
宮治 そうですね。「家業イノベーション・ラボ」は、農業に限らず全ての家業にとっての課題である事業承継を考えること、それから他業種の人々が出会うことで新たな刺激や反応を促し、イノベーションを起こすことを目的とした組織です。
イノベーションというと、iPhoneなどのようにこれまでにない新しいアイデアをゼロから生み出すことだと考えがちですが、実はそこまで難しいものではなく、今既にあるモノの新たな使い方や組み合わせ方を考えること、つまり異業種間のコラボレーションがその原点になるのです。
「家業イノベーション・ラボ」では、これまで接点のなかった家業同士が出合ってコラボレーションをすることで、新しいビジネスや商品が生まれるきっかけづくりを行っているというわけです。
事業承継については「既に家業を継いで活躍している人(家業イノベーター)」と、「家業を継ぐべきか迷っている人、継いだばかりで悩みを抱えている人」をつなぎ、相互メンタリングを通して多くの人に“家業を継ぐこと”に前向きになってもらえたらと思っています。
家業を廃れさせないために必要なのは、“相続”とは区別された“事業承継”を行うことと、後継者がビジネスモデルを見直すことです。先にお話したように、先代のビジネスモデルは古びてしまっていることが多い。例えばネットを活用する、マーケティング思考を取り入れる、体験コンテンツを用意するなどして、事業の動かし方を時代にフィットさせる必要があります。そうした知見を「家業イノベーション・ラボ」でシェアしてもらい、家業として生き残ってほしい。
互いの悩みや知見をシェアできることで、家業を継ぐことへの不安が軽減できればと思いますし、「農家だけ」「製造業だけ」というような閉じたコミュニティだけでなく、よりオープンな場で他業種の後継者と出会うことで、思いもよらなかったコラボレーションが生まれるかもしれない。それがイノベーションへとつながり、日本の家業をさらに魅力的にしていってくれるはずだと感じています。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美