未来を創るニッポンの底力
旭酒造株式会社
代表取締役社長/4代目蔵元
桜井一宏
写真/芹澤裕介 文/松本 理惠子 | 2018.06.29
旭酒造株式会社 代表取締役社長/4代目蔵元 桜井一宏(さくらい かずひろ)
1976年生まれ、山口県周東町(現岩国市)出身。早稲田大社会科学部卒。大学卒業後、酒造とは関係のない東京のメーカーに就職。2006年、実家の旭酒造に入社、常務取締役となる。2010年より取締役副社長として海外マーケティングを担当。2016年9月、代表取締役社長に就任、4代目蔵元となる。
昨今、国内では日本酒ブームが起きているといわれている。海外でも日本食ブームに引っ張られるかたちで日本酒の売上が伸びており、世界にSAKEブームが到来したかに見える。この10年で日本酒の輸出数量は倍増、輸出金額では約3倍の伸び率となった。
しかし、これをもって「日本酒ブーム、SAKEブームが来た」と騒ぐのは時期尚早だと桜井氏は見る。
「国内においては、日本酒が全然売れないどん底状態から回復し、業界自体が元気になってきました。ただ、それが各蔵元の売上につながっているかといえば、そうとは言えません。ブームと喜ぶにはまだあと一歩だと感じます」
桜井氏は2005年から「獺祭」の海外展開を担当してきた。この十数年で、世界でSAKEが飲まれるシーンは増えてきたと実感しているが、その反面、一般化には程遠いとも感じている。
「『獺祭』の今期の輸出金額は20数億円。日本酒全体では200億円に届きません。世界のアルコール市場から見れば、この数字は小さ過ぎます。少なくとも10倍にはならないとブームとは呼べないでしょう」
桜井氏によれば、現在の世界における日本酒の立ち位置は、ちょうど20年前の日本におけるワインと同じだという。つまり、“分かる人には分かる酒”の域を出ていない。そうはいうものの、ブレイクの兆しがあることも確かだ。
「アメリカでは、10年前に情報感度の高い一部のマニアがファッションとして日本酒を飲み始めました。今はお酒に詳しい一般の人たちがSAKEの魅力に気づき始めています。ここから一気にブレイクするか、失敗して消えていくか、その大きな分かれ目に立っています」
桜井氏が海外展開で特に危惧しているのは、「SAKEブーム」という言葉に安心して、市場拡大の足が止まってしまうことだ。あくまでブレイク寸前であって、ブレイクに至ったわけではないことを酒造メーカーは肝に銘じておく必要がある。
では、まず国内での日本酒ブームを本物にするためには何が必要か。
「日本酒は蔵元ごとにそれぞれ異なる個性が魅力です。個々の蔵元が魅力ある酒造りをして、一社一社がファンを獲得していくことが大事です。個々の柱が太くなることで、全体としての柱が太くなっていきます」
リーダーは大手メーカーだろうか? 我々の目には、「獺祭」が業界を牽引するかたちで、今の日本酒人気があるように映る。しかし、旭酒造としては“他の手本になろう”とか“日本酒業界を引っ張ろう”と思ったことは一度もないという。
「私たちが他所様の酒の味をつくることはできません。それは個々の酒蔵で研究してやっていくべきことだと思います。うちができることがあるとすれば、失敗も成功もありのままを見せること。それが、一番お役に立てる道だと考えます」
旭酒造は、桜井氏の父親でもある先代・桜井博志氏(現会長)の時代に「獺祭」を広めることによって、「悪酔いするし、おいしくない」という従来の日本酒のイメージを、「日本酒の中にもこだわりのおいしい酒がある」へと変えてきた。“日本酒の再発見”という意味で、果たした役割は大きい。
桜井氏によると、そのベースにあるのが、“自分たちがおいしいと納得する酒造り”だったことが大きいという。だから、これからも妥協なく品質を追求していくことが、旭酒造としてできるすべてだと考えているのだ。
ちなみに現在、旭酒造は広告による「獺祭」のブランド化などは一切行っていない。以前に一度だけ宣伝費をかけてPR活動に取り組んだことがあったが、失敗に終わったためだ。
「ブランドPRをした結果、お洒落感や高級感といったファッションだけで買う客層が増えてしまいました。『獺祭』の味に惚れてくれるファンからは冷めた目で見られましたね。ブランド化は“旭酒造らしくない”と気づいて、すぐに中止しました」
それ以降、旭酒造がやってきたことは、原点を大事にすること。つまり、実直な酒造りだ。酒造りにかける純粋な思いは、こんなエピソードにも表れている。
ある時期、PRの影響か、人気になった「獺祭」はなかなか手に入らない品薄状態が続いたことがあった。一部ではプレミアも付き、定価より高値で取引されることも珍しくなかった。そんな状況を懸念した桜井社長は、2017年末に「お願いです。高く買わないでください。」と謳った新聞広告を掲載し話題を呼んだ。
12月10日付の読売新聞朝刊に掲載された意見広告。ずらりと並んだ正規販売店に桜井社長の気概を感じる。
これは決して奇をてらった宣伝ではない。あくまで適正価格でファンに「獺祭」を届けたいという思いで放った純粋なメッセージだ。広告に対しては賛否両論あったものの、商品の買い占めや横流しは減った。その証拠に、広告掲載以降、獺祭の売上は1割ほど減少している。しかし、桜井氏はそれを喜ばしいことととらえている。
「いつもスーパーで高く買っていたのが、近所の酒屋で普通の値段で買えたと喜んでくれたおばあさんがいて、うれしくなりました。旭酒造が届けたい消費者に『獺祭』を届けられたのだなと手応えを感じています」
「獺祭」が高値で取引される背景には、需要に供給が追いついていない状況もあった。その点については、現在、年間5万石(1.8L瓶で500万本)に生産体制を強化し、市場を満たすことに成功している。
ひと通り国内は整備されたといえるが、桜井氏にはまだやりたいことがある。
「どこの飲食店にもビールがあるように、日本酒もいつでもどこでも飲める酒にしていきたいのです」
そのためには、地道に「獺祭」ファンを増やす取り組みを行っていくが、もうひとつ、桜井氏は海外からのインパクトを取り込むかたちでの国内のブレイクスルーを狙っている。
「世界でSAKEブームが起きれば、国内でも日本酒を求める人たちが増えるはず。そうすれば国内での日本酒ブームが加速し、ビールやワインと並ぶポピュラーな酒のひとつとして定着すると考えます」
日本酒ブームの運命を握る海外展開について、旭酒造には戦略が2つある。一つ目は、今年6月、フレンチの神様といわれるジョエル・ロブション氏とコラボして、パリにレストラン「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をグランドオープンしたこと(ソフトオープンは4月)。
「この場所でフランス人に本物の日本酒を味わってもらいたい」と語るロブション氏とともに、新たなマリアージュに挑む。
二つ目は、現在、ニューヨークに醸造所を建設中であること。そこでは米国内で原料を調達し、現地でベストな日本酒を開発していく。
「日本酒や日本食、日本文化に興味がある人にだけ訴求するのではなく、もっと広く日本酒との接点をプロデュースしていきたい。両方ともそのための仕掛けです」
三ツ星シェフのロブションがつくる料理なら食べてみたいという人は多い。彼らがフランス料理とともに「獺祭」を飲んで、そのマリアージュに感動すれば、きっと受け入れられると、桜井氏は読んだ。実際 、グランドオープンに際してスパークリングや「獺祭 磨き その先へ」を味わった客の反応は上々だった。
ニューヨークの醸造所については、未開拓の顧客層に斬り込んでいく。アメリカでは今、現地生産の値段も味もそこそこの日本酒と、日本から輸入した高価格帯のおいしい日本酒の2層しかない。そこで、現地生産で価格は押さえ、味は一流の日本酒を開発し、中間層に提供していくのだ。
ニューヨークで造る日本酒は、現地の米や水を使い、日本とは環境も異なる中で造られる。当然のことながら「獺祭」とは別物の酒になるため、銘柄も別にする。ただし、最高の酒を造るという企業スタンスは変わらない。
「ニューヨークの醸造所では今、父が新銘柄の開発を行っています。困ったことに“打倒『獺祭』”を掲げて燃えています」
アメリカ生まれの“もうひとつの獺祭”を造る醸造所は、2019年稼働予定。早ければ来年以降、アメリカでは本家「獺祭」と新銘柄の2つが市場に存在することになる。
「ニューヨークの会社の方も私が社長を務めます。どちらか勝っても、常に私は一勝一敗……。複雑な気分です(笑)。」
最高の酒同士のバトルが熱く燃え上がり、日本に飛び火すれば面白くなるに違いない。真の日本酒ブーム、SAKEブームはすぐそこだ。
◇旭酒造株式会社
所在地:〒742-0422山口県岩国市周東町獺越2167-4
1948年(昭和23年)設立。普通酒「旭富士」が主要銘柄だったが、3代目・桜井博志氏が蔵元になってからは、「酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒を求めて」をモットーに、日本酒は山田錦のみを使用した精白50%以下の純米大吟醸「獺祭」のみを出荷。1992年に製品化した「獺祭磨き二割三分」でその地位を確立。近年は海外の販売を強化しており、現在20カ国以上に輸出。2018年6月、パリにジョエル・ロブション氏との共同店舗「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をグランドオープン。2019年秋、ニューヨークの醸造所をオープン予定。
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代表取締役社長
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