小松成美が迫る頂上の彼方

第四部(最終回)

世界的スキッパーの行動原理、“恩送り”とは?

海洋冒険家

白石 康次郎

写真/YOICHI YABE(海上)、芹澤裕介(インタビュー) | 2018.02.19

“カッコいい”男たちに恵まれ、挑戦を続けることができた白石さん。これまで受けた恩のすべては“次代に送る(=恩送り)”のだそう。すべての成長者に届けたい「恩送り」の真意に迫ります。

 海洋冒険家 白石 康次郎(しらいし こうじろう)

1967年5月8日東京生まれ鎌倉育ち。高校在学中に単独世界一周ヨットレースで優勝者した故・多田雄幸氏に弟子入り。レースをサポートしながら修行を積む。1994年、当時26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周を達成。自身3度目での達成とともに、史上最年少記録(当時)を樹立。その他数々のヨットレースやアドベンチャーレースで活躍し、2006年には念願の単独世界一周ヨットレース「5OCEANS」に参戦し、歴史的快挙となる2位でゴール。2016年11月にはアジア人として初となる世界一過酷なヨットレース「Vendée Globe」への出場を果たす。比類なき経験と精神力は教育界からも注目され、課外授業や企業での講演も多数行っている。主な著書に、『七つの海を越えて』『世界一過酷な海の冒険 アラウンドアローン』(文藝春秋)、『人生で大切なことは海の上で学んだ』(大和書房)、『精神筋力』(生産性出版)などがある。

小松  海洋冒険家、そして日本最高のスキッパーとして名高い白石さんですが、実は、今でも船酔いされるそうですね。

白石  そうなんですよ。最初の1週間ほどは船酔いで食事が取れないくらい。最悪です。残念ながら、僕にはヨットの才能がなかった(笑)。ゴルフの才能ならあったのに。40歳を越えて、石川遼選手とラウンドする機会があって、ティーショットを打ったら僕の方が飛んだんですよ。仲が良いプロゴルファーが僕に言うんです。「白石くん、惜しいッ!」って。そして「もう遅い」って。僕の飛距離、これは才能だと思います。でも残念ながら、僕はゴルフにはいかなかった。こんなに船酔いして、航行の技術だって大したことないのに、海とヨットに魅せられてしまった。才能ないのに、ヨットの世界で生きていくことしか考えられなかった。海を見て育った僕は、将来のことなど何も考えず、ただ好きな道へ進みました。子どもの頃から必ず、好きな道、明るい道、楽しい道に舵を切るわけ。そうすると、どうなるかっていうと、世界が開けていくんですよ。才能もないのに。

小松  打算のない選択が自分の世界を広げていくんですね。

白石  見たこともない世界に出合う幸せを僕は何度も経験しています。安全だけを考えて何もしなかったら、幸せになれませんよ。僕は、母親が死に、師匠の多田さんが自殺して、1人でヨットを続けたけどスポンサーは思うように集まらなくて、世界一周も2回続けて失敗して、2016年のヴァンデ・グローブでは応援してくれた方々に悲しい思いをさせて。これでもかって言うぐらいへこむ事ばかりでしたが、悲しみや失敗がないことが「幸せ」じゃないと思って生きてきました。僕は、自分自身であることが幸せなんです。誰にも指図されず、自らの羅針盤は、常に自分の心にあるという思いだった。自由だし、仲間が増えていった。そこがとても大切でしたね。僕は何があってもどんな瞬間も幸せなわけ。

小松  どん底でも笑って明日を待てるんですね。

白石  そうです。だって、自分で選んだ道だから。

小松  そういう白石さんになれたのは、信じてくれた人が周りにいたからですね。まずは、お父さん。

白石  親の務めは信じることですね。心配することじゃない。心配は恐れだから。愛って信じることだから。片親だった僕に、父は母の分まで信じてくれましたね。

才能ないのに、ヨットの世界で生きていくことしか考えられなかった。海を見て育った僕は、将来のことなど考えず、ただ好きな道へ進みました

小松  ところで、白石さんは子どもの頃からこんなに大らかでしたか?

白石  そうですね。楽しいことしかしませんからね。でも、世の中に不満をもって不機嫌な人が多いですよね。

小松  そうですね。常に誰かが何かに苛立っている空気を感じます。

白石  僕も若い頃は、世の中の多くの人たちって、なぜこんなに不満をもっているんだろうと、その理由が分からなかったんですよ。でも、最近、みんなカリカリ怒っている訳がやっと分かったんですよね。

小松  苛立ち、怒ってる理由は何でしたか?

白石  人間って生まれてくるときには無条件で迎えられるのに、2歳、3歳になると、あれやっちゃダメ、これやっちゃダメって言われますよね。15歳、16歳になったらもっと、あれダメこれダメって言われるわけ。

小松  ええ、そうですね。

白石  中学生から高校生になって親に反抗しますね。それは自我が確立しているから当然のことですが、感情の爆発を封印して本当の自分に仮面を被せて「良い子」になるんです。それは親や先生や世間が聞き分けの良い「良い子」を求めるから。表層的には「良い子」であっても、実はその胸に常に不満が燻っている。日本には聞き分けのいい「良い子」がたくさんいます。けれど、その人たちは、いくつになっても自分を抑えることになるわけですよ。それが抑圧となって、苛立ちや怒りになるんです。

小松  なるほど。

白石  人は他人の人生を生きられません。不格好でも、無様でも、自分の人生を生きるしかない。人として正しい道を歩むことは当然だけど、親や先生たちが求める「良い子」になんて、全員がなれるはずないじゃないですか。僕は、若いアスリートやビジネスマンに会うと、こう聞くんですよ。「チャレンジしているか? 冒険しているか?」と。人が与えた仮面をはぎ取り、見えない天井を突き破るためのエネルギーを、自ら確認して欲しいからです。

小松  人間は思い描いた夢を実現するために、自分の道を突き進みたいと願いますね。けれど、実際にそれを行動に移し実現するのは、簡単ではありません。

白石  本当にそうですね。

小松  好きなことを追求する白石さんであっても、理想と現実の狭間で苦しむことはありますか?

白石  これが、無いんですよ(笑)。僕は日常でヨットマンとビジネスマンの両方を経験していますが、ビジネスマンサイドの自分を苦しいと思ったことがないんですよ。例えば、僕が着ているヨットのカッパあるでしょ。あれは、約200個の部位を縫い合わせてできているんですよ。縫製担当のおばちゃんたちがひと針ひと針、手縫いでもって1着のカッパを作ってくれる。僕はそのメーカーにカッパの提供を頼むわけですが、物だけをもらっているつもりはないんです。富山の工場にまで行って、おばちゃんたちに会って、一人一人「よろしくお願いします」と挨拶します。「大変ですね。ありがとうございます」と言うと、誰もが笑顔を向けてくれますよ。

小松  愛のこもったひと針ひと針を着て海に出ている。こんなに幸せなことはないですね。

 

思いが人を育て、絆をつくる

白石  人の思いを信じているから、海でひとりぼっちでも怖くないんですよ。2016年のヴァンデ・グローブでもこんなことがありました。新潟魚沼の酒造メーカー、八海山の南雲二郎社長がスポンサーになってくれたんですが、セールに「八海山」を掲げることができなかったんです。フランスには、エヴァン法という法律があり、スポーツイベントでお酒とタバコのスポンサーが禁止されているんですよ。

小松  聞いたことがあります。

白石  「八海山」と出せないならスポンサーは無理だという状況になって、諦めかけたとき、八海山の南雲社長と社員の方々が「うちには、アルコールが入っていない甘酒がある!」と言ってくれたんですよ。

小松  ああそれで、セールに「はっかいさいん あまざけ」とあったんですね。

白石  八海山の南雲社長は僕にとっては本当に兄のような方だし、社員の皆さんも家族のように応援してくれます。資金や物を提供してもらう感謝は忘れたことはないですが、契約書を交わすだけではない関係を、誠意を尽くした交流を、僕は築いていきたいと思ってやってきました。とにかく、納得詰めでやりたいんですよ。

小松  白石さんらしいですね。

白石  新しいスポンサーの話もあったんですよ。お金を出してくれるのは、本当にありがたい。喉から手が出るほど欲しいです。でも「今あるスポンサー名を全部消せば、セールのスポンサー額4000万円を全額出します」と言われたんですよ。それは絶対にできない。これまで支えてくださった方々を裏切ることはできないし、その思いはお金には換えられない。だから、断りましたよ。

小松  自分の心情を曲げてまではやりたくないのですね。

白石  納得いくか、いかないか、ですね。なぜかと言ったら、ヨットという競技は、死の確率も高いんですよ。死を間際にしたときに「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔だけはしたくない。いいか悪いかわからないですが、それが僕のやり方です。

小松  昔気質ではありますね(笑)。

白石  うん、そうですね。かなりの昔気質。僕の少年時代は、高度成長期で、誰もが右肩上がりの成長しか見ていなかった。ニュースではGDPが3位になった、2位になった、と騒ぐなかで僕は育ってきました。今の若者は、落ちた、危ない、と聞かされ続けている世代なんですよ。昔の大人は、若者たちに向かって「いつまで食ってんだ」とか、「いい加減に、そんなところ登るな」って言ってね、エネルギーを抑えるのが仕事だった。ところが現代では「ちゃんと食ったか?」「怖くないからもう少し登ってみろ」と、言わなくちゃならない。僕には、そう言って若者に発破をかける役目もあると思っています。

思い描いた夢を実現するために、自分の道を突き進みたいと願いますが、実際に行動に移し実現するのは、簡単ではありません

小松  白石さんの周囲には、無尽蔵なエネルギーを受け止めてくれるかっこいい大人たちがいました。白石さんを助けてくれた岡村造船所の岡村彰夫さんもかっこいい方ですよね。

白石  最高にかっこいいです。岡村社長は真の恩人ですね。25歳で初めて単独無寄港世界一周に挑戦したとき、助けてくれたのが岡村さんです。ヨットの整備には2000万円以上の資金が必要で、スポンサー探しに企画書を持って30社以上の企業を訪問しましたが、ことごとく断られて途方に暮れていました。でも、どうしても諦めきれずに、すがる思いで多田さんの友人だった西伊豆にある岡村造船所の岡村社長を訪ねたんです。僕には土下座しかできなかった。そして、「どうしても世界一周したいんです。船を直してください」と頼み込みました。

小松  多田さんと親しいとはいえ、岡村社長にとって白石さんは単なる他人ですよね。

白石  そうですよ、知らない若造です。断られて当然でしたが、岡村社長は黙って僕を受け入れてくれました。自宅の2階に住まわせてくれて、船の職人さんまでつけてくれて、工具もすべて貸してくれて、好きなだけ作業工場を使わせてくれました。ありがたくて、ありがたくて、僕は無心でヨットを直していくんです。すると、周りに応援してくれる人が増えて、少しずつスポンサーもつき始めていったんですよ。

小松  そうした人の恩があって、世界一周のチャレンジが可能になった。

 

先人から受けた恩は、次の世代に送る

白石  助けてもらわなければ、何もできませんでしたね。あの頃の僕は、助けてもらうしかなかった。自分の力の無さを自覚して、恥ずかしさもかなぐり捨てていました。僕は今、多田さんや岡村社長、「Number」の設楽編集長に受けた恩を若い人たちに返したいと思います。僕から恩を受けたと思ってくれる若者がいたら、彼らはその次の世界に恩を返せば良い。

小松  素敵なつながりですね。

白石  そうでしょ、これを恩送り(おんくり)って言うの。恩を送るの。

小松  わぁ。恩は次の世代に送ることができるんだから、思いっきり受けても良いですね。

白石  そうですよ。力がないときには、恩を受けまくっていいんです。やがて、それを送る人になる日がやって来ますから。

小松  ヴァンデ・グローブでの雪辱も白石さんにとっては恩送りになりますね。

白石  2020年に向けての準備を始めています。ヨーロッパのヨットの仲間みんなが「康次郎が出場してくれて、ヴァンデ・グローブは新しい時代を迎えた」と言ってくれるんです。その言葉に応えて完走し、良い成績を残したいですね。次は新艇で出場し、いつの日かメイド・イン・ジャパンの艇で。それが夢ですね。

小松  ヴァンデ・グローブも最年長選手は66歳ですよ。白石さん、まだまだ青年です。

白石  青年は、ヴァンデ・グローブの先にオリンピック出場も夢見ていますよ。

小松  ヨットでオリンピック?! 

白石  2020年のオリンピックは東京ですね。その次の2024年はフランスのパリです。実は、ヨットの外洋レースがパリオリンピックの種目になるかもしれないと言われているんですよ。

小松  白石さん、五輪選手を狙うんですね。

白石  もし、五輪競技になったら狙いたいですね。日の丸付けて戦いたいです。

小松  わぁ。その時にはフランスへ応援に駆け付けます。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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