小松成美が迫る頂上の彼方

第一部

世界陸上メダリストが体現する 型破りマネジメント

元陸上競技選手

為末 大

写真/芹澤裕介 | 2017.10.10

400メートルハードルで、日本短距離界初となる世界大会でのメダルを獲得し、その足跡を歴史に刻んだ陸上競技会のレジェンド為末大さんが登場。現役当時からコーチをつけないスタイルや、当時の日本でまだ定着していなかったプロアスリートへの転向など、常に挑戦を繰り返してきた為末さん。現在は、株式会社侍を立ち上げ代表取締役も務める。徹底した自己管理で世界と戦い続けた男が、次に挑んだビジネスというフィールドで、どのようなビジョンを見据え、どのような経営を行っているのか?

 元陸上競技選手 為末 大(ためすえ だい)

1978年広島県生まれ。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年10月現在)。2001年世界陸上エドモントン大会で、スプリント種目の世界大会で日本人初となるメダル(銅メダル)を獲得。2005年の同ヘルシンキ大会でも2つ目の銅メダルを獲得。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営し、スポーツに関する事業など多彩な活動をするほか、一般社団法人アスリートソサエティの代表理事などを務める。主な著作に『走る哲学』(扶桑社)『諦める力』(プレジデント社)『仕事人生のリセットボタン』(筑摩書房)など。

小松  今回お話をぜひ伺いたいと思ったのは、為末さんが現役を引退し、社長になられたからです。これまで過去3度の私のインタビューは、いずれも現役時代。今、経営者となった為末さんの理念や哲学を、陸上選手時代同様、伺ってみたいと思ってやって来ました。

為末  現役時代のようにうまく話せるかどうか(笑)。でも、何でも聞いてください。

小松  はい(笑)。選手の頃、私が一番驚き、これこそが為末さんの個性だなと思ったことは「コーチを持たない」というポリシーでした。たった一人で、時には自由に、時には苦しんで、でも、コーチを持たずに現役時代を駆け抜けました。2012年6月に日本選手権で引退をして、現在は会社経営をされていますが、会社はさずかに一人ではできませんよね。その状況の変化をどう感じていらっしゃいますか?

為末  いやぁ、ふと思うのは、なんで会社なんかやっちゃったんだろうなって(笑)。一人がやっぱり好きです。

小松  そうなんですね(笑)。本当に一人がお好きなようで。

為末  引退して会社経営者になろう、と意気込んでいた訳ではありません。会社も成り行きというか、なし崩し的に始まったんです(笑)。引退の延長線上にしか自分の人生はないわけですから、自然に任せました。最初は、選手時代のキャリアでメディアに出てコメンテーターを務めたり講演をしたりする訳です。それから、陸上協会関連の仕事もするようになり、何かのアドバイザーやりますみたいな世界にもなって。だいたい引退したアスリートってこのパターンだと思うんですよね。

小松  はい。それほど選択肢はありませんね。

為末  最初は、成り行きでいいなと思ったんです。気が楽だし、なんとか生きても行けそうだし、って。だけど、やっていくうちにだんだんと、自分の中で退屈さを感じるようになってきて、それで「会社をやろう」って思い立ちました。柄にもなく(笑)。社員を採用しだしたのが2014年なので、もう3年になりますね。

小松  どちらかというと、自分からベンチャーで起業しようというよりは、いろんな話が持ち込まれて会社になった、ということですか?

為末  はりきって起業しよう、っていう感じではなかったんですけど、「これやるなら、会社のほうがいいかな」というレベルです。よくわからなさすぎたんですよね。

小松  それは、現在の「株式会社 侍」を起業する時ですか?

為末  この会社自体は、自分が稼いだぶんを売上にして、お給料を出すくらいの、「箱」みたいなカタチで、ずっと存在していたんですけど、きちんと組織として動かすことにしたのは3年前からです。

小松  会社を経営していかがでしたか。

為末  僕が陸上以外にできたことは、まずしゃべること。そのスキルはありましたからテレビや講演に呼んでもらった。次に、自分がどのように見えるかを意識するスキル、人付き合いのスキルとか、そういうものにもまあ感覚は持っているな、と感じていました。

小松  はい、スポーツ畑でメディアに出る方としては、営業は必要ないほど引っ張りだこですものね。

為末  ありがとうございます。会社の経営も、そんな活動の延長にあるのかな、と思っていたのですが、ところがそれが、まったく違うわけですよ。びっくりしました、知らないことだらけで。そもそも会計がよくわからない。それから「マネジメントで困っている」って言っている経営者の話もよくわからないわけです。わからないことがすごくいっぱい出てくる。でも、それこそが、僕の中にあった一番の動機だったんじゃないかって思うんですよね。世の中のほとんどの人は、会社員なんだけど、その人たちの言葉がよくわからない。理解したい。それが大きかった。だったら、どこかの会社に入れよって話なんですけど。コーチがつくのが嫌だみたいな感じで、自分で経営やろう、と(笑)。

小松  わからないことへの探求は為末さんの人生のテーマ。「自分でやろう」というその心の動きは、現役の時のままですね。

為末  そうですね。変わらないですね。

小松  知りたいことがあれば、すべて自分でやる。体の機能を最大限に生かすために、現役の頃もありとあらゆることをしていましたね。タイムを伸ばすためにモデルウォーキングを研究したり、アスリートにとって最良の食べ物を探すために料理に没頭したり。

為末  そうそう。何でも深掘りするタイプで。

小松  あの頃の尋常ならざる熱心さ、思い出します(笑)。つまり、知るためにはとにかくやってみる。現役当時から、そこで結果を認知して、進んでいくっていうやり方。だから、会社経営も知りたいと思ったから本格始動したんですね。

為末  そうですね。知るために、やりました。実際、払うコストとしては高すぎたなって今、思いますけど(笑)。でも、ようやく今年くらいからカタチになった感じがしますかね。

人は、ある瞬間を境に、ものの見方とか人生感が変わる。そうした体験を生み出す場所になりたいなと思っているんです。

多数の才能が開花する
場所をつくりりたい

小松  今、その会社の一番の事業はなんですか?

為末  数字で行くと、講演とかテレビ出演とか私に関わることの売上が3分の1。利益でいくと7割くらいになります。それ以外の事業だと、何業かよくわからないものもありますね。「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」の運営や、あるスポーツのPRなどメディア周りの仕事を請け負ったりもしています。本当に、何でも屋みたいな感じなんです。僕だけで完結する第1層目の領域からはじまり、私が関わって他のみんながバリューを出す第2層目の領域、そして、私がほんのちょっとしか関わらずに、みんながバリューを出してくれる第3層目の領域まであります。徐々にシフトしてきていて、ようやく2017年に入ってから、この第3層目ができ始めているという感じですね。現在はここを力を入れてやっているところです。

小松  それは、具体的にはどんなお仕事ですか?

為末  ひとつは、日本テニス協会が主催する国際大会のSNS周りを弊社が受けてやっています。これに関しては、僕はほぼ関わっておらず、会社として受注し、やっているという感じですね。

小松  会社が請け負うためのセクションがあるんですね?

為末  うちの会社は僕以外に5人しかいないので、「あなた、お願いね」みたいな感じなんです。でも、それまでの仕事であれば、例えば、僕がこのSNSのアドバイザーとして関わります、ということをやって取っている仕事が多かった。それが、われわれの会社で言う、第2層目の仕事ですね。それが第3層目になってくると、別に僕が関わっているかどうかも、世の中もあんまり意識していなくて、クライアントも意識しないっていう領域で、これがようやく動き出して嬉しいんです。やっと、回り始めたというか、なんとかなってきたという感じです。

小松  6人の会社だと簡単ではないですね。会社って始めてしまったら、やめられませんよね。自分一人だったら、ある日、じゃあやめようかなって言えますが。そんな重圧はないですか?

為末  ありますよ。やめられませんね。それが一番、嫌です(笑)。

小松  ハードラーの頃も、やるのもやめるのも、決めるのは自分一人と言っていましたね(笑)。

為末  はい。でも、そんな僕が社長なので、うちの会社は僕への依存度が低いですよ。うちの社員はあんまり僕に期待していなくて。

小松  みんな、自分たちの力でやっていく。素晴らしいじゃないですか。

為末  宣言しているのは、ここは一生の居場所ではなくて、人生のある時期に、得難い経験をする場所だよ、ということです。もし、ここよりも良い体験を得られる機会や場所があったら、早々に行ったほうがいいよ、とも言っています。

小松  ここがキャリアの終着点ではない、と為末さん自ら社員に伝えるんですね。

為末  そうです。うちに入社すると、僕はまず、ここで経験を積んだら、次どこに行きたいかっていうところを聞きます。それを確認してから仕事をすることにしているんです。だから、ここで何をしたいかっていうよりも、次に何をするための、どんな経験をしたいかっていうところから話をしますね。

小松  社長なのにコンサルタントのようですね。 

為末  ええ、それぞれの才能に関しては、そんな思いもあります。とはいえ、いろいろ悩んでいるのも事実です。ずっといてほしいなっていう思いも当然ありますから。こういうのって難しいじゃないですか。せっかくいろんなところがうまく回り始めたくらいで、卒業みたいな話になっちゃうんで……。でも、いろいろ考えていった結果、結局自分が一番興奮することは、事業が回っていることよりも、人間が変わっている瞬間に興味があるんです。

小松  それはつまり?

為末  私自身もそうなんですけど、人は、ある瞬間を境に、ものの見方とか人生感が変わる。そうした体験を生み出す場所になりたいなと思っているんです。何万人もやるつもりはないんですけど、人が入れ替っていかないと、人生で一緒に携われる人の数も増えて行かないので、何十人、何百人、何千人と関わっていけたらいいですね。組織を大きくしていくというよりは、才能が一定期間いる場所でありたいと思っています。

小松  才能が開花して巣立って行くことの方が幸せだと?

為末  そうです。卒業していった人間が外で成功するっていうのが、うちの成功の基準である、としたいんですね。

小松  才能の流動。会社としては珍しい理念ですが、素敵ですね。それに為末さんらしいです。

為末  そうですね。よくよく考えると、本当は大学のゼミのようなことをやりたかったんじゃないかっていう気もしているんですけど。でも、経済を知るためには会社としての成り立ちも、大事だと思っているので。

小松  社員の方たちはどんなメンバーなんですか。皆さん、スポーツに関わっている?

為末  1人は、もともと僕についていた人間です。彼は変わらず僕を支えてくれていますね。あとは、陸上に関わる事業をやりたいと決めてうちへ入った男がいるんですが、彼に、この豊洲の施設でスクールなどの運営をお願いしています。あと女性が3人いて、1人はまったくスポーツと関係ない経歴なんですが、メディア周りに興味があるようで、施設の手伝いと、さっき言った、スポーツ協会周りのメディア事業のようなことをやってもらっています。もう1人は、フラフラとここでやってみたいと思ったみたいで、その都度いろいろ「これ、やってみる?」みたいな話でお願いしています。もう1人の女性は、ママさんでもあるんですが、鍼の先生になりたいっていう夢があるので学校も通っていて、空いた時間で手が必要なプロジェクトに参加しています。うちは毎日、会社に出勤しなくてもいいので。

小松  兼業も許可しているんですか?

為末  兼業もOKですね。

小松  なるほど。為末さんの会社が頂点でなく、ここで得た経験を糧にして、ここからまた出て、他で成功しなさいっていう理念が、新しい。為末流の人材育成ですね。

為末  そうですね。まあ、経営者としては失格かも知れません。なせなら、組織の利益の最大化とは矛盾するんですよ。企業の成長を目指すのが社長なら、そのセオリーからは矛盾している。そこは、すごく悩みましたね。

小松  でも才能の循環は、社会にとっては望ましい。それに、為末さんの会社にも新しい才能が流入してくる可能性もありますよね。

為末  そうなんですよ。だから、僕自身、会社がつぶれない限りは、人を輩出できるので、そこに重きを置いてやっているという感じですね。

小松成美、ノンフィクション作家。神奈川県横浜市生まれ。専門学校で広告を学び、1982年毎日広告社へ入社。その後放送局勤務など経て、1989年より執筆活動を開始し、スポーツ、映画、音楽、芸術、旅、歴史など多ジャンルで活躍。堅実な取材による情熱的な文章にファンも多い。代表作に『中田英寿 鼓動』『勘三郎、荒ぶる』『熱狂宣言』(すべて幻冬舎)『それってキセキ』(KADOKAWA)など。知的障がい者を雇用する町工場に密着した最新刊『虹色のチョーク』(幻冬舎)が絶賛発売中。

小松  為末さんは「リーダーの資質って何?」と考えたりはしますか? もしくは、自分がどんなリーダーか分析したりはしますか?

為末  分析はしますね。まず、ひとつできないこととして、僕あんまり人を怒れないんですよ。

小松  そうですね。怒ったところを見たことがないです。

為末  だから、まず怒って自分だけの方を向かせるという「統率型」が自分には無理なんだって諦めています。でもそれが、経営の教科書を読む度に、書いてあるんですよね。ちゃんと組織をつくって統率し、管理せよ、って。それが自分にはできない。オレって失格じゃないか、みたいなことは結構思っていまして、それはそれで、悩みましたね。

小松  トップには、ある種の威厳が求められますからね。

為末  ですね。でもないものはしょうがない(笑)。だから放任で、離職自由とういうスタイルに変わったっていうのもあるんです。もし、自分が怒りに近い強さを発揮できたら、統率型社長になって、「うちこれやるから、あなたこれやって」と組織をつくっていたと思うんですけど、それができないので、事業も自己申告制にしました。本当はもうちょっと、ちゃんとお金が生まれるようなものをやりたいんですけど。とりあえず、今のスタイルでやっていこうと舵を切った理由は、自分のそんな性格が大きいなと思っています。

小松  あなたは何がやりたいの? どこへ向かって歩んでいるの? と為末さんが 一人ひとりと話すのですか?

為末  話しますね。僕、話すのが好きだし。それだけが、自分の仕事だと思っています。

小松  話すことに加え、いろいろな要素をつなぎ合わせて説明するのが得意って、以前おっしゃっていましたよね。

為末  そうですね。だから、僕がやっている仕事はコーチングかもしれません。現役時代にコーチを持たなかった僕が「こんなコーチングだったら受け入れたいな」と思えるものをしたいなと。なので、何をやるかは、あなたが決める、と僕は言います。ただ、それをやるには、外からは今こう見えているとか、この人がそれには有効なんじゃないかな、っていう視点、ものの見方、考え方を提供することが重要です。最後には「でも、それをやれるかどうかは、あなたが決めることだから」と。

小松  あなた次第、と。本人に考えを促し、行動を導き出す。社長がコーチの会社、私も入りたいです(笑)。

為末  ありがとうございます。これを組織と言っていいのかわからないんですけど、僕の会社はそういうスタイルでやっています。

小松  為末さん、まさにニュータイプのCEOですよ。

為末  そうですかね。このまま生き残れば、ニュータイプですね。

小松  このニュータイプなマネジメントが成功すれば、為末メソッドが完成するかもしれない。

為末  今、小松さんと話していてはっきりわかりました。僕が会社で事業を始めたのは、人に出会い、その人が自らの才能を糧にジャンプしていく姿を見たいからです。

小松  コーチを持たなかった為末さんがコーチになっている。なんて大きな転換でしょう。

為末  本当ですね。現役時代、一人が好きで一人でなければダメだと思っていた僕が、会社を経営したら、社員とその先の人生に携われることが喜びになっていました。そう言う意味では、CEOという立場は、僕の人生のまったく新しいステージであるのかもしれません。

[続く]第二回/トキワ荘のように才能が花開く場所をつくる

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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