小松成美が迫る頂上の彼方
登山家
栗城史多
2017.05.10
登山家 栗城史多
1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登る。その後、8000m峰4座を単独・無酸素登頂。エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に6度挑戦。見えない山を登る全ての人達と、冒険を共有するインターネット生中継登山を行う。2012年秋のエベレスト西稜で両手・両足・鼻が凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にはブロードピーク8,047mに単独・無酸素で登頂し、見事復帰を果たした。これからも、単独・無酸素エベレスト登頂と「冒険の共有」生中継登山への挑戦は続く。
その活動が口コミで広がり、人材育成を目的とした講演や、ストレス対策講演を企業や学校にて行っている。
近著『弱者の勇気 -小さな勇気を積み重ねることで世界は変わる-』(学研パブリッシング)。
小松 栗城さんはエベレストに一人でいる時、恐怖を抱きませんか? 自然という人間などを本当にいとも簡単に凌駕する存在に、一人で向き合うわけですが。
栗城 必死なので、あまり恐怖心はないかもしれません。むしろ、一番は怖いと思う瞬間は、山に入る前です。実は羽田空港を出発する時なんですよ。その時が一番怖いです。
小松 仲間に見送られる空港ですか?
栗城 はい。一応、笑顔で手を振るんですけど漠然とした恐怖が胸に迫って、ドキドキしています。できる限りの準備はしているんですが、登山の準備に完璧ってないんですよ。むしろ、完璧だと思った瞬間が一番危なくて。慢心や油断が生まれますから。搭乗口に並んでいる時には、大丈夫だ、いや駄目じゃないのかと、一番気持ちが揺れているかも知れません。
小松 山に入って、実際に登っている時には怖さは感じないんですか。
栗城 ありますよ。でも、空港とは違う怖さですね。2016年にエベレストの北壁を登った時なんですが、平均斜面60度の3000メートル近い壁があるんです。それを登って結局7400メートルで下山します。でも、行くまでは実際に登ったことがないので、「60度の斜面を登って行けるのかな」と、思いながら進むんです。初めてのコースではそうしたことの連続で、果たして行って帰って来られるのかな、っていう不安はあります。どんなに準備やトレーニングをしても通じない世界があるんですよ。
小松 まさに極限の世界ですね。栗城さんがそうした世界へ挑戦すること、不可能に挑むことへの原点は何ですか?
栗城 父の存在が大きいですね。先にもお伝えしたとおり「否定しない」ということを信念にしています。これまで山を登っていて一番苦しかったのは、実は凍傷で指を失った時よりも、アラスカの最高峰マッキンリーに挑んでいる時だったんです。海外初、かついきなり単独でのチャレンジだったんですが、全員に否定されたんですね。
小松 2004年5月21日、栗城さんはマッキンリー登頂に向けて日本を出発しましたね。そして、6月12日にマッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)の登頂に成功しました。
栗城 初めての海外登山で、マッキンリーを目指した僕は、もう罵倒されまくりました。反対とかじゃないんです。「お前には無理だ」と嵐のように言われて、それがすごく辛かった。そんななかで出発の直前に父が電話をくれて、「信じているよ」と言ってくれたんです。あそこで父までもが僕を否定していたら、辞めていたと思います。でも、父の「信じているよ」という言葉を聞いて、絶対父のために頑張ろうと思えました。父は今でも僕のことを信じてくれています。それがあるからチャレンジできますし、何より、父もチャレンジャーで、その背中を見ていた影響もありますね。
小松 栗城さんのお父さんにはどんな苛酷な挑戦が?
栗城 父は北海道の瀬棚郡今金町という田舎町で小さな眼鏡屋を営んでいるんですが、僕が小学校3年生の時に、温泉を掘ったら観光客来るんじゃないか、と思い立ち、一人で掘削を始めるんです。近くにある利別川という川の河川敷に一カ所だけ雪が溶ける場所があったんですよ。そこをたった一人で、スコップを使って掘り始めたんです。
小松 ほう。ボーリングの機材ではなくスコップで。
栗城 最初はスコップでしたね。お金もなんにもないんで。ひたすら掘りながら仲間を集めて、3年後、ついに温泉が出たんです。現在、そこは「あったからんど」という温泉施設になっています。もちろん、河川は公共のものですから、温泉は父の持ち物にはならず、お金は一銭も入っていません。
小松 お父さん、ズバ抜けて行動派ですね。
栗城 まだ続きがあります。せっかく温泉を掘ったのに町には泊まるところがないということで、5年前くらいに小さなホテルをつくってその経営も始めたんです。さらに、最近、ホテルの隣にある公民館を壊すという話があったんですが、地元の高校生がバンドをやる場所がなくなるという声を聞いて、公民館を引き取ってライブのステージを手作りで完成させて、高校性たちに開放していました。
小松 思い込んだら即行動の方ですね。一本気で情熱家。栗城さん、お父さんの遺伝子受け継いでいますね。
栗城 その通りですね。有言実行の親父を「すごいな〜」と思っているんですけど、この前父に聞いたら、実は全部借金をしてやっていたんですよ。もう75歳の父に、「借金、どうすんの?」って聞いたら、「人生は宿題がある方が楽しいぞ、なくなったらおしまいだ」と言ったんですよね。もう、シンプルに「ああ、でかい人だな」と思いました。自分の父ながら、かっこいいな、と。でもその宿題、まさか僕に来るんじゃないかなと言ったら、黙っていましたけど(笑)。
小松 息子に受け継がれる宿題(笑)、栗城さんも宿題あるほうが、燃えるタイプですよね。
栗城 確かに(笑)。
小松 素晴らしい親子ですね。
栗城 父は僕に「お前、ちゃんと苦しんでいるか?」とよく言うんですよ。「登頂しました」と、言ってもほめないですね、絶対に。この「苦しんでいるか?」という言葉って、深いと思っています。人間苦しんでいる時こそ、チャンレンジしている時なんですよね。その時は学びもあるし成長もある。僕のような人間は、楽しかったとか成功したっていう時には、きっとそれに満足して、それで終わるでしょう。
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DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美