小松成美が迫る頂上の彼方
元陸上競技選手
為末 大
写真/芹澤裕介 | 2017.12.04
元陸上競技選手 為末 大(ためすえ だい)
1978年広島県生まれ。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年10月現在)。2001年世界陸上エドモントン大会で、スプリント種目の世界大会で日本人初となるメダル(銅メダル)を獲得。2005年の同ヘルシンキ大会でも2つ目の銅メダルを獲得。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営し、スポーツに関する事業など多彩な活動をするほか、一般社団法人アスリートソサエティの代表理事などを務める。主な著作に『走る哲学』(扶桑社)『諦める力』(プレジデント社)『仕事人生のリセットボタン』(筑摩書房)など。
小松 私は、たくさんのアスリートの本を書かせていただきますが、その選手を取材したいと思う理由は、成功者や栄光をつかんだ者だから、ではありません。むしろ、挫折や失敗に膝を折り、苦悩する姿にこそ心惹かれます。倒れ込んだあと懸命に立ち上がり、再び歩み出す姿こそ、読者に伝えたいと思うんです。そう言う意味では、為末さんの2000年のシドニーオリンピックでの姿は忘れられません。ついに望んだレースでの転倒。ご本人は思い出したくないかも知れませんが。
為末 いや、思い出しますよ。忘れることはないです。あの転倒がなかったら、2001年世界陸上エドモントン大会、2005年世界陸上ヘルシンキ大会での2つの銅メダルもなかったですから。
小松 為末さんは、オリンピックも2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と、3度出場していますが、やはりオリンピックは特別ですか?
為末 特別ですね。
小松 オリンピックの雰囲気ってやっぱり、異常なんですか?
為末 普通じゃないですね。でも、すごい装置ですよね。
小松 装置?
為末 日本人の心のスイッチを一瞬でオンにする「装置」ですよね、オリンピックは。選手も同じです。興奮や歓喜が体を駆け巡り、命を賭して最高のタイムを刻もうと思います。偽りなく、死んでもいいと思うくらいの気持ちで挑みます。もちろん、求める結果が、思い通りに出るわけではないのですが。
小松 私は取材をしていて、オリンピックを経験している選手と、そうでない選手は、やはり違うと思っています。単なる善し悪しや成功・失敗という話しではなく、自分を追い詰める状況が違う、というか。選手が引き受けるプレッシャーが圧倒的ですから。そこで勝てば、その反対側にある特別な喜びも得られるわけですが。
為末 オリンピックを目指す競技者は、結局そこを求めるんでしょうね。
小松 オリンピックにしかない重圧と歓喜?
為末 ええ。
小松 為末さんは北京の後、4度目となるオリンピック、ロンドン大会を目指しました。けれど、オリンピック予選となる日本選手権で転倒し、そこで引退を決意しますね。為末さんは、あの引退の瞬間を決めていたんですか? それとも、負けたことへの悔しさによる瞬間的な決断でしたか?
為末 僕はコーチがいない。コーチがいない選手の特徴って、すべて自分で決めるっていうことなんです。自分で決めるっていうことは、やはり考える時間が必要で、引退のことも、前夜には自分のなかでだいたい決まっていました。日本選手権のその日に引退すると思っていたわけではないけれど、ロンドンまでのどこかでは進退の決断をするだろうな、と。それで、レースの朝、みんなの前に出てきた時には、決めたことを胸に秘め淡々とレースに臨むっていう感じなんです。実際、あの2012年の日本選手権の時には、かなり悪い状態だったので、どこまで行けるかな、っていう不安がありました。それで、転んで、「あ、もうここまでだ」と引退を決めて、宣言したんです。
小松 一人で考える時間。つまり、前夜からの準備があったわけですね。
為末 はい。引退の瞬間ですが、それがどういう気持ちかっていうと、ひと言で言うと、気が済んだっていう感じですね。やっぱり、この辺だったか、みたいな。「気が済む」って結構大事だと思うんですよ。
小松 気持ちの節目ですよね。
為末 とことん、気が済むまでやるってことは本当に大事だと思うんですよ。やっぱり、頭にくることがあったら中途半端じゃなくちゃんと怒って、皿とか割っておいたほうがスッキリするじゃないですか(笑)。長い人生を考えると、変にためこまないほうがいい。そういう意味では、僕は、長いこと競技をやってきたので、最後の最後、本当にこれでダメなのかな、もうあと4年間、確認したほうがいいかなと思って、ロンドン五輪を目指して、それで転んで「やっぱダメだった」とか「しょうがないか」っていう感じになりました。
小松 皿、気持ちよく割った感じですか?
為末 はい、それはもう。
小松 まさに気が済んだ。
為末さんは自分を見つめるということを、最も大切にしていましたね
為末 はい。そんな感じですね。
小松 競技の結果って、人生に影響を与えたりしますか? 例えば、若く、勇んで挑んだシドニーオリンピックでの失敗は、その後の為末さんに変化をもたらしましたか?
為末 相当影響があったと思いますね。あの瞬間に、いろんなことを胸に刻むわけです。ああ、狙ったって思うようにならないんだな、とか。
小松 実体験が教訓を与える。
為末 そうですね。常に自己内対話がありますね。コーチがいないので、どんな状況に陥っても、誰も何も答えてくれないんですよね。「こんなひどいことってあると思いますか」って、振り向いても、自分一人(笑)。「そうだよな、ひどいよな」と言ってくれる人がいないって、なかなか大変で、全部自分で抱えるわけです。周囲は「でもそれ、あんたが自分で選んでるでしょ」って言いますから「おっしゃる通りです」って、笑うしかない。コーチをつけない僕は、結局、すべて自分で解決するしかないんだな、っていう精神になっていく。そういうことの積み重ねで、今の僕ができました。
小松 為末さんは自分を見つめるということを、最も大切にしていましたね。
為末 自分で答えを見つけ出さないと、進んでいけませんでしたから。
小松 そのなかで、勝敗を左右する「重圧の正体はなんなのか」と、考えたことありますか? プレッシャーって、オリンピック選手にとって最も大きな敵であり、壁ですよね。
為末 それは、考えましたね。すごく考えました。物事はすごく表裏一体だなって思うんですよね。例えば、オリンピックで、うまくいった選手と、いかない選手がいて。いかない選手たちのなかには、なんとも言えない感情が渦巻いているわけですよ。そのエネルギーって、やっぱり強いので、それをグワーと自分自身に突っ込むんですよね。
小松 なるほど。
為末 例えば、2017年9月9日、第86回天皇賜盃日本学生陸上競技対校選手権大会男子100m決勝で、桐生祥秀くんが9秒98を記録しました。伊東浩司さんの日本記録10秒00を19年ぶりに更新して、日本人史上初の9秒台スプリンターになったんです。桐生くんの9秒98の記録を受けて、ケンブリッジ飛鳥くんや山縣亮太くんの心中たるやいかにっていうことに、僕は興味が沸くんですよね。ケンブリッジくんも山縣くんも、自らが9秒台で最初に走ることを目指していたわけですよね。
小松 ともにリレーを走るメンバー、全員狙っていたわけですもんね。
為末 全員「初」が欲しいって思っていたはずですからね。けれど10秒の壁を最初に越えたアスリートは桐生くんだった。ケンブリッジくんや山縣くん、彼らの心にはエネルギーが渦巻いていると思います。だからこそ、次を狙ってくるわけですよ。アスリートの戦いって、その繰り返しじゃないですかね。
小松 日本人が10秒の壁を打ち破ったことはケンブリッジさんも、山縣さんも、喜んでいますかね?
為末 喜んでないと思いますよ。少なくとも僕だったら、絶対喜ばない(笑)。
小松 そうですよね。
為末 一応、大人だからお祝いは言いますけどね。だけど、この結果がみんなに火をつけて誰かが爆発するはずです。桐生くんを越えていくかもしれない。そういう意味で、何が良いか悪いかわからないことだと思うんです。9秒台を最初に出せなかったことが、その後の偉大な記録を作るかも知れない。
小松 スポーツは常に上昇気流、いつも右肩上がりはないわけですから、何をぐわーっと大きなエネルギーに変えられるか、ですね。
為末 はい。競技を続けていくと、あの時負けて良かった、失敗したからこそその後の成功があった、と素直に思います。
小松 オリンピック選手が夢を叶えるって、途轍もないことですよね。一度メダルを獲ったことは、夢のすべてではなく、一端でしょうから。
為末 そうですね。ひとつメダルを獲って、それが人生のピークと思う選手はいないと思います。少なくとも僕はそうでした。次はどんな走りを目指すのか、年齢を重ねた自分はどんな成長を観ることができるのか、夢を叶えるチャレンジは次々に生まれていきます。
小松 そのチャレンジを続けるメンタリティが、アスリートには必要なんですね。
為末 将来の目標を決めて、そのために必要なことを毎日一生懸命やる。そうすると夢が叶う。非常にシンプルな真理です。けど、明日やる気がない自分はどうしたらいいんだっていうことが大問題(笑)。やる気がない自分をどうすればいいか、それは誰も教えてくれないわけですよ。
小松 どうすればいいんだろ?
為末 気分がころころ変わる。おなか空いているだけで、やる気が出なくなるわけじゃないですか。だから、そのように揺れ動く、思うようにならない、最大のモノって、実は環境じゃなくて、自分の心だと思うんです。現役時代は、その思うようにならない心をどう扱い続けるかっていうことがメインテーマだったように思います。僕の場合、最初のオリンピックだったシドニーでは、そこがまったくダメでしたね。
小松 22歳の為末さん、落ち着いて見えましたが。
為末 全然ダメでした。そして、このように本番でビビってしまう自分をどうすればいいのかっていうのを学習していくんだって、思い知るんです。
小松 失敗のエネルギーの引き受け方。そして、その後の爆発の仕方。アスリートのドラマは、そうした心の動きに起因しているんですね。ところで、為末さんは現役時代に「成功とは何か。その位置づけを考える」とおっしゃっていましたよね。
為末 そうですね。シドニー五輪の失敗も大きいですし、そのあと、世界陸上のエドモントン大会でメダルを獲るんですけど、これは僕にとってのひとつの成功であるわけです。当時の感覚で行くと、世界陸上の400メートルハードルでのメダルは前人未到だったんですね。それはそれは「自分はすごいことをしたんだ」と思って舞い上がって、正直に言うと、これで生涯安泰だと思ったんです。だって、長嶋茂雄さんも安泰そうに見えるし、偉業を成した方々はみんな安泰そうだから、日本人初を成し遂げた僕も安泰なんじゃないかな、と(笑)。ところが、実際には全然安泰じゃなくて、その先の「こんな自分をどうしていけばいいのか」っていう思いの連続なわけです。
小松 苦しんでいるオリンピアン、いっぱいいますね。
為末 どんな優れた選手も永遠にメダルを獲り続けることはできない。やがて「引退したら何するの?」っていう話になる。つまり、結局すべてはプロセスであって、何かひとつ達成したからといって何も終わらない。道は続いていくんですよね。終わりは、死ぬこと以外にないんじゃないかって思って。だからこそ、この人生の道中をどのように歩み、自分を愛していけばいいのかっていうことが、生きることのテーマなんじゃないでしょうか。
小松 成功は点ですね。失敗という点もある。その点をどうつないで歩んでいくのか。そのプロセスこそが生きること。
為末 あらためて現役時代をふり返ると、そんな感じでしたかね。
小松 23年の現役時代、たった一人で競技に挑んで、実はとても孤独で。それでも、一人が好きだった為末さんはハードラーとして成功を勝ち得ましたか?
為末 うーん、半々って感じですかね。やっぱり、世界一になりたかったですね。あと、オリンピックのメダルは欲しかった。それは、手に入らなかったので悔いる気持ちは今もあります。「世界陸上で2つのメダルを獲得して成功しました」というスタンスで世の中にいたほうが、商売上、有利なので、そうしていますけど(笑)。
小松 もちろん、素晴らしい成功でした。果敢だった為末さんは、負けることを恐れない人にもなれましたか? 永遠に勝つことができないアスリートは、負けを受け入れる力が必要だと思いますが。
為末 小松さんの質問に対しての的確な答えかどうか、わからないんですが、現役最後の4年間って、結構落ちていく4年間だったんですね。プロだと明確にいろんなものが落ちていくんです。そんな僕に興味をもって、取材に来てくれる奇特な方もいますけど、基本はメディアも注目しているところに集まるので、僕への関心は当然減っていき、マスコミの取材も減りました。それから、支援者も減るんです。いろんなものが、目に見えてどんどんなくなっていくんですね。
小松 苦しかったでしょうね。
為末 はい。僕は、自分のプライドをもう1回ゼロにするっていうことはなかなかできなくて、実際の状況を受け入れられなくて、もがきました。でも僕は、運が良かった。いくら気取っていたって、あなたもう落ちぶれちゃっているじゃないですかって、最後の4年間に明確につきつけられたんですね。だから、地に足を付けることができました。それで引退後の人生への考え方が、だいぶ変わりましたね。最初のピーク時で引退したら、オフィスはやっぱり、丸の内とか六本木ヒルズかな、車はベンツで、マネージャーは何人で、みたいなことを言っていたと思います(笑)。実際、そういう感覚だった時代もあったので。でも、最後に落ちぶれて、現実を突き付けられたお陰で、今の原宿のオフィスを未来のトキワ荘とすべく楽しく過ごせる自分がいますから。
競技を続けていくと、あの時負けて良かった、失敗したからこそ、その後の成功があった、と素直に思います
小松 現実を受け入れる力が必要なんですね。
為末 結局、アスリートのセカンドキャリアにおける最大の問題って、プライドマネジメントだと思うんです。スターだった自分はこんなことできない、と思った瞬間に、世界は縮小しますね。今の僕なんて、「えっー!3万の机買っちゃったの」みたいな、そういう感覚になっています(笑)。引退に向かう時期に、この現実感を得られた僕は、運が良かったなって思います。
小松 落ちた自分を受け止め、運が良かったと言い切れるのは、まさに負けることを恐れない姿勢ですね。
為末 そうですね。そして運が良かったなっていう点は、もうひとつあって、引退したらもっと、挑戦の気持ちがプツッと途切れちゃうと思っていたんですが、そうでもないなっていう感じになっているんですよ。むしろ、現役時代にない成功を思い描いたりしています。
小松 どんな成功ですか?
為末 ウサイン・ボルトより、成功するにはどうしたらいいかって、今考えているんですね。どうすれば世界的にボルトより成功したって言えるのか、って。社会を変えるような人材を大勢輩出していくことで、ボルトより成功したって言わせたいですね。この勝負は、身体能力関係ないんで負けませんよ(笑)。
小松 知力とアイデア。あと言葉の力。
為末 そうそう。気合と根性で行けるんで。そもそも、ハードル選手になったのも、100メートル走よりハードル跳ぶ方が、気合と根性だと思って選んだんです。そういう意味では、今の世界でも、険しい道を選びがちです。
小松 勝負が続いている感じですね。
為末 続いているような、いないような(笑)。
小松 現在、為末さんは、スポーツアンドテクノロジーの世界で多様なビジネスを仕掛けていますが、なぜそこに興味をもちましたか。単に陸上のコーチや陸上クラブの運営ではなくITや最先端技術など、知らないことにも好奇心をもって足を踏み入れていく感じですが、その源泉はなんですか?
為末 一番の興味の源泉は、どうして僕はこんな風なんだろうってことなんですね。
小松 やっぱり「自分」でしたね(笑)。
為末 いきなりすごい結果を出したり、シドニー五輪みたいな失敗があったり、やる気が出たり、出なかったり。そこから派生して、つまり、人間を理解するっていうこと、自分を理解するということに興味があって。だから、いつも僕は周りの人と話しています。すごく象徴的だなと思ったのは、以前、堀江貴文さんと何かを見ていて「なんでこうなっているんだろう」って、堀江さんが言ったタイミングで、僕が「なんでこう思ったんだろう」って言ったんですね。ある物事を見た瞬間に、堀江さんは起きている出来事を物理的に理解しようとしたんですね。一方、僕は、起きている出来事に介在する人間の思考に興味をもった、そういう自分を理解したんです。
小松 為末さんぽい(笑)。
為末 プレーするスポーツほど、自己に向き合うものもないし、観戦するスポーツほど、一体感があるものもないうえに、今はそれが、テクノロジーで、増幅したり、時空を超えたりできるわけです。悪い面もあるかもしれないですけど、いろんなことが生まれていくなかで、僕は人が楽しみ、幸福になる可能性を追求していきたい。最後の最後、結局我々人間は、喜びのために行動しているのだとしたら、我々の喜びってなんなのかって、追い求めたいです。
小松 社長の為末さん、今は人が大好きだから社員の方々に囲まれて嬉しいでしょう。
為末 人に興味があるので、こんなふうに日々のなかで意思決定するんだ、と社員を観察したり。同時に僕も社員に観察されています。戦略的に見せているけど。実は、思いつき(笑)。
小松 未来、これだけは、成し遂げたい、と思うものありますか?
為末 どの状態が、成し遂げた状態かわからないんですけど、やっぱり例のトキワ荘をもうちょっと頑張りたいなと思うんですよね。拡大して行って、日本で一番面白い人たちがいる場所にしたいです。分かりやすいかたちとしては、トキワ荘で立ち上がっているベンチャーから上場企業がひとつ出てほしいなっていうのは思います。
小松 いいですね。
為末 オフィスを使ってもらってる『Tリーグ』という卓球のトップリーグが2018年秋のスタートを目指して動いています。それに続いて次は上場企業がひとつできてくれたらいいですね。それが加速をつけて、それをどんどん世界に展開していきたいなっていう思いはありますね。
小松 とんがった才能もなかにはいるでしょうね。
為末 はい。そういう人が、とにかく、集まってくれる場所を作って待っています。
小松 為末トキワ荘ですね。それって、為末さんが完全に現役時代より進化したことの証明ですよ。だって、一人じゃなきゃ嫌だったのに、大勢でいてその意見や行動に目を細めているなんて。
為末 まあ、そうですね。
小松 自分で事業拡大して営業して頂点目指す社長とは違いますね。
為末 そうですね。
小松 すごい。ニュータイプ。
為末 だから、経営者って言っていいのかとは思いますよ。とりあえず、為末トキワ荘の管理人ではあるのは、間違いないですね。
小松 遊びに行っていいですか?
為末 もちろんです。狭いですけど、本当に楽しいですよ。
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美