小松成美が迫る頂上の彼方

第四部(最終回)

どっちの道がかっこいいか? 迷ったときは、そう自分に問いかける

元水泳日本代表

松田丈志

写真/阿部拓歩 動画/ロックハーツ スタイリスト(松田丈志)/中西ナオ 衣装協力:ジャケット82,000円(ディーゼル/ディーゼル ジャパン)、パンツ30,000円(リプレイ/ファッションボックスジャパン)、その他スタイリスト私物 | 2017.02.10 | 2017.03.03

小松成美氏と松田丈志氏の対談連載の最終回。松田氏が「決断」について語ります。一流アスリートは、どんな思考で決断を下すのか?

元水泳日本代表  松田丈志

宮崎県延岡市出身。地元・東海(とうみ)スイミングクラブで4歳から水泳を始める。久世由美子コーチ指導のもと頭角を現し、2004年のアテネでオリンピック初出場を果たす。2008年の北京五輪では見事に200mバタフライで銅メダルを獲得。2012年3度目となるロンドン五輪に競泳チームのキャプテンとして出場し200mバタフライで銅メダルに輝く。また400mメドレーリレーでは、日本競泳史上初となる銀メダルを獲得し、レース終了後のインタビューで 「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」とコメントし、2012年新語・流行語大賞のトップテンに選出される。2016年にリオデジャネイロで開催されたオリンピックでは、男子800mフリーリレーで銅メダルを獲得し有終の美を飾る。同年現役を引退。

小松  アスリートには、連綿と続くトレ−ニングの日々があります。命を賭した試合があります。そうした時間を過ごす中では、常に「決断」を迫られると思います。松田さんは、迷いなく決断を下すタイプですか?

松田 もちろん、迷い悩むこともありますが、決めたら揺らぐことはないです。

小松  オリンピックを繰り返し戦うことは、「決断」の連続ですね。

松田 間違いありません。決断なしには、五輪の舞台も、メダルも、あり得ませんでした。

小松  リオデジャネイロオリンピックを終え、帰国してすぐに引退会見を開きましたね。リオをゴールに引退することをいつから考えていらしたのですか?

松田 自分の言葉でリオまでの挑戦を明言したのは、リオ五輪開催の1年半前です。それによって、自分自身も本気で4度目の五輪に向けて取り組む時間が始まりました。その時点で、これまでにないほど集中して最上級の練習を続けたら、さらなる上昇気流にのれるかもしれないという気持ちもありました。覚悟を決めて本気で挑めば、もっといい結果やパフォーマンスができるかもしれないという期待値みたいなものもあったんですよ。ところが、本気でやればやるほど、過去とは違ってきていることを実感することになりました。

小松  肉体的に?それとも精神的に?

松田 肉体的に、です。精神が揺らぐことがなくても、体力とその機能が目指すレベルに届かないのではないか、と感じるようになったんです。オリンピックスイマーとしてのレベルを永遠に保つことは不可能なのだ、と思い知りました。そこで、第二の人生が見えてきたんです。トップスイマーの一員としてリオまでたどり着いて、やりきって、そして願わくばそこで結果を出し、ゴールを迎え、新たな世界へ歩いて行きたい、と。そう気持ちを固めていました。

小松  どんなことがあっても最後まで挑戦するという覚悟を持った。

松田 はい。結果はどうなるかはわからないけれども現役選手としてやるからには、リオでもメダルを目指すしかないと考えていました。

小松成美(こまつなるみ) ノンフィクション作家。神奈川県横浜市生まれ。1982年毎日広告社へ入社。1989年より執筆活動を開始。代表作に『熱狂宣言』『中田英寿 鼓動』(幻冬舎)『それってキセキ GReeeeNの物語』(角川書店)『イチロー・オン・イチロー ~Interview Special Edition~』(新潮社)『横綱白鵬 試練の山を越えて はるかな頂へ』(学研教育出版)『五郎丸日記』(実業之日本社)ほか多数

小松  ロンドン五輪から戻ってインタビューをさせていただいたとき、松田さんは「年齢を考えるとリオ五輪への挑戦は未だかつてないほど苛酷なものになる」と、言っていました。そして、苛酷な挑戦の最中に、現役引退という大きな決断もなさっていたんですね。2016年8月、地球の裏側のオリンピックで戦いながら、同時に「現役」から降りるロードマップも考えていた。

松田 描いていましたね。

小松  ロンドンで苦しい思いもし、リオを想像することが難しいとおっしゃっていた時点からメダルを持ち帰り、ひとつの頂上に立った瞬間でしたね。

松田 山の高さ、という意味では、競技成績や選手としてのパフォーマンスはロンドンの方が高かったと思っていますが、最後までやりきったという感覚はなかったんです。まだ自分の中に伸びしろだったり、できることがあるんじゃないかという気持ちがあったからだと思います。それに比べて、リオではやりきったというところまで競技ができた。しかも、それがオリンピックという時期にマッチしたのが、自分のなかでも素晴らしいと思いました。

小松  10代からオリンピック目指し、戦った松田さんの「決断」の決め手は、どのようなものですか。

松田 これは水泳を通して学んだことですが、どんなときも「より苦しい道を選ぶ」ということです。僕が右にいくか左にいくか、それを悩んだときに考えることは、「どちらの道が険しく困難か」ということです。それを見極め、状況を把握したら、何の迷いもなく「より苦しい方」を選びます。苦しい道を選択することに自分自身のチャレンジやトライがあって、そこに向かっていくことに学びがあるからです。

小松  そうでしたか。実際には、なかなか苦しいほうを選べないですよね。達成できるかどうかは分からない瀬戸際の挑戦であればあるほど、人は「安定」や「穏便」を選んでしまう。

松田 苦しい方を選ぶ理由は、もうひとつあります。

小松  それは?

松田 かっこいいから(笑)。そこであきらめた自分と、あきらめずに挑戦する自分、どちらが「かっこいい」のかと考えたときに、泥臭くてもいいから最後までチャレンジするほうが、圧倒的にかっこいいと思えたんです。水泳が速くなりたいと思ったのも、遅いより速い方がかっこいいからですし、最終的には格好つけたい自分が、競技に挑む自分の背中を押してきました。

小松  かっこよくありたいという気持ちの結実がリオの800mリレーの銅メダルですね。10代、20代のようには行かない肉体に鞭を打って、けれど涼しい顔で、泳ぎ続けた結果ですね。

松田 ええ。現役との別れを気持ちよく迎えることができました。日本代表を離れた今も、「苦しい道の選択」や「かっこいい方を選ぶ」ことは自分らしさの証しだと思っています。これからも続けて行きますよ。

小松  その宣言、かっこいいです(笑)。

松田 ありがとうございます(笑)。

引退後は、アンチ・ドーピング機構のアスリート委員としても活動している松田氏。フェアの精神や啓蒙活動に従事している。

小松  引退し、オリンピックを目指す選手ではなくなった。そこで何か変化はありましたか?

松田 精神的にはすごく変わりました。現役中は、常に強くなること、成長することを一番に考えます。その緊張感がなくなったのは、やはり寂しい。けれど、ほっとしている部分が大きいですね。朝起きて、「あ、今日練習しなくてもいいのか」と思うと若干幸せを感じますね(笑)。

小松  やりきったからこそ、幸福感があるのでしょうね。

松田 そうですね。

小松  現在はアンチ・ドーピング機構でも活動していますね。どのようなことを?

松田 アンチ・ドーピング機構とは、アンチ・ドーピングのルールや精神の啓蒙を通して、フェアなスポーツを守る活動をしている団体です。僕の仕事は、アスリート委員としての啓蒙活動がメインです。先頃、アジアの水泳関係者の集まりで、自分自身の思いやアンチ・ドーピングに対して現役中にやってきたことをプレゼンテーションさせてもらいました。

小松  日本人選手はとてもクリーンで、道徳心に厚く、正義の行動をいつも貫いている。ドーピングとは遠い国です。しかし、世界は広くて、メダルの価値に押しつぶされ、ドーピングに走る残念なケースも少なくない。その現実のなかにあって、日本人の魂や行いは、絶対に世界をリードできると思います。

松田 そう思いますね。元アスリート、元オリンピアンの僕らが、現役の選手に対してクリーンな舞台をつくってあげることや子どもたちに伝えていくこと、そして日本がアンチ・ドーピングという立場で世界的に存在感を示し、アジアをひっぱっていくことも大事です。そうしたメッセージを、機会あるごとに伝えて行きたいです。

小松  改めて伺います。オリンピックは松田丈志にとってどのようなものでしたか?

松田 自己を磨く最高の機会でした。オリンピックがあったおかげで、水泳も頑張れたし、そこで結果を出したいという頑な意思も貫けた。常に自分と向き合ってこられました。オリンピックのおかげで成長させてもらったし、いろんな経験をさせてもらったと思っています。

小松  30代、40代、50代と歳を重ねていくことで、価値や思いもさらに変わっていくかも知れませんね。

松田 はい、より尊くなるかも知れませんね。自らの輝きをいっそう増すためにも、今後も色々なことに挑戦し続けたいと思っています。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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