小松成美が迫る頂上の彼方
海洋冒険家
白石 康次郎
写真/YOICHI YABE(海上)、芹澤裕介(インタビュー) | 2018.01.15
海洋冒険家 白石 康次郎(しらいし こうじろう)
1967年5月8日東京生まれ鎌倉育ち。高校在学中に単独世界一周ヨットレースで優勝者した故・多田雄幸氏に弟子入り。レースをサポートしながら修行を積む。1994年、当時26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周を達成。自身3度目での達成とともに、史上最年少記録(当時)を樹立。その他数々のヨットレースやアドベンチャーレースで活躍し、2006年には念願の単独世界一周ヨットレース「5OCEANS」に参戦し、歴史的快挙となる2位でゴール。2016年11月にはアジア人として初となる世界一過酷なヨットレース「Vendée Globe」への出場を果たす。比類なき経験と精神力は教育界からも注目され、課外授業や企業での講演も多数行っている。主な著書に、『七つの海を越えて』『世界一過酷な海の冒険 アラウンドアローン』(文藝春秋)、『人生で大切なことは海の上で学んだ』(大和書房)、『精神筋力』(生産性出版)などがある。
小松 ヨットマンである白石康次郎さんは、名刺の肩書きに海洋冒険家と記していますね。ヨットマンであると同時に、冒険家でもある。それもフィールドは大海原。冒険という言葉に、何か強い思いはありますか?
白石 一人でヨットを航行することは、それ自体が冒険です。僕の思いを突き詰めていくと、ヨットに乗りたいのではなく、冒険をしたいんですよ。「怖い」とか「助けて」とか、そんな声が誰にも届かない場所で、一人きりで、自然に向き合うことを求めています。少しでも「怖い」なんて思っていたら、ヨットで単独航行なんてしないですしね。今は、出会ったすべての若者たちに「冒険しろよ」と言ってます。今の若者たちは、安全や安心を求めて冒険を考えることすらしない。
小松 冒険が足りませんね。
白石 僕は手段としてはヨットというスポーツを用いていますけど、一度、海に出たら、冒険家に徹しています。
小松 「冒険」を辞書で引くと、「危険な状態になることを承知の上で、あえて行うこと。成功するかどうか成否が確かでないことを、あえてやってみること」と、ありますね。
白石 冒険というのは、キラキラした夢に向かうこととは違いますよ。居心地のいい自分から抜け出して、困難に飛び込んでいくことです。無謀かも知れないけど、新しいことをやってみる、ということですよ。だから、ほとんどの場合、失敗します。なぜ、冒険は失敗からスタートするか分かります?
小松 そうですね、「初めてのこと」だからですか?
白石 その通り。失敗の理由は簡単。困難なことに初めて挑むからです。
小松 白石さんは、少年時代に「船で海を渡る」という夢を抱き、船舶の機関士を目指して神奈川県立三崎水産高等学校(現:神奈川県立海洋科学高等学校)へ入学しますね。
白石 鎌倉の海を見て育ったから、とにかく海が大好きで、海で生きていくにはどうしたらいいかと考えたんです。船に乗ればいいんだ、と思い立って、いち早く船に乗るには、船舶運航コースのある神奈川県立三崎水産高等学校が良いだろうって、中学3年のときに自分で進路を決めました。
小松 白石さんは、横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学出身ですね。国立の進学校にいた白石さんの担任の先生は、驚いて、呆れて、言葉を失ったそうですね。
白石 「なぜ水産高校に行くんだ。船に乗るなら、大学から学べばいいじゃないか」と嘆き悲しんでいました。落ち込む先生を僕が慰めました。「水産高校に進学するのは先生じゃなく、僕なんですから。そんなに悲しまないでください」と(笑)。
小松 水産高校進学後に運命の出会いがありますね。
白石 はい。運命の人に会いました。
小松 在学中の1983年、第一回単独世界一周ヨットレース(BOCレース)で多田雄幸さんが優勝したニュースを見て、自分のやるべきことは、大型船の機関士ではなく、ヨットで世界一周をすることだ、と思い立ったそうですね。
白石 優勝した多田さんの姿を見て、雷に打たれたような衝撃を受けました。その瞬間、「ああ、自分がやるべきことはヨットなんだ」と、信じ込むんです。
小松 水産高校進学と同じですね。信じ込む力が強い(笑)。
冒険というのは、キラキラした夢に向かうこととは違いますよ。居心地のいい自分から抜け出して、困難に飛び込んでいくこと
白石 それが、僕の本質なんでしょうね(笑)。多田さんは手作りのヨット「オケラ五世」で出場して、並みいるスターヨットマンをおさえ、頂点に立ちました。僕は多田さんに会うしかない、この人の弟子になるんだと決めて、まず、東京駅に行きました。
小松 なぜ東京駅に?
白石 電話番号を調べるためです。東京駅に行って、公衆電話の下に置いてある電話帳で「多田雄幸」を探して、見つけました。迷わずその公衆電話のダイヤルを回して、電話に出た多田さんに「弟子にしてください!」と言いました。驚いている多田さんの家に駆け付けて、そこでも弟子入りを頼み込んで、弟子にしてもらったんです。
小松 白石さん、ヨットレース以前に、物凄い冒険していますね(笑)。
白石 怖い物知らずでしたね。
小松 そして、多田さんの弟子としてレースをサポートしながら修行を積み、1994年には、ヨットによる単独世界一周を成功。今までに合計で3度の世界一周を経験しています。その他にも、幾多のアドベンチャーレースにも参加し、海洋冒険家としても世界に名を馳せています。
白石 小松さんが語ってくれたプロフィールを聞けば、僕は奇跡の成功者のようですが、実際は、いつもどん底でしたよ。どん底からのスタート。
小松 冒険はやはり、失敗から始まるのですね。
白石 そうです。僕も、単独世界一周を2度失敗しましたよ。1回目惨敗して、どうしても諦めきれなくて、2回目に挑んで。スポーツグラフィック誌「Number」の設楽敦生編集長はじめ、多田さんの友人たちがお金を出してくれて、それでもやっぱり、失敗するんだよ。2回連続失敗したわけ。お金を返すあてもない僕は、設楽さんに、泣きながらあやまりました。
小松 単独世界一周に成功したのは3度目なんですね。
白石 そうです。成功したのは3回目。
小松 1993年~1994年、スピリット・オブ・ユーコー号にて史上最年少(当時26歳)単独無寄港世界一周を達成しました。たった1人、176日間の航行でした。実は、この勝利を師匠の多田さんは、見られなかった。1991年3月8日、滞在先のシドニーのホテルで自殺してしまうんですね。
白石 本当に衝撃が大きかったです。多田さんは当時、鬱病を患っていて、誰にも、どうすることも、できなかったんだと思います。
小松 白石さんは、ヨットを自作し、3度のチャレンジへ。
白石 はい。あのレースで勝てたのは、亡くなった多田さんへの感謝や恩返しの思いもありますが、それより、何より、実力がついていたからですよ。2回もこっぴどい手痛い失敗をして、気がつくと実力がついていた。
小松 なるほど。経験を積んで。
白石 簡単なことです。だって、初めてで上手くいくはずがない。2回目やるわけ、でも、簡単には成功できない。でも、3回目にやったら成功できる。つまり、勝つことができる力がつくからなんですよ。何が言いたいかっていうと、実力がつくまでは、とにかく経験が必要なんですね。
小松 最初からできるはずがない。そのことを知らなければ、1度の失敗で自分を敗者だと決めつけかねないですね。
白石 そうなんですよ。だから、僕、ヨットスクールや、サマーキャンプで会う子どもたちにいつもこう言っているんです。「挑戦しなさい」と。マザーテレサも同じこと言っているんですよ。「神様はあなたに成功なんて望んでません。挑戦を望んでいるのです」と。挑戦って何かと言えば、「初めてのことに挑むこと」なんだよね。
小松 マザーテレサの言葉、胸に響きますね。
白石 人への真のアドバイスですよ。最近の世の中も、意外と「挑戦しろ」って言うんですよ。テレビも先生も。でも、それで挑戦するじゃない。そうすると失敗を怒るんだよね。で、何がダメだったか反省しろと、促すわけ。それは、話が違うと思うんですよ、僕は。批判するべき相手は、挑戦して失敗した人ではなく、挑戦しない人、ですよ。
小松 挑戦した人を批判してはならない。
白石 例えば、若者たちに成功しなさい、勝ちなさいってオーダーしたら、若者たちはどう考え、どういう行動を取ると思いますか。彼らは、成功しないものと勝てないものに手を出さない。そうなります。
小松 そこに冒険はない。
白石 まず、失敗しないように考えるわけ。そして、成功するもの以外、手を出さなくなるんですよ。だって、大人からそういうふうに言われているんですからね。
小松 世界が小さく、歪曲しますね。
白石 それが今の世の中。成功が約束された挑戦、勝利が約束された勝負なんてないんです。これはヨットも、スポーツも、ビジネスも同じだと思います。フランスのある作家は、こう言っています。「国を滅ぼすには、若者たちに挑戦なんかするな、そこそこでいいんだと教え込めばいい」と。挑戦しないと新しいもの、イノベーションが生まれて来ないから国が滅びるっていう話です。
小松 敗北や挫折を得て力をもつことで、事をなし得ることができる。その経験のロードマップを恐れないで欲しいですね。
最初からできるはずがない。そのことを知らなければ、1度の失敗で自分を敗者だと決めつけかねないですね
白石 時代は物凄い勢いで変化していきます。今目の前にいる大人がすべてを見通せる能力なんてあるわけないし、その先の未来なんて、そこに立つ人間しか知り得ない。
小松 時代の変革は加速度を増していると思います。
白石 うちの親父が言っていましたが、青年の頃、仕事で一番の花形は石炭だった、と。けれど、30年後、石炭など見ることもない生活が待っていた。
小松 30年以降も時代の先端で花形だという仕事は、今はないですね、きっと。
白石 言い換えれば、現代にはないビジネスモデルが30年後の花形になっているわけ。だから、誰も見ていない30年後に向けて挑戦をしなくちゃ。挑戦を止めてしまうと、進歩や向上心は潰えますよ。確かに国は滅びるんですよ。
小松 冒険を促す大人、先達には失敗を許す度量が必要ですね。
白石 そこですよ! 僕が2回失敗したとき、応援してくれた人たちには、失敗を責めない肚、度量があるわけ。僕のヨットを係留していた松崎町の岡村造船所の岡村彰夫社長は、僕のヨットを修理し整備してくれた方ですが、僕が2回失敗して泣いて詫びたとき、僕にかけた言葉はたった一言でした。「だろ」の一言。それだけです。そのとき「ああ、失敗する事が分かっていたんだ、この経験を得るためにずっと応援してくれてたんだ」と、分かりました。僕自身、50代になって、そういう大人になりたいと、心から思いますよ。
小松 岡村社長は、白石さんの一番の支援者ですね。
白石 20代の頃から、ずっと、僕に好き勝手させてくれた。Numberの設楽敦生編集長もそうでした。「金返せ」なんて、一度たりとも言わないんですよ。世界単独レースを2度失敗して何もかも失った僕に、設楽さんは200万円ぽんと渡して「これで車買え」って言ってくてたんだもん。カッコよかったなぁ。一度渡したら、とやかく言わない。ずっと、見守ってくれて、黙って僕に生意気をやらせてくれたわけです。
小松 見守る心が人を育てますね。
白石 人が育つって、それしか無いんじゃないですか。そうやって目をかけて、成長を見守ってくれた。とやかく、ああしろ、こうしろ、とか言いません。でも「助けてくれ」って言ったら、何も言わず助けてくれた。子育ても、社員の育成も一緒だと思います。細かいことは言わず、成長をずっと見守る。
小松 リーダーは、冒険に出ようとする気持ちの芽を摘まない。
白石 そうですね。そして、背中で全てを語ります。僕は、多田さんの大親友だった冒険家・植村直己さんの生き方を多田さんから聞いて、それを仰ぎ見て生きているんで、傷だらけになっても、孤独であっても、自分の人生からは降りてはいけない、と学びましたよ。
小松 植村直己さんは、世界初の五大陸最高峰登頂を成し遂げた登山家、冒険家ですね。明治大学山岳部時代に山と冒険の魅力にとりつかれ、1966年ヨーロッパのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ、1968年南アメリカのアコンカグア、1970年には日本人としては初めてアジアのチョモランマ(エベレスト)と北アメリカのマッキンリー山(デナリ山)の登頂を果たします。そして、 1978年北極点単独初到達、グリーンランド初縦断。前人未踏の冒険を続ける植村さんは、1984年南極大陸単独横断に備えてマッキンリーの冬季単独登頂するも、下山の途中に行方不明になられました。ご遺体は発見されぬままですが、1984年に国民栄誉賞が贈られましたね。
白石 植村さんがマッキンリーで行方不明になったときに、僕は高校性でしたが、後に多田さんから昨日のことのように植村さんのことを伝え聞いて、その魂を感じながらヨットに乗っていました。死んでないんだよ。肉体はなくなったけど、植村さんの行動や、残した言葉は、そのまま僕の血肉になっている。例えば、戦国時代の三英傑の信長、秀吉、家康だって、数十年の生き様が未だに生きてるでしょう。江戸時代の元禄15年12月に討ち入った赤穂浪士だって、その魂は日本人の心に未だに響いている。形はなくなっても、受け継がれるものが人にはあるんです。
小松 魂を感じるということは、その人の教えを請うている、ということ。
白石 そうです。肉体がなくなっただけで、人の思い、その生き方が今を生きる僕たちに受け継がれるわけですよ。僕なんかは、時代を共にしていない人たちにどれほど影響を受けたかわからないですよ。HONDA創業者の本田宗一郎さんの本を繰り返し読んでいますが、もう、本田さんから語りかけられているようですもん。時空を越えて、冒険しろ、チャレンジを諦めるな、と励ましてもらっています。
小松 諦めないから「ヴァンデ・グローブ」出場が叶ったわけですね。
白石 僕のヨットは1.7億円の中古で買い求めました。このお金を集めるために日本中を駆け回り、多くの支援者に支えられて手に入れた船です。
小松 ヨット1艇1.7億円ですか。
白石 僕のヨットが一番安かったと思います。中古に手を加えて出走しました。欧州のトップチームのヨットは1艇25億円です。
小松 わぁ。
白石 ヨットレースは冒険心をもつだけでは戦えません。人間社会で、何十億というお金を集められる度量がなきゃ駄目なんですよ。
小松 海に囲まれた島国で、海洋国家としての歴史をもちながら、ヨットレースへの理解はまだまだ低いですね。
白石 そうなんです。だから僕はね、ヨットは海だけでなく、人間社会に挑む大冒険だと思っているんですよ。
小松 まず、人間社会の荒波を乗り切らないと。
白石 乗り切らないと、スタートラインに立てないんですよ。そして、次に自然界に入るわけだよね。人類最小単位のたった一人で、このでっかい地球を相手にするわけです。誰も頼るものなんかないわけですよ。だから、ヨットレースの醍醐味は、人間界と自然界と両方楽しめる。そんな競技はなかなか無いですよ。
小松 苛酷ですが、アドベンチャーとしてはでっかいですね。
白石 海の上ではたった一人で大自然と闘いながら世界一周を目指しますが、その前段階では、スーツを着てカバンを持って企画書を持って、自分の言葉でスポンサー獲得の営業活動をしなければならない。僕はこの両方を体験させてもらっていることが、素晴らしいと考えています。
小松 私を含め、多くの日本人は海の上にいる白石さんしか知りませんね。
白石 4年に一度のヴァンデ・グローブに出場するためには、社会性と自然適応力、その両方が必要です。だから、僕は、その真ん中に立つことができるんですよ。自然界と人間界は、どう折り合いを付け、どう共生していけばいいんだろう、と常に思いを巡らせる。
小松 都会にいて仕事のことばかり考えていると、人が自然の中で生かされていると言うことを忘れがちです。
白石 どんなに高額のヨットでも、風が吹かなきゃ、なんにも役立たないですよ。ヨットっていうのは、海という広大な未開の領域に人間が繰り出していくための知恵の結集ですが、自然と共にあることでその力を発揮できる。自然界の恵みの融合なんですよ。風だけあってもダメだし、船だけあってもダメなんだ。両方なくちゃ走らない。僕自身、こうやって普段日本で生活している部分と、たった一人で自然にいる、その両方がなければ「白石康次郎」でないわけです。
小松 自然と社会、その二つの世界を結んで生きる。それがヨット。素晴らしい競技ですね。
白石 本当に幅が広い。新宿のゴールデン街から、太平洋まで(笑)。
小松 その両翼を白石さんは楽しんでいる?
白石 もう目いっぱい。いろんな人に会って、いろんなこと経験して、大いなる海の上では半世紀を生きようが波の滴と変わらないちっぽけな存在で。こんなに楽しい人生は他にはないですよ。
[続く]第三回/2月9日ごろ公開予定
vol.56
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井上裕美